top of page

ソドムとゴモラの真実

  • Writer: yoichi
    yoichi
  • Jan 2, 2021
  • 10 min read

18:20 そこで【主】は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。 18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」


19:13 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが【主】の前で大きくなったので、【主】はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」


叫び ; ツエアカー

かなぎり声の叫び。ヘブル語の独特の概念で、他の言語の叫びよりも重い意味を持つ。圧迫されたものの苦悩に満ちた叫び、ある巨大な不正義に際して救助を求める被害者の苦悶の訴えを意味する。


3:7 【主】は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。


22:21 在留異国人を苦しめてはならない。しいたげてはならない。あなたがたも、かつてはエジプトの国で、在留異国人であったからである。 22:22 すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない。 22:23 もしあなたが彼らをひどく悩ませ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶなら、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。


イザ 5:7 まことに、万軍の【主】のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び。

つまり道徳的・社会的に腐敗し、傲慢な態度で弱いものを踏みにじり、冷淡にみていることを指す。だからエゼキエル書では当時のソドムの行いについてこう書いている

エゼ 16:49 だが、あなたの妹ソドムの不義はこうだった。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き、安逸をむさぼり、乏しい者や、貧しい者の世話をしなかった。 16:50 彼女たちは高ぶって、わたしの前で忌みきらうべきことをしたので、わたしはこれを見たとき、彼らを取り除いた。

「忌みきらう」とは何か?

まず、この叫びの意味はノアの洪水の前の次の言葉「暴虐」と意味するところは同じ。

創 6:11 地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。

したがって、神が罪として問題視していたのは、偶像礼拝とか、捧げものを怠ったとか、預言を無視したとか、そういう些細なレベルではない。私たち誰しもが持つ罪は脇において、もっと普遍的な基本となる人としての道徳レベルの事を神は問題視していたのである。理由もなく欲望のまま、殺し奪いかすめ取っていたのである。

イザヤ 61:8 まことに、わたしは公義を愛する【主】だ。わたしは不法な略奪を憎む。わたしは誠実を尽くして彼らに報い、とこしえの契約を彼らと結ぶ。

そして新約聖書には私たち誰もが持つ罪については、こう書いているとおりである。

Ⅰヨハ 1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

だから神はソドムやゴモラの町の人々ほどには堕落していなかったロトとその家族を救ったのである。

そして、私たちはそのような時、神にとりなし、正しいものは救われるようにしていかなければならない。これが世を正していくことになる。

18:22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、【主】の前に立っていた。 18:23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。 18:24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。 18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行うべきではありませんか。」 18:26 【主】は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」 18:27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。 18:28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」 18:29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」 18:30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」 18:31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」 18:32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」 18:33 【主】はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。


そしてソドムとゴモラは滅ぼされる。

19:17 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」 19:18 ロトは彼らに言った。「主よ。どうか、そんなことになりませんように。 19:19 ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私のいのちを救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は、山に逃げることができません。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。 19:20 ご覧ください。あそこの町は、のがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私のいのちを生かしてください。」 19:21 その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あなたの言うその町を滅ぼすまい。 19:22 急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこに入るまでは、わたしは何もできないから。」それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。 19:23 太陽が地上に上ったころ、ロトはツォアルに着いた。 19:24 そのとき、【主】はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の【主】のところから降らせ、 19:25 これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。 19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。 19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて【主】の前に立ったあの場所に行った。 19:28 彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。 19:29 こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。


さて、ホセア書に出てくるアデマとツィボイムはソドムとゴモラのこと。

ホセ 11:8 エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。どうしてわたしはあなたをアデマのように引き渡すことができようか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができようか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。


そして裁きを受けたソドムとゴモラはこうなったと申命記にはある。

29:23 ──その全土は、硫黄と塩によって焼け土となり、種も蒔けず、芽も出さず、草一本も生えなくなっており、【主】が怒りと憤りで、くつがえされたソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムの破滅のようである──


ここまではソドムとゴモラの経緯であるが、では、このソドムとゴモラはどこか? 少し考古学の話。

13:3 彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。 13:4 そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、【主】の御名によって祈った。 13:5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。 13:6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。 13:7 そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。 13:8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。 13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」 13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。 13:11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。


すなわち、アイ(エルサレムの郊外付近)から見て、左がカナンなので、右がソドムとゴモラとなる。そして低地であること、潤っていたことから、死海のある低地の付近が推定される。また、こうも書いている。


19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて【主】の前に立ったあの場所に行った。 19:28 彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。


やはりエルサレム郊外の山の上から、ヨルダン川のある低地一帯を見渡したことが推定される。また、こうも書いている。

14:10 シディムの谷には多くの瀝青の穴が散在していたので、ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ち込み、残りの者たちは山のほうに逃げた。

つまり、ソドムとゴモラのあるシディムの谷付近には瀝青、すなわちアスファルトがあったことになる。


また死海の南西側にはMt Sodomという山があり、塩の洞窟や、ロトの妻と呼ばれる岩がそびえたっている。また、死海の南半分には塩の塊が多く存在している。


また、こうも書いている

14:3 このすべての王たちは連合して、シディムの谷、すなわち、今の塩の海に進んだ。


したがって、おそらくはソドムとゴモラは死海の南側の今の塩の海と呼ばれるところに沈んでいることになる。

事実として死海は北側は水深が深く450mほどであるが、南側は2m~5m程度と浅く、地質学的にも北側は古く、南はその後になって水没したことが推定されている。

また、南側は低地であり小さな川が流れ込んでいることから、湿地であったとも推定される。

これらの事実の一方、死海の南側からは町の遺跡が出土しており、町の名前は別としておそらくは何かの町があったと確証されている。また、丘の上のバブエドゥラー遺跡がこもらとする説もあり、周辺は確かにアスファルトと硫黄が多く存在する。


いずれにせよ、ソドムとゴモラは旧約の時代のおとぎ話ではなく、なにかの実話のようである。


私たちは時として、苦難にあうと、聖書が本当に正しいか、その物理的な根拠を見ないために疑問を感じ疑う時がある。しかし、聖書はやはり事実を語っているともう一度確かめることは一抹の安心感を与える。

神は真実な方であるから、ソドムとゴモラにいたロト、彼にもたくさんの罪と問題があったが、神の前に日々罪を認め義とされることで、神がロトに良くしたように、私たちにも必ずよくしてくださる。


哀 3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。 3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。 3:24 【主】こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。


Ⅰコリ 10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。


Ⅰペテ 4:19 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。


イザ 43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。



Recent Posts

See All
復讐するは我にあり

復讐劇は常に人の心をとらえ、人は復讐心を握りしめると手放せなくなり、本来はその手に握りしめるはずの未来を握りしめず、過去と復讐を固く握りしめたまま硬直してしまう。 赤穂浪士 元禄15年12月14日(現在の1月30日)に赤穂浪士が討ち入り。...

 
 
 
正しいセルフ フォーカス

セルフ フォーカス ; 自己に焦点を当て、自分を吟味すること。 聖書信仰ではもちろん信仰的な成長に自分を吟味することは大切ではあるが、それが聖書の大切な根本/信徒の義務であると誤解しているケースが多い。その結果、神は私たちに自分を省みなさいと言いませんでしたか? と問われた...

 
 
 
アダムはイブを「知った」とは? そこに恵みが満ち溢れるカギ

BBC 現在は様々な動画が投稿され、対立があおられている。デジタル化する社会で、対人的なコミュニケーションが低下し、似た考え方の者同士で考え方が偏り、過激化し、或いは孤立してそこでより過激な感情の吐露の重ね合わせで激化していくことに起因している。人間と人間のコミュニケーショ...

 
 
 

Comments


© 2019 Home Church. Proudly created with Wix.com

Join Our Mailing List
bottom of page