2019年5月12日メッセージメモ
- yoichi
- May 12, 2019
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成功が全ての世の中
何か少々ぎこちない価値観を信じて受け入れている
有名人、第一人者、ナンバーワン、ステージ上の知識人なら誰もが称賛。
最新の、最も偉大な、最大の、最高のもの、優れた、となるように人々から抜き出るように意識づけられており、これらの尺度が私たちが「成功している」という定義になっている。
私たちの文化は成功を要求。
失敗が我々に敗者の烙印を押す文化の中に暮らしている。
雑誌、新聞、ネットメディアを飾るもの ; 彼らは「最新の」、「最も偉大な」、「最大の」、「最高の」といった言葉を手にした人々なのです。
次の世の中の方程式は私たちを幸せ又は不幸のいずれかにするのです。
幸せ = 現実 – 期待
クレガリー・ケアのアル・エルスはこう言っています。「多くの男性諸氏が女性特有の問題として憂鬱症状を捉えている一方で、男性の82%が憂鬱で苦しんでいる。」
男性の社会的地位と意義はその仕事の業績によって決定されるが故の不幸。
皆、自分が太陽や月のような空の大スターになり周りの小さな星より注目を集めたいと思っている。
良く見ると、太陽や月のようになったスターたち、有名人たち、成功したと自分で思っている人たちは、自分で種を蒔いて刈り取るよりも、奴隷とする他人を見つけ、うまいことを言って他人から搾り取って生きている。
ウーバー ; 運転手が給料が少ないとして欧米でスト。会社が全てを手にしている
GAFA ; 情報を吸い上げ巨大な利益
派遣会社 ; 51%を取っている
相手の弱みに付け込み、ここまでなら相手は文句を言わないとして自分の取り分を最大化している。「むさぼり」「強欲」の罪。
聖書はこう教えている。
創世記 8章22節
"地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」
箴
10:5 夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。
そして収穫にたどり着くには多くの事をしなければならない。
箴
20:4 なまけ者は冬には耕さない。それゆえ、刈り入れ時に求めても、何もない。
イザヤ書 28章24~26節
"農夫は、種を蒔くために、いつも耕して、その土地を起こし、まぐわでならしてばかりいるだろうか。
その地面をならしたら、ういきょうを蒔き、クミンの種を蒔き、小麦をうねに、大麦を定まった場所に、裸麦をその境に植えるではないか。
農夫を指図する神は、彼に正しく教えておられる。"
そして自分で耕し収穫したもの、すなわち神により与えられたもの以外を、ほしがり手にして喜ぶことが有ってはならない。
出
20:15 盗んではならない。
出
20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
これは「むさぼり」を戒めることばである。「むさぼり」とは主が私たちに与えなかった他人の物を欲しがることである。
これがなければ国々は平和なのである。
エレ
4:2 あなたが真実と公義と正義とによって『【主】は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、主によって誇り合う。」
そして私たちの今の世の中で正当化されて隠されてしまっている多くの強欲の罪を、罪だとして明らかに示すものである。
ロマ
7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
むさぼり
G1939 ἐπιθυμία epithumia ep-ee-thoo-mee'-ah
強欲、欲望、渇望
むさぼり、即ち神が私たちに与えもしない、また、自分で苦労して種も蒔かず人の種の収穫を手にしようとする強欲は罪である。
箴15:27 利得をむさぼる者は自分の家族を煩わし、まいないを憎む者は生きながらえる。
原語 ; 利益を渇望する者は・・・ 贈り物/わいろを憎むものは
だからパウロは働いていた。
Ⅰテサ
2:9 兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。
Ⅰテサ
4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。
エペ
4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
Adam Clark解釈 ; ここでは「盗みをしている者」とは、当時ラビの中では貧しいものに施しをしているなら盗んでも良いと考えているものがいた(サムエルの息子参照)ことを示唆している。自分の羊からは取ってよいとの発想。そうではなく、まず自分で骨をおって働き、施すべきと諭している。
またダビデは略奪されたものを奇跡的に取り戻したとき、こう言っている。
Ⅰサム
30:23 ダビデは言った。「兄弟たちよ。【主】が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
30:24 だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」
分け前を戦いに赴いた者だけのものだと主張した人々は次の二つの事を忘れていたのである。
「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。」(Iテモテの手紙6:6-7)
「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」(詩篇127:1)
果たして、実は今の世で、注目を集めている人々は大半が主の目に罪を犯し、「弱者」に対して足元を見て譲歩を迫り、手にした利益で「勝者」だと言っているのではないか。何かの美しい理屈をつけて弱いものから取り上げて、自分の懐に入れていないか? そして、それにあこがれ、それを「賢い」とし、良いものとして考えて、それを讃える風潮になっているのではないか。
しかし神はこうアブラハムに約束して言っている。
「そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。」(創世記26:4 )
一つ一つは小さな星ですが、星空のように数多く散らばり静かに照らしていたら、誰も暗黒だとか暗闇とは言わないのではないでしょうか?
私たちも一人一人は静かで小さいのです。でも小さく散らばっているから生み出す美しさと強さもあるのです。
聖書は太陽や月をほめてはいない。むしろ星を称賛している。
バラムの祈り
民24:17 私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。
Ⅰコリ
15:41 太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。
Ⅱペテ
1:19 また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
Ⅱペテ
1:19 また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
黙22:16 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
神は
空の太陽や月ではなく、星を指して祝福しました。
夫に先立たれ落穂ひろいの貧しい生活を余儀なくされた一人の女に目を留め、しかし若くはなく見た目も劣るけれども誠実な一人の男を新しい夫として選び祝福しました。小さな、しかし誠実な家庭が生まれました。
やがてその孫として生まれた見た目に美しく屈強な六人の兄弟よりも、小さな羊飼いの末の男の子ダビデを王として祝福しました。
時が満ちると、その家系にヨセフという大工が生まれ、その妻マリアからキリストがうまれました
そしてキリストは
ピリ
2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
小さな星は神の祝福なのです。
私たちはキリストに従うなら、太陽や月ではなく、へりくだった星にならなければならない。
太陽や月になろうと無理しなくても良いのです。
小さな星を神様は喜ぶのです。
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