2020.2.9 礼拝 ; 神からKhaneを得るにはどうすべき?
- yoichi

- Feb 9, 2020
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神からKhaneを得るにはどうすべきか?
ヘブル 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
「すぐれたいけにえ」 ; 第一子と肥えた生贄。つまり罪の贖いを暗示している。
bek-o-raw', bek-o-raw'
Feminine of H1060; the firstling of man or beast; abstractly primogeniture:—birthright, firstborn (-ling).
kheh'-leb, khay'-leb
From an unused root meaning to be fat; fat, whether literally or figuratively; hence the richest or choice part:— X best, fat (-ness), X finest, grease, marrow.
エルサレムからバビロンへと捕囚として連れていかれることになったイスラエルの民に向かって主はこう語られた後、さらに続けて次のように平安と希望を与える計画だと述べている。
一見して、今まである意味での信仰的に安全な場所であったエルサレムから、偶像礼拝の国の首都、バビロンへと行くのであるが、神はそれを「平安と希望」の計画だと述べている。これは今の私たちが、教会の壁、信仰の壁の中で生きるのではなく、その外で、神を知らない民と交わり、ずっと続いている神の壮大な計画を成し遂げる小さな一歩を踏み出さなければならないことを暗示している。
エレ 29:10 まことに、【主】はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。 29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 29:12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。 29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。 29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。──【主】の御告げ──わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。──【主】の御告げ──わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」
創 4:4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
最上のものחֵלֶב חֶלֶב cheleb chêleb
kheh'-leb, khay'-leb
From an unused root meaning to be fat; fat, whether literally or figuratively; hence the richest or choice part:— X best, fat (-ness), X finest, grease, marrow.
最も肥えたもの、脂ののったもの、良いもの、活力のあるもの
ヘブル 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
By faith Abel offered—a more excellent sacrifice—Πλειονα θυσιαν·
「すぐれたいけにえ」
πλείων, πλεῖον, πλέον pleiōn pleion pleon pli'-own, pli'-on, pleh'-on 数や量において多い、数、質、主な部位、越える、より優れた
つまりカインとアベルは家族礼拝の神の祭壇に捧げものを持ってきた。カインは農夫であったので、ミンシャを捧げた。ミンシャとは
レビ 2:1 人が【主】に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、 2:2 それを祭司であるアロンの子らのところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、その乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。
ミンシャである地の作物や果物を捧げ、それによって彼は
なだめの香り、甘い、喜ばしい、良いと思う香りの捧げもので、神の存在と導きを認めることを神に表したのだと思われる。
一方アベルは、羊飼い、あるいは牛飼いであったことから、彼は単に聖餐式的な捧げものではなく、彼の群れからの産物を神に対する自分の罪の生贄としてささげ、これにより彼は神の存在と導きだけではなく、自身の罪を認め、神の裁きと憐れみを認めたのである。カインは全く罪のもたらす悪いもの、さらには神の神聖さを認めず、その形式的な感謝の捧げもので十分だと思っていたわけである。これに対して神は、その聖さと裁きにより、無頓着にこれらの捧げものを受け入れることはできなかったのである。他方、地の基礎として裁かれた羊と言われるアベルについては、神はそれを受け入れることができたのであり、アベルは罪を認める意思を明確に示したのである。したがって、当時、その場所では非常に適切だと思われていた形式的な捧げ物の儀式であったにもかかわらず、罪についての捧げものが一方になかったために受け入れてもらえないこととなった。したがって、パウロが言うように、アベルは死んだが、今も語っているのであり、その語っている事とは、罪の贖いの必要性であり、神はこの罪の贖いと関連性のない捧げものは受け入れないということである。
ルカ 18:10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。 18:11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。 18:12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』 18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
アベルは決して天真爛漫な善人ではなく、カインは陰鬱な悪人であったわけでもない。
アベルは罪を認め、カインはそれを避けた。そしてアベルに嫉妬し罪に飲み込まれ、殺人を犯しただけである。
そしてカインはアベルを殺したが、一見、罪を犯したカインであるが悔い改めの故に神に赦された。
創 4:13 カインは【主】に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。 4:14 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」 4:15 【主】は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで【主】は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。
つまり神の前に罪をみとめて、悔い改める事、それが神からのKhaneを手にすることになるのである。
そしてイエスは悔い改めの重要性についてこの述べている。
ルカ 13:3 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
ルカ 15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
ルカ 17:3 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。 17:4 かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
エゼキエル書 18章32節 "わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。--神である主の御告げ--だから、悔い改めて、生きよ。"
エゼ 18:21 しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行うなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。 18:22 彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行った正しいことのために、彼は生きる。 18:23 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。──神である主の御告げ──彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。
クリスチャンは善人の集まりではなく、罪を見つめた罪人の集まりでなければならない。
私が「私はクリスチャンです」という時、私は「私はきれいな人生を歩んでいる」とは叫びません。私はこうささやくのです。「私は迷い出ていたが、見つけてもらい、赦してもらった。」私が「私はクリスチャンです」という時、私はこれをプライドを持って語りません。私は、よろめくものであり、だからキリストが私を導くものとして必要なのだと告白します。私が「私はクリスチャンです」という時、私は成功を自慢げに語りません。私は自分が失敗したものであり、自分のしたことを償うために神が必要だと認めるのです。
イザ 58:6 わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。 58:7 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。 58:8 そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、【主】の栄光が、あなたのしんがりとなられる。 58:9 そのとき、あなたが呼ぶと、【主】は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりを除き、 58:10 飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。 58:11 【主】は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。 58:12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。
ルカ 24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
黙 3:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
Ⅱペテ 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
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