信じることとは
- yoichi

- Jul 12, 2020
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詩 27:13 ああ、私に、生ける者の地で【主】のいつくしみを見ることが信じられなかったなら──
生けるものの地で主の慈しみ(あるいは良き計らい、良いもの、美徳)を見ることが信じられない(育て上げる、作り上げる)なら、私は絶望していたであろう。(つまり絶望などしない)
信じるaw-man'
建て上げる、里親或いは乳母として子供を育てる、比ゆ的に固く信じる
(自分が築き上げたものが一番信頼できる)
「信じる」とは自分が努力して、その結果としてできること。時間がかかる。
だから箴言にはこう書いている。
箴 23:7 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。あなたに、「食え、飲め」と言っても、その心はあなたとともにない。
彼(貪欲なひと)は自分の育てたものではないから。
自分は信じることに対して、一夜にして否定的な思考を持つようになったわけではなく、一夜にして前向きになれるわけでもない。
ピリ 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。
だからダビデは最初の聖句の後にこう言っている。
詩 27:13 ああ、私に、生ける者の地で【主】のいつくしみを見ることが信じられなかったなら── 27:14 待ち望め。【主】を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。【主】を。
他人より多くの問題を抱えている人は決していない。皆、人生の問題で手いっぱいなのです。ただ違うとすれば、他人よりも問題をより多く考えているだけなのだ。
自分の考えていることが、そのまま自分の感情を生み出すことに気づきましょう。
それがわからないというなら、最初に怒りの思いを持たずに怒りを感じてみてください。最初に悲しみの思いを持たずに、悲しみを感じてみてください。それは無理なのです。
だから聖書は
詩 27:13 ああ、私に、生ける者の地で【主】のいつくしみを見ることが信じられなかったなら──
つまり、
生けるものの地で主の慈しみ(あるいは良き計らい、良いもの、美徳)を見ることを育て上げる、或いは作り上げることができないなら、私は絶望する。
と言っているのであり、最初に来る思いからはじめて、私たちは丁寧にその信じるものを作り上げることが大切なのです。
1900年に自分が生まれたと想像してみてください。4歳 日露戦争、5歳で戦勝、14歳の誕生日に第一次世界大戦がはじまります。その戦争は18歳の誕生日に終わります。2000万人がその戦争で命を落としました。その年の暮れには、スペイン風邪が世界を襲い、20歳の誕生日まで流行を続けます。その2年間で少なくとも5000万人が世界で命を落とします。そうです。5000万人です。29歳の誕生日には、世界恐慌が始まります。失業率は25%、世界のGDPが27%も減少するのです。それが33歳の誕生日まで続きます。世界の経済と共に国はほとんど破綻状態なのです。
31歳満洲事変、
32歳 515事件、36歳226事件、37歳 日中戦争、39歳になり第二次世界大戦がはじまっても、ため息はつかないでください。41歳の誕生日には、アメリカ合衆国は第二次世界大戦に加わるのです。39歳から45歳の誕生日の間に、7000万から8500万の人々が戦火の中に消えていったのです。50歳の時、朝鮮戦争がはじまり、500万人が死にました。55歳の時、ベトナム戦争がはじまり、20年続くのです。400万人がその争いの中で消えていったのです。62歳の時、キューバミサイル危機の中での生活となり、冷戦が始まります。私たちが知る通り、この地上の全ての命が消えてもおかしくない状況だったのです。偉大なリーダーたちがそれが起きないようにしていたのです。75歳になってようやくベトナム戦争が終わりました。
1900年生まれの人々。どうやって生き延びたのでしょうか?
自分が子どもだった1985年か、それ以降の事を振り返ると、自分は85歳の祖父母の学校での人生がどれだけ大変だったかを知らないのです。クラスでのいじめなどは取るに足らない話であったのです。10歳の誕生日に自分の欲しいものが手に入らないということは、何であったのでしょうか? それでも、彼らは上記のような出来事を通り抜けて生き延びたのです。自分の抱えている問題が巨大な問題のように見えるかもしれませんが、1900年生まれの人々から見たら、小さな問題の数々にしか見えないのです。私たちには彼らの人生観と経験が必要なのです。
86年のチェルノブイリ事故に始まるソ連の崩壊、そして89年の天安門事件に西側諸国が蓋をしてしまい平和を繕ってきたこの30年ほどの間は、珍しく安定していただけで、人の歴史は不安定で、災いの歴史であったのである。その中だから大きな声で理屈で騒ぐ物が利を得る世の中になった。ところがどういうわけか、その間に今は全て、生活と安全、自由、平等が保障されないといけないという考え、自分の生きるための安全な条件は誰かが保障するという考えが席巻してしまっているが、そのようなものは元々現実にはなかったのである。
ヤコブの次の言葉は人生を象徴していたのである。
創 47:8 パロはヤコブに尋ねた。「あなたの年は、幾つになりますか。」 47:9 ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」
このような大きな歴史の流れを見ると、次の聖句が良くわかる。
ヤコブ 4:13 聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。 4:14 あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。 4:15 むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。
詩 146:4 霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。
箴 19:21 人の心には多くの計画がある。しかし【主】のはかりごとだけが成る。
ヤコブ 4:6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」 4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。 4:9 あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。 4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。
喜ばしくない出来事(雨)でも、それを吸い込み、作物を生じるなら主の祝福にあずかれる。
ヘブル人への手紙 8章12節 "土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。"
最初に述べた通り、ヘブル語の信じる事、aw-manとは、つくりあげること。単に思うだけではない。最初の基礎から長い時間をかけて育てて作り上げて信じるからこそ、ゆるぎないものとなる。そしてその過程で喜ばしくない出来事さえも吸い込んで、作物を実らせるなら、神は祝福する。そして主を信じるとは、それが成ることを信じる事である。
だからダビデもつらい時に最初に述べた詩編で歌っている
詩 27:9 どうか、御顔を私に隠さないでください。あなたのしもべを、怒って、押しのけないでください。あなたは私の助けです。私を見放さないでください。見捨てないでください。私の救いの神。 27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。 27:11 【主】よ。あなたの道を私に教えてください。私を待ち伏せている者どもがおりますから、私を平らな小道に導いてください。 27:13 ああ、私に、生ける者の地で【主】のいつくしみを見ることが信じられなかったなら──
生けるものの地で主の慈しみ(あるいは良き計らい、良いもの、美徳)を見ることが信じられるから(育て上げる、作り上げる)、神が私のうちにおられるから、私は決して絶望しない。とダビデは歌ったのである。
Ⅰヨハ 4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
イザ 40:8 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
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