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被造物とは?

  • Writer: yoichi
    yoichi
  • Aug 23, 2020
  • 8 min read

被造物ktisis

元々の形成(元来は行動を指す。暗示的に文字通りあるいは比喩的に何かのものを指す)、建築した物、天地創造、あらゆる種類の人間、人を含めた生き物、習慣、しきたり

ユダヤ人と異邦人、救われた人と救われていない人、というイメージで対極にある人々も含めて「人」という意味で「被造物」としている。当時の事であり、世界には未だ知られていない人々もいたわけで、それらも含めて「人」を「被造物」と呼んでいる。聖書学者の中には、天使と堕天使も含むとする説もあるが、いずれにせよ聖書でパウロなどが用いている「被造物」とは自由意志を持つ人を指しているのであり、ユダヤ人と異邦人全てを指しているのである。

Yawtsar ひねり出して形を整える

動物 餌を与えて太らせて育てる

光 持ってくる、出す

創世記 2章7~8節

"神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。

神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。"

下記の「被造物」はユダヤ人も異邦人もとするとよくわかる。誰でもみんな知っているでしょうと言う意味。

ロマ 1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。 1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、 1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。 1:24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。 1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。

これは次のイザヤ書を踏まえている。

イザ 40:18 あなたがたは、神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようとするのか。 40:19 鋳物師は偶像を鋳て造り、金細工人はそれに金をかぶせ、銀の鎖を作る。 40:20 貧しい者は、奉納物として、朽ちない木を選び、巧みな細工人を捜して、動かない偶像を据える。40:21 あなたがたは知らないのか。聞かないのか。初めから、告げられなかったのか。地の基がどうして置かれたかを悟らなかったのか。 40:22 主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。 40:23 君主たちを無に帰し、地のさばきつかさをむなしいものにされる。 40:24 彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、やっと地に根を張ろうとするとき、主はそれに風を吹きつけ、彼らは枯れる。暴風がそれを、わらのように散らす。 40:25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか」と聖なる方は仰せられる。

下記も被造物を自由意志を持った人間すべて(もしかしたら天使と堕天使も含む)とすると意味が通る。

ロマ 8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。 8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。 8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。 8:22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。 8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。 8:24 私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。 8:25 もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

この言葉はマルコ16:15に通じるものであり、ここでも創られた者とはKrisisという言葉になっており、その概念は、あくまで「ひと」であり、ユダヤ人と異邦人を含めた全人類の事である。

マル 16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、 16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

また、次の聖句の「つくられたもの」はKrisisであり、前後の文脈から「ユダヤ人と異邦人」というすべての「ひと」である。

コロ 1:23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。

またローマ書8:20の「虚無に服した」とあるが、この虚無とは古代中国の老子の哲学で万物の根源・本体は、はかりがたく無であることを意味する言葉であり仏教用語でもある。

正しくは

mataiotēs mat-ah-yot'-ace

From G3152; inutility; figuratively transientness; morally depravity:—vanity.

道徳的に退廃していく、死にゆく、滅びゆくの意味である。そしてむしろ意味としては外面的な滅びよりも、内面的な退廃や魂の滅びを意味している。

人を「滅びゆくもの」と形容する。

したがってローマ書の8:20は

「それは、被造物(=ユダヤ人も異邦人も)が『内面的な心の堕落』に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。」

つまり全ての人は自分の意思で内面的に堕落したのではなく、エジプトで奴隷であったイスラエル人のように、束縛されているだけであり、しかしそれは神の深い知恵により、やがてイスラエル人がエジプトから解放されたような救いを得ることを念頭に置いて述べている。そうすると8:21以下の言葉「被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。」につながる。

またIコリントでこう述べている。

Ⅰコリ 3:19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」 3:20 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」 3:21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。

下記の被造物は、人間の作った習慣やしきたり、法律などとするとよくわかる。

ロマ 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

下記のヤコブの手紙でいう「被造物」はまさに「人」である。ヤコブの手紙は新約書簡の中で最も早い時期に書かれたとされており、書かれたのは45~48年頃と推定され、即ちキリストの死後15年程度の頃に書かれたものである。

ここで「私たち」とはヤコブの手紙の宛先である国外に散っているユダヤ人キリスト教徒である。その他の収穫物は全て初穂で捧げられているが、人は収穫の初穂で捧げられていない。ユダヤ人クリスチャンはユダヤ人と異邦人を含めた「被造物(すなわち全ての人)の初穂」であるとして、主の大きな絵を解き明かしている。

ヤコブ 1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。

主の思いは私たちの浅はかな思いよりも高く、その計画は全てを配慮しており、はるかに素晴らしい考えをしている

イザヤ 40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は【主】に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

エペ 4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、 4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。 4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

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