種を蒔く
- Jun 28, 2020
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創 8:14 第二の月の二十七日、地はかわききった。 8:15 そこで、神はノアに告げて仰せられた。 8:16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。 8:17 あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」 8:18 そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。 8:19 すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。 8:20 ノアは、【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。 8:21 【主】は、そのなだめのかおりをかがれ、【主】は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。 8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」
神は常に場所を用意し、そこに人を導き入れ、働き、礼拝し、そして栄えるようにと言う。
まず神は最初に場所を作る。
創世記 8:14 第二の月の二十七日、地はかわききった。
そしてその場所に私たちを導き入れる
創世記 8:16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。
そしてそこで働き、増し加え、繁栄するようにと言う。
創世記8:17 あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」
そして人は祭壇を築き、主を礼拝する。
8:20 ノアは、【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。
これは神が定めた世の中のおきてである
伝 5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
この法則は創世記のアダム問いアブの話でも同じである。
まず場所をつくり、
創 2:8 神である【主】は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。
人を住まわせ、耕す即ち働くようにさせる。
創 2:15 神である【主】は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
このパターンは更にはエデンの園から出た後も同じである。
創 3:23 そこで神である【主】は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
常に神は場所を先に備え、そこに人を導き入れ、そこで労苦して働くようにさせる。
そして落ち着くと礼拝が始まる。
創 4:2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から【主】へのささげ物を持って来たが、
これは神の定めた世の中のおきてである。
創世記 8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」
アブラハムも同じである。
創 12:1 【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
軌道に乗ると礼拝する。
創 12:7 そのころ、【主】がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。
そして増え、増えすぎたためにロトと袂を分かつこととなった。
創 13:5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。 13:6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。
そして新しい地に住み、再び栄え、増えたところで、神に礼拝しその人生の召しを受ける。
創 22:1 これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。 22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」 22:3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。
創 22:15 それから【主】の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、 22:16 仰せられた。「これは【主】の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、 22:17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。 22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
しかしここまでは、全て大人として自立していることを前提としている。彼らは全て精神的に熟した一人前の「大人」であった。そうでなければ自分の地は与えられることもできない。例えばノア
創 6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
tâmı̂ym
taw-meem'
From H8552; entire (literally, figuratively or morally); also (as noun) integrity, truth:—without blemish, complete, full, perfect, sincerely (-ity), sound, without spot, undefiled, upright (-ly), whole.
すべてがそろっている、健全性、真実、非の打ちどころがない、完成した、完全な、完璧な、誠実な、正常な、欠点の無い、汚れの無い、真っすぐな、全き
出 2:11 こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。
おとな
gaw-dal'
A primitive root; properly to twist (compare H1434), that is, to be (causatively make) large (in various senses, as in body, mind, estate or honor, also in pride):—advance, boast, bring up, exceed, excellent, be (-come, do, give, make, wax), great (-er, come to . . estate, + things), grow (up), increase, lift up, magnify (-ifical), be much set by, nourish (up), pass, promote, proudly [spoken], tower.
体が生物としてに大きくなったことをしめすだけ
生物学的に体が大きくなることと大人になることは違う。
創7:6 大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。
創 12:4 アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。
出7:7 彼らがパロに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。
大人であるとはどういうことか?
大学生の幼児化 ; 飯島学長
くれない族
幼児/子ども ; 子どもは自分で種を蒔いて育てることはしない。苦労して育て、更に良くするサイクルを回すことはない。それができれば立派な大人である。欲しいものは欲しいと騒ぐ、欲しくないものは拒否する、必要なものは必要だと騒ぐ。それが子どもである。しかし、大人としての現実は、欲しいものは手に入らず、いらないものを押し付けられ、必要なものも手に入らない。それを何とか克服するのが大人である。
自分の与えられた地においては、私たちは大人でなければならない。つまり、その地で最初は欲しいものは手に入らず、いらないものを押し付けられ、必要なものも手に入らないかもしれないが、種を蒔き、努力して工夫して育て、何とか最低限必要なものが手に入るようにし、不要なものを抱えないようにし、その次には欲しいものが自分の力で手に入るようにすることが求められる。これができるのは単に二十歳ではない。しかし、これが大切だと知っているか、これに背を向けるかで成熟した大人になるかどうかが違ってくる。
次の聖句を苦労せず欲しいものだけを求める子どもの目線で読むと大きな間違いとなる。
詩 118:4 さあ。【主】を恐れる者たちよ、言え。「主の恵みはとこしえまで」と。 118:5 苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。【主】は、私に答えて、私を広い所に置かれた。 118:6 【主】は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。 118:7 【主】は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。 118:8 【主】に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。 118:9 【主】に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。 118:10 すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は【主】の御名によって、彼らを断ち切ろう。 118:11 彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は【主】の御名によって、彼らを断ち切ろう。 118:12 彼らは蜂のように、私を取り囲んだ。しかし、彼らはいばらの火のように消された。確かに私は【主】の御名によって、彼らを断ち切ろう。 118:13 おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、【主】が私を助けられた。
子どもの目線でこれを真に受けるとわがままを受容する言葉てしかない。しかし同じ聖句を、その地で最初は欲しいものは手に入らず、いらないものを押し付けられ、必要なものも手に入らないかもしれないが、種を蒔き、努力して工夫して育て、何とか最低限必要なものが手に入るようにし、不要なものを抱えないようにし、その次には良いもの、欲しいものが自分の力で手に入るようにする大人の目線と苦労の体験から理解すると大きな違いが出てくる。
それは聖書の祝福を得るための大前提である。だからパウロはこう言っている。
ピリ 3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。
"そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。"
ヘブル人への手紙 12章5~7節
何か神に示されたら、私たちは大人になるように努力しなければならない。
そしてそれは良いものと悪いものに対しての、辛い経験と訓練が必要であるが、それは大切なものである。
ヘブル 5:13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。 5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
それは大変な話であるが、神の愛と共に歩めば越えられる。
Ⅰヨハ 4:15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。 4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
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