2020.4.19 礼拝 ; 愛のない世界があった。。。。
- yoichi
- May 1, 2020
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何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。"
ペテロの手紙 第一 4章8~11節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
アレキサンダー・ソルジェニーツィン
1970年 ノーベル文学賞
1983年 テンプルトン賞 (宗教界に尽くした人へ贈られる賞)
マトリョーナの家、イワンデニーソビィッチの一日
マトリョーナの家 ; 村で世話を焼いていた老婆の話。一人の義人無くして世界は成り立たないで結ぶ。ソ連体制下で科学万能とされ人の信頼や思いやりよりも共産党の計画が大切と教え込まれ、密告が使用令されていた時代に、キリスト教価値観に基づいた人の信頼と思いやりが何よりも大切であるとする思想で書いている。今思えば宗教的な意味。
旧ソ連ではビジネスがうまく行かない。その原因は愛、信頼、思いやり、という基本的な要素を書いた社会になっているからだとも言われている。国々を見回しても先進国の人々は「信頼」を大切にするが、後進国は必ずしもそうではない。彼のイワン・デニーソビィッチの一日では思いやり、信頼、愛がなく、密告と裏切りの連続のソ連時代収容所での無味乾燥な一日を描いている。それは裏返して、愛、信頼、思いやり、助け合いの大切さを訴える作品。愛、信頼や思いやりは人と人をつなぐ社会を安定/発展させるのに非常に大切な要素。
日本にきた宣教師がアガペの愛を理解していたことに喜んだ
コロナ前は、スタートアップ、インフルエンサーなどともてはやされ、Air Bnb、Uber、Amzzonをはじめとして、ネット上で信頼の代わりに契約クリックをすることで人々を簡単につなぎ、そのクリックした条件を守っていれば何をしても良い、そして達者な言葉で人より抜き出て、とりまとめ、利益を上げるのが称賛されていた。
何か信頼や思いやりというものが抜けていた。
"何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。"
ペテロの手紙 第一 4章8~11節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
熱心なロシア正教徒で、1973年のソ連体制下時代にロシア正教総主教に無神論者が支配する教会を非難する書簡を公式送付。一貫してキリスト教価値観のある国への回帰を説いていた。
彼は小学生時代の友人に送った手紙でスターリンの事をご主人と揶揄して書いたとして、反体制容疑で逮捕。強制収容所送りとなる。
数年間強制収容所で過ごす中で、絶望し看守が見ていない場で手にしていたスコップで頭を打って死のうとした。その時、近くにいた彼の友人が彼の様子の異変に気付き、棒を横から出し、彼のスコップを止めた。その時、ソルジェニーツィンには友人の棒と自分のスコップが十字に重なるのを見て、それが神の十字架に見え、神の言葉がよみがえり、神が生きていると分かり、十字架とは神の偉大な力を象徴しているのだと知り、何故か自分の人生観が変わったと述懐している。そして彼はゆっくりと立ち上がり、黙って十字架と共に強制労働を続ける決意をし、黙々と作業に戻った。
これが彼が神と会った瞬間だった。
ペテロは神と会ったのは次の時である。
まず自分の力を過信してうわべの信仰を誇っていた。
マタ 26:31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。 26:32 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」 26:33 すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」 26:34 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」 26:35 ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
そして現実に直面し、うわべの信仰は世の中の厳しさに破壊され、更にイエスは処刑され大きく絶望する。
マタ のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」 26:70 しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない」と言った。 26:71 そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」 26:72 それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない」と言った。 26:73 しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。 26:74 すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。 26:75 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。
しかし、主と共に立ち上がる時が来る。
ヨハ 21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」 21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」 21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
その後ローマに行き伝道し、キリスト教を迫害する皇帝ネロによりローマの大火の犯人の濡れ衣を着せられ、迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてくる。彼が「主よ、どこへいかれるのですか?」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。
ペテロはパウロのように理屈に長けた人物ではなかったが、人を大切にし初代教会のリーダーであった。
Ⅱペテ 3:16 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
三度イエスを知らないと言い、そして三度イエスに私の羊を牧しなさいと言われたからこそ、次の聖句がにじみ出てくる。
Ⅰペテ 1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。 1:4 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。 1:5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。 1:6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、 1:7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。
自分もイエスを否定し試練に会い、そして金になっている。
また、たわしたちが神によって新しく生まれたとする主の御言葉が決して変わらないこともこの三度の知らないという言葉と「牧しなさい」という言葉の体験から学んでいる。
Iペテロ 1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
ペテロはキリストの復活の目撃者。
ヨハ 20:1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」 20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。 20:4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。 20:5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。 20:6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、 20:7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。 20:8 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。 20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
これに加えて三度知らないと言ってしまった体験、キリストの復活を目撃した体験から、自分が立ち上がった喜びと確信を持っている。
Iペテロ4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、 4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。 4:14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。 4:15 あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行う者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。 4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。
だからペテロは自分が神と共に乗り越えた経験から確信をもってこう述べている。
Iペテロ 4:19 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。
自身がキリストから三度「牧しなさい」と言われたからこそ、人々に向かってこう伝えている。牧することの大切さを主から直接示されたからである。
Ⅰペテ 5:1 そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現れる栄光にあずかる者として、お勧めします。 5:2 あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。 5:3 あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。 5:4 そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。
そして自信をもって
マタイ26:33 すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」
と言ってしまい、そして三度否定してつまづいて、神によって三度牧しなさいと言われて再び立ち上がらせてもらったからこそ、次の言葉も出てくる。
Iペテロ 5:5 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。 5:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。 5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。 5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
そして次のイエスについての預言を否定してしまい、それが成就するのを見た。
マタ 26:31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。 26:32 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」 26:33 すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」 26:34 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」 26:35 ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
だから彼は確信をもって人知を超越した神の言葉の大切さと真実を次のように語っている。
IIペテロ 1:20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
キリストは神の愛によって私たちの多くの罪をおおった。だから私たちもお互いの罪をおおわなければならない。
Ⅰペテ 4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
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