2019年4月21日 日曜 メッセージ メモ
- yoichi

- Apr 21, 2019
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ヨハ
20:1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
マル
16:1 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
16:2 そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。
ヨハネ 20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
20:4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
20:5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。
20:6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
20:7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
20:8 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。
20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
詩編16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
20:10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
20:11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
20:12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
これは神の御座の型であり、御使いはケルビムを暗示する。
出
25:18 槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。
25:19 一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。
出
25:21 その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。
25:22 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。
20:13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。
20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
聖霊
G4151 πνεῦμα pneuma pnyoo'-mah From G4154; a current of air, that is, breath (blast) or a breeze; by analogy or figuratively a spirit, that is, (human) the rational soul, (by implication) vital principle, mental disposition, etc., or (superhuman) an angel, daemon, or (divine) God, Christ’s spirit, the Holy spirit:—ghost, life, spirit (-ual, -ually), mind. Compare G5590.
空気の流れ、息、風、比ゆ的に霊、魂、生きる力、精神的な気質、天使、悪魔、キリストによる聖霊、命、意識
創
2:7 神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。
H5397 נְשָׁמָה neshâmâh nesh-aw-maw' From H5395; a puff, that is, wind, angry or vital breath, divine inspiration, intellect or (concretely) an animal:—blast, (that) breath (-eth), inspiration, soul, spirit.
けむり、風、怒りや生命を秘めた息、聖なる啓示、知識、息、ひらめき
主が息を吹きかけることにより、人の心の上に臨んだ聖霊が励ましの力を与えた。信仰によって受け取るキリストの一字一句が聖なる息/風を伴うのである。そしてこれなくしては、光や命はありえない。ちょうどアダムが主の域により命を吹き込まれたように、全ての人間の魂は主の息を受けることで力を得るのである。神について何も見たこともなく、知らず、触れたこともなければ悟ることがなかったとしても、ただこれだけで足りるのである。全てのクリスチャンにとって、これは基礎として不可欠で大切なものであり、今まで誰ひとりとして、これなくして、神の福音を語り、福音を信じさせ、罪びとを悔い改めに導くことは誰ひとり成しえていないのである。
「神父や牧師で、キリストのそれと比較されてほめそやされる人は多いが、キリストがその弟子たちと共に分かち合った時間と会話、立ち居振る舞いを、そのように比較するなら、それらの人たちは神の前に恐れなければならない。キリストの弟子たちは、ただそれだけに頼り、同じような状況の中で、同じような結末を迎えている。つまり、世の堕落に対峙して真実を語り、神の御国を建て上げる手伝いをし、最後には神の栄光を讃えて苦難を迎え受け入れるという同じ結末を迎えているのだ。
そのような人たちは、世的で、スキャンダラスで、快楽を追い求めるその心の堕落によって、清められ、聖霊を分け与えるべき牧師室/神父室のモンスター以外の何物でもない。」
エレ
9:23 【主】はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。
9:24 誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは【主】であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。──【主】の御告げ──
何故、聖霊が大切か? 清い心が大切か? 主から与えられる世における責任が重大だからである。
神は次の権限を与えている。
20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
エゼ
18:16 だれをもしいたげず、質物をとどめておかず、物をかすめず、飢えている者に自分の食物を与え、裸の者に着物を着せ、
18:17 卑しいことから手を引き、利息や高利を取らず、わたしの定めを行い、わたしのおきてに従って歩むなら、こういう者は自分の父の咎のために死ぬことはなく、必ず生きる。
18:18 彼の父は、しいたげを行い、兄弟の物をかすめ、良くないことを自分の民の中で行ったので、彼は確かに自分の咎のために死ぬ。
18:19 あなたがたは、『なぜ、その子は父の咎の罰を負わなくてよいのか』と言う。その子は、公義と正義とを行い、わたしのすべてのおきてを守り行ったので、必ず生きる。
18:20 罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。
18:21 しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行うなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。
18:22 彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行った正しいことのために、彼は生きる。
18:23 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。──神である主の御告げ──彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。
18:24 しかし、正しい人が、正しい行いから遠ざかり、不正をし、悪者がするようなあらゆる忌みきらうべきことをするなら、彼は生きられるだろうか。彼が行ったどの正しいことも覚えられず、彼の不信の逆らいと、犯した罪のために、死ななければならない。
18:25 あなたがたは、『主の態度は公正でない』と言っている。さあ、聞け。イスラエルの家よ。わたしの態度は公正でないのか。公正でないのはあなたがたの態度ではないのか。
18:26 正しい人が自分の正しい行いから遠ざかり、不正をし、そのために死ぬなら、彼は自分の行った不正によって死ぬ。
18:27 しかし、悪者でも、自分がしている悪事をやめ、公義と正義とを行うなら、彼は自分のいのちを生かす。
語るにも知恵がいる。しかし悔い改めを得るなら、天の喜びが起きるのであり、イエスが来た目的でもある。イエスが来たのは単なる赦しではなく、悔い改めて、そして許されること。これが「イエスを救い主」として受け入れることを意味する。
ルカ
5:32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
ルカ
15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」
詩
< 16 > ダビデのミクタム
16:1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
16:2 私は、【主】に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
16:3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
16:4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。
16:5 【主】は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
16:7 私は助言を下さった【主】をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。
16:8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。【主】が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
テトス
3:4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現れたとき、
3:5 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
ルカ
5:32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
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