ルカを動かしたビジョン
- yoichi

- Jul 26, 2020
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箴 29:18 幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。
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子どもは10か月、軍隊に勤務する両親と会っていない。ロメオダレール氏の話にもある通り、海外への危険な任務に赴く軍人の子どもたちの心の安定というのは大変なものである。
ルカ
医者で異邦人と推測する説とユダヤ人とする説がある。恐らくは現在はシリアの国境に近いトルコのAntiochの出身であり、入江を挟んで反対側にパウロの故郷Tarsusもあることから、聖書の記述や伝承と符合するとされている。リビアのシャハト(Cyreneと呼ばれていた古代ギリシア都市。現在も神殿跡などがある美しいまち)に長く暮らした経験があり、伝承では画家であったともされていることから、医者であり絵を描く人物であったと思われる。
ルカの福音書と使徒の働きの著者であり、書き方はギリシア人と思われるテオピロ宛(1:3、神の友という意味)に書かれた物語を語る形式で、当時の歴史書の作家たちの作風に近いと言われており、マタイやマルコよりも洗練され練られた文章になっている。ラテン語、へブル、シリア語はほとんど使われていないことから彼を異邦人、恐らくはギリシア人とする説の根拠にもなっている。ルカの福音書を含めた四福音書は、AD150年頃に書かれたと言われている初期教会の公式聖典リストの記録であるムラトリ聖典目録(Muratorian Canon)にも採用されているが、その後、ルカの福音書の扱いについてだけは色々議論され、写本によっては一時意図的に消されていたり、パウロの指導の下にルカが書いたとされていたようである。とはいえ、現在の聖書の基礎構成と変わらないムラトリ聖典リストの記述によると、ルカは第三番目の福音書であるルカ書を書き、ペテロの殉教を目撃、パウロの最後の直前まで同行、その後にスペインへと旅立ったとする。
また次のパウロの書簡では、割礼を受けた即ちユダヤ人のユストまでと、その後の記述の人々を分けていること、その中にルカが含まれることから、ルカは無割礼の人であったと示唆。
コロ 4:11 ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。 4:12 あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。 4:13 私はあかしします。彼はあなたがたのために、またラオデキヤとヒエラポリスにいる人々のために、非常に苦労しています。 4:14 愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。
次のパウロの記述から、ルカはパウロの同郷、即ちタルシス(トルコ南部)の周辺の出身で pあることが示唆されている。
ロマ 16:21 私の同労者テモテが、あなたがたによろしくと言っています。また私の同国人ルキオとヤソンとソシパテロがよろしくと言っています。
次の書簡ではクレネ人ルカとなっている。クレネとはリビアのシャハト(Cyreneと呼ばれていた古代ギリシア都市。現在も神殿跡などがある美しいまち)であり、このことからリビアにも長く暮らした後に彼は故郷アンテオケに滞在していたことが推察されている。
使 13:1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
また次の記述からもルカはユダヤ人ではなく異邦人で、異邦人伝道をしたとされている。
使 11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。 11:20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
ピレモ 1:24 私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。
以下の「一人の兄弟」がルカとする説もあり、解釈によってはテトスの兄弟である。であればテトスが使徒の働きに出てこないこと、テトスはギリシア人のクリスチャンであることから、ルカがギリシア人であることの裏付けとする説もある。
Ⅱコリ 8:18 また私たちは、テトスといっしょに、ひとりの兄弟を送ります。この人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されていますが、 8:19 そればかりでなく、彼は、この恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会の任命を受けたのです。私たちがこの働きをしているのは、主ご自身の栄光のため、また、私たちの誠意を示すためにほかなりません。
そして次の言葉からルカの福音書と使徒の働きの著者はルカであるとされている。
ルカ 1:1 2 私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、 1:3 私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。
使 1:1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、 1:2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
したがって、ルカは福音書とその後の弟子たちの行いを記録した人物とされている。
また、次の「私たち」の表記が幾度も使徒の働きに出で来ることからルカはパウロとほぼ同行していたとされている。
使 21:18 次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。
以上のような他の福音書に対する独立性の強さ、さらには以下の経緯が書かれているのはルカの福音書のみであることから、ルカは70人の弟子の一人だったとする説がある。
ルカ 10:1 その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。 10:2 そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。 10:3 さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。 10:4 財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。 10:5 どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。 10:6 もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。 10:7 その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。 10:8 どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。 10:9 そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた』と言いなさい。 10:10 しかし、町に入っても、人々があなたがたを受け入れないならば、大通りに出て、こう言いなさい。 10:11 『私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。』 10:12 あなたがたに言うが、その日には、その町よりもソドムのほうがまだ罰が軽いのです。 10:13 ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間に起こった力あるわざが、もしもツロとシドンでなされたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰の中にすわって、悔い改めていただろう。 10:14 しかし、さばきの日には、そのツロとシドンのほうが、まだおまえたちより罰が軽いのだ。 10:15 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。 10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」 10:17 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」 10:18 イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。 10:19 確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。 10:20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」
ルカは死後、その福音書について色々な扱いがありながらも、まさに天にその名が記されていることを喜んだことを暗示する。
またイエスの処刑の様子についても、次のイエスの言葉を含め、他の福音書よりも発言を非常に細かく描かれている事から彼は目撃していた可能性もある。
ルカ 23:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。 23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
また次の件が他の福音書に出てこないことから、ルカがこれを体験した人物とされている。
ルカ 24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。 24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。 24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。 24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。 24:17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。 24:18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
クレオパとは、クロパであり、使徒ヤコブの父。
ヨハ 19:25 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
24:19 イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。 24:20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。 24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、 24:22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、 24:23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。 24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」 24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。 24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」 24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。 24:28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。 24:29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。 24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。 24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。 24:32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」 24:33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、 24:34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と言っていた。 24:35 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。
ルカはこのエマオへの道中で、最初のビデオの子どものように落胆の日々を過ごしている中で、突然、主が姿を現し、力を得、聖書の教えのビジョンを手にし、それを広めるためにルカの福音書と使徒の行いを書くようにと駆り立てられ、また、新しく加入したパウロと共に行動と苦楽を共にし、人生を歩んだのだと思われる。
パウロはどちらかと言えばガラテヤ1:15-17に書いている通り、奇跡的な主との出会いを明確にせず、神学を説いたが、ルカは使途の働き9にパウロの癒しの経緯を書いている通り、神の臨在、奇跡、導き、癒しを説いたのであり、それを広める事は神から頂いたビジョンであったのである。そういう意味では、ルカの名前を意図的に消したり、パウロから教えられてルカが聞き取ってルカ書や使徒の行いを書いたとする説は正しくないと思われる。
そしてルカと使徒の二つの重要な新約の書簡の中心的な話題は次の聖句に集約されている。これは70人の弟子たちをイエスが遣わしたときのエピソードにも通じるものである。
ルカ 4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
使 10:38 それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。
エマオ
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