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ヨナ、そしてイラクのモスル

  • Writer: yoichi
    yoichi
  • Aug 9, 2020
  • 9 min read

イラク北部の都市モスル

2014年、ISILが占拠、その後2017年にイラク政府に奪還されるまでISILが支配、その間に古代の遺跡、博物館に収蔵されていた収蔵品などが偶像礼拝の品であるとして破壊された。

この町は紀元前7000年頃には既に存在していたとされ、旧約聖書の時代、ニネベと呼ばれており、アッシリア帝国の首都で当時から大都市であった。

ヨナ 1:1 アミタイの子ヨナに次のような【主】のことばがあった。

ヨナはイスラエルの民が苦しみ、しかし王が罪をやめなかった時代(紀元前823年ごろ)の預言者であり、ヨナ書は彼に与えられた任務の一つを記したものである。

Ⅱ列王 14:23 ユダの王ヨアシュの子アマツヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムが王となり、サマリヤで四十一年間、王であった。 14:24 彼は【主】の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪をやめなかった。 14:25 彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、【主】が、そのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。 14:26 【主】がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたからである。そこには、奴隷も自由の者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。 14:27 【主】はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。

彼は自分の国が非常に苦しんでいるのを見て気にかけており、とても偶像礼拝している他の国の事を考える気にはなれない状態であった。

1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」 1:3 しかしヨナは、【主】の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、【主】の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。

そしてヨナは船から海へと放り投げられ、魚に飲み込まれ、そして主に祈り悔い改めたので、主は再びヨナを陸地に戻した。

ヨナ 3:1 再びヨナに次のような【主】のことばがあった。 3:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」

伝えよ; 使者として伝えなさい、叫びなさい、主の教えを語りなさい

同じ意味の言葉が使われている箇所は

イザ 40:3 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。 40:4 すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。 40:5 このようにして、【主】の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。【主】の御口が語られたからだ。」

ヨハ 7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

ヨナは正にこのような大切な主の言葉を伝える働きをヨナは、半ばいやいやながらも、行ったのである。

3:3 ヨナは、【主】のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。 3:4 ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。 3:5 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。 3:6 このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。 3:7 王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。 3:8 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。 3:9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」 3:10 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。

ヨナのおかけで、ニネベの大きな町が救われた。素晴らしい出来事であった。しかし、イスラエルの苦難を知っているヨナには、想像に難くないが何故ニネベが悔い改め、イスラエルはダメなのか、という思いがあり、受け入れがたいことであった。

ヨナ 4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、 4:2 【主】に祈って言った。「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。

悔い改めないイスラエルにも主は災いを与えなかったことを意味している。当時の事であり戦争、略奪、虐殺は当然であった。彼には何故、自分や祖国、故郷、親戚、知りあいに理由もなくひどい仕打ちをした悪者アッシリアが滅びないのか、という時々私たちにも起きる気持ちを持っている。これは普通の事である。

私たちは誰ひとりとして、扱うのが難しい人々、自分と馬の合わない人々をどう扱うかについて、イエスキリスト程、長けた人はいない。

ヘロデ王は生まれたばかりのイエスを探し出して、殺そうとし、

マタ 2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」

ピラトは手を洗って関係ないと言い、

マタ 27:24 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」

宗教指導者たちは自分の利益を優先し、

ヨハ 11:48 もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」

イエスを妬み、

マタ 27:18 ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。

家族は、この子は頭がおかしいと言い、

ルカ 2:49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」 2:50 しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。

彼の故郷の人々は石打にしようとし、

ルカ 4:28 これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、 4:29 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。

トマスは彼を疑い、

ヨハ 20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。

ペテロは彼を三度否定し、

マタ 26:74 すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。

ユダは彼を裏切り、

マタ 26:14 そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、 26:15 こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。

兵士たちは彼を打ち

マタ 27:26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。

群衆は彼を十字架につけろと言い、

マタ 27:23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。

身近な弟子たちは逃げ去っていったのです。

マタ 26:56 しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。

しかし、それでもイエスは神に彼らを消してくださいとは、祈りませんでした。そんなことをしたら誰も世の中からいなくなってしまうのです。私たちは時として祈りを、何かを回避する手段、その言い訳として悪用してしまうのです。ヨナがそうでした。私たちは、正直に言えばその人を正してあげるのを心から喜んでできないという動機で、その扱いが難しい人を自分の前から消し去ってほしいと願うのです。そしてもし、神がその祈りにこたえてしまうなら、私たちは、神が私たちに抱いている計画や望み、成長するための大切な機会を潰してしまうことになるのです。

Ⅰペテ 2:19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。 2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。 2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

私たちは皆、ニネベの町の人々のように悔い改めて主に立ち返り、神に愛され、災いを下すことを思い直してもらったのである。

ヨナ4:10 【主】は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。 4:11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

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