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2020.2.23 礼拝メッセージ ;

  • Writer: yoichi
    yoichi
  • Feb 23, 2020
  • 9 min read

人事と財務が強い会社はだめになる。

大企業にありがちなパターン。

何故?

人事 ; 人の過去を見つめる。将来性を見越すことのできる人事は素晴らしいが、サラリーマン人事には難しい。

財務 ; 現在の話。将来を織り込むことは不可能。

つまり将来というファクターがなくなるから、会社は傾き始める。それがわかっていても組織の論理として、見えない将来よりも見える過去と現在は自然と強い発言力を持つ。

あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

マーガレット・F・パワーズ

translation copyright(C)1996 by Pacific Broadcasting Association

車は道路に沿って進むので前を見ている方が安心感があり気持ちが良いが、船は大海原が広がりどこに行くのか筋が見えない前を見るよりも、後ろを見ると航跡が分かるので、何か安心感があり気持ちが良い。

背泳ぎはスタート台の番号を見つめて泳ぐ。前が見えないので精神的には気楽。

人生もある意味、同じである。

ヨシ 4:1 民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、【主】はヨシュアに告げて仰せられた。 4:2 「民の中から十二人、部族ごとにひとりずつを選び出し、 4:3 彼らに命じて言え。『ヨルダン川の真ん中で、祭司たちの足が堅く立ったその所から十二の石を取り、それを持って来て、あなたがたが今夜泊まる宿営地にそれを据えよ。』」 4:4 そこで、ヨシュアはイスラエルの人々の中から、部族ごとにひとりずつ、あらかじめ用意しておいた十二人の者を召し出した。 4:5 ヨシュアは彼らに言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたがたの神、【主】の箱の前に渡って行って、イスラエルの子らの部族の数に合うように、各自、石一つずつを背負って来なさい。 4:6 それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか』と聞いたなら、 4:7 あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、【主】の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」 4:8 イスラエルの人々は、ヨシュアが命じたとおりにした。【主】がヨシュアに告げたとおり、イスラエルの子らの部族の数に合うように、ヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、それを宿営地に運び、そこに据えた。 4:9 ──ヨシュアはヨルダン川の真ん中で、契約の箱をかつぐ祭司たちの足の立っていた場所の下にあった十二の石を、立てたのである。それが今日までそこにある── 4:10 箱をかつぐ祭司たちは、【主】がヨシュアに命じて民に告げさせたことがすべて終わるまで、ヨルダン川の真ん中に立っていた。すべてモーセがヨシュアに命じたとおりである。その間に民は急いで渡った。 4:11 民がすべて渡り終わったとき、【主】の箱が渡った。祭司たちは民の先頭に立ち、 4:12 ルベン人と、ガド人と、マナセの半部族は、モーセが彼らに告げたように、イスラエルの人々の先頭を隊を組んで進んだ。 4:13 いくさのために武装した約四万人が、エリコの草原で戦うために【主】の前を進んで行った。 4:14 その日、【主】は全イスラエルの見ている前でヨシュアを大いなる者とされたので、彼らは、モーセを恐れたように、ヨシュアをその一生の間恐れた。 4:15 【主】がヨシュアに、 4:16 「あかしの箱をかつぐ祭司たちに命じて、ヨルダン川から上がって来させよ」と仰せられたとき、 4:17 ヨシュアは祭司たちに、「ヨルダン川から上がって来なさい」と命じた。 4:18 【主】の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏が、かわいた地に上がったとき、ヨルダン川の水はもとの所に返って、以前のように、その岸いっぱいになった。 4:19 民は第一の月の十日にヨルダン川から上がって、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した。 4:20 ヨシュアは、彼らがヨルダン川から取って来たあの十二の石をギルガルに立てて、 4:21 イスラエルの人々に、次のように言った。「後になって、あなたがたの子どもたちがその父たちに、『これらの石はどういうものなのですか』と聞いたなら、 4:22 あなたがたは、その子どもたちにこう言って教えなければならない。『イスラエルは、このヨルダン川のかわいた土の上を渡ったのだ。』 4:23 あなたがたの神、【主】は、あなたがたが渡ってしまうまで、あなたがたの前からヨルダン川の水をからしてくださった。ちょうど、あなたがたの神、【主】が葦の海になさったのと同じである。それを、私たちが渡り終わってしまうまで、私たちの前からからしてくださったのである。 4:24 それは、地のすべての民が、【主】の御手の強いことを知り、あなたがたがいつも、あなたがたの神、【主】を恐れるためである。」

ヘブル人達は自分の国に重要な事が起きた場所と時を記憶していく思考回路を持つ。

私達はボートを漕ぐ時、後ろを見ながら前にどうやって進んでいるのでしょうか?自分の行きたい目的地を見て、それと正反対の位置のある地点の目印を探して進むのではないでしょうか? そして漕いでいる間は、その目印を見ていればちゃんと目標とする地点に到達するのです。私達の過去は未来の一部です。言い換えるなら、私達の過去は案内標識の柱であり、そこに私達を縛り付けておく柱ではないのです。過去を見つめる視点を間違えてはいけない。

ヘブル人達はその歴史通して、精神的、或いは物質的な記念碑を作り続けました。大きな戦いが有り勝利した過越の祭、仮庵の祭などです。

彼らが自分達の辿った道筋を振り返って見る事が出来るようにする事で、記念碑は彼らの価値観とアイデンティティーを維持する役割を果たしたのです。彼らは、自分達が何者であり、自分達が誰に属しているのか知っていたのです。ちょうどボートを漕ぐ人の様に、彼らは自分達の後ろにある記念碑を見る事で、前に進む進路を確かな方向に定めたのです。神が私たちの人生に為したことを並べれば進む先が見えてくる。ちょうど大きな船の船尾に立ち、航跡を眺めるとちゃんと船が舵を取られて目的地に向かって進んでいるのがわかるように、神が私たちの人生という船をどう操船しているかが少しは見えてくる。

だから過去に主が私たちになしたことを並べて振り返ることは大切。

そして今すべきことはマタイの福音書に書いている。

マタ 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

そして将来の進む先への不安については聖書はこう教えている。

16:1 人は心に計画を持つ。【主】はその舌に答えを下さる。 16:2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし【主】は人のたましいの値うちをはかられる。 16:3 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。 16:4 【主】はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。 16:5 【主】はすべて心おごる者を忌みきらわれる。確かに、この者は罰を免れない。 16:6 恵みとまことによって、咎は贖われる。【主】を恐れることによって、人は悪を離れる。

ヨブ 42:1 ヨブは【主】に答えて言った。 42:2 あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。

33:11 【主】のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。

イザ 40:6 「呼ばわれ」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。 40:7 【主】のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。 40:8 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

Ⅰペテ 5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

7:1 あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、【主】が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。

Khaneとは何だったか? Khaneは人の知識や学び、行いで手にすることのできるものではない。神の計画による。だから私たちのKhaneは過去の航跡の先にある。

伝道者の書 9章11節 "私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。"

自分の人生の上に神が為してくれたことを思い浮かべ、感謝すると未来への安心感が伴う

感謝は大切。

92:1 【主】に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。 92:2 朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表すことは。 "十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。 主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。 主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。 まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。 悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行う者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。 しかし主よ。あなたはとこしえに、いと高き所におられます。 おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。不法を行う者どもがみな、散らされるのです。 しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。 私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。 彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。 こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。" 詩篇 92篇3~15節 聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

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