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2019.12.8 礼拝;クリスチャンには一流も二流もないのです!

  • Writer: yoichi
    yoichi
  • Dec 8, 2019
  • 9 min read

クリスチャンには一流も二流も三流もないのです。馬鹿なことは考えないでください。皆、救われているのです。

マタ 3:1 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。 3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 3:3 この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。 3:4 このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。

「教えを述べて」

kērussō

kay-roos'-so

Of uncertain affinity; to herald (as a public crier), especially divine truth (the gospel):—preach (-er), proclaim, publish.

あいまいな意味で; お触れを伝える(公に対する伝令者として)、特に神聖な真実について、伝道する、主張する、出版する

「荒野で」

erēmos

er'-ay-mos

Of uncertain affinity; lonesome, that is, (by implication) waste (usually as a noun, G5561 being implied):—desert, desolate, solitary, wilderness.

あいまいな意味で;寂しい、即ち見捨てられた、砂漠、人里離れた、孤独な、荒野

(ラビの間で良く用いられていた言葉、即ち砂漠)

即ち「ユダヤの荒野で教えを宣べて、」とは、ヨハネがユダヤの町の外の誰もいない砂漠で神のお触れを先駆けて述べていたことを示す。これに習いローマカトリックは人里離れた場所に修道院を作っている。実際、エリコの町の傍の山には当時から山で修行するラビたちがいた。

「悔い改めなさい」

met-an-o-eh'-o

From G3326 and G3539; to think differently or afterwards, that is, reconsider (morally to feel compunction):—repent.

違った形で考えなさい、後で考えなさい、もう一度考えなおしなさい

つまり罪びとたちは、これを聞いて今まで自分の歩んでいた道が地獄へ至るものであり、みじめな生き方であり、魂の死んでいた生き方であったと理解するように導き諭したことを意味している。

「天の御国が近づいたから。」

天の御国とは旧約の次の預言に示されている。

ダニ 7:13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。 7:14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。

そしてパウロはこう述べている。

ロマ 14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

荒野で呼ぶ者の声とは

3:3 この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。

イザ 40:3 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

ヨハネの名前の意味

John—The original name is nearly lost in the Greek Ιωαννης, and in the Latin Johannes, and almost totally so in the English John. The original name is יהוחנן Yehochanan, compounded of יהוה חנן Yehovah chanan, the grace or mercy of Jehovah: a most proper and significant name for the forerunner of the God of All Grace. It was John’s business to proclaim the Gospel of the grace of God, and to point out that Lamb or sacrifice of God which takes away the sin of the world.

元々の名前はギリシア語、ラテン語、英語のヨハネ/ジョンの中で失われているが、יהוה חנן Yehovah chanan,をくっつけたיהוחנן Yehochanan である。これは「エホバの恵みと栄光」という意味である。まさに全ての恵みの神に先立って、主の通られる道を用意し、主の道をまっすぐにする人としてふさわしい名前である。

そして生まれて命名される時も、当時の習慣では父親の名前を第一子に付けるのが通例であったが、あえて聖霊によりヨハネとされている。

ルカ 1:5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。 1:6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。 1:7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。 1:8 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、 1:9 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。 1:10 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。 1:11 ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。 1:12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、 1:13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。 1:14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。 1:15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、 1:16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。 1:17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」 1:18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」 1:19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。 1:20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」 1:21 人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。 1:22 やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。 1:23 やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。

ルカ 1:59 さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、 1:60 母は答えて、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません」と言った。 1:61 彼らは彼女に、「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません」と言った。 1:62 そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。 1:63 すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。 1:64 すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。

そして次の聖句も旧約の成就である。

マタイ3:4 このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。

これは次の旧約の預言の成就である。

ゼカ 13:4 その日、その預言者たちはみな、預言するときに見るその幻で恥を見よう。彼らはもう人を欺くための毛衣を着なくなる。

そしてアハズヤ王からエリヤに使わされた三組目の50人隊長だけが生き残った時、エリヤも同じ服装であった。

Ⅱ列王 1:7 アハズヤは彼らに尋ねた。「あなたがたに会いに上って来て、そんなことをあなたがたに告げた者は、どんな様子をしていたか。」 1:8 彼らが、「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした」と答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ」と言った。

そして父ザカリヤが聖霊によって語られた時、エリヤの霊と力をもちものだと告げられている。

ルカ 1:17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

そしてこれは旧約の最後の聖句の成就である。

マラ 4:5 見よ。わたしは、【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。 4:6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

そしてそのヨハネが成し遂げたことは次の事である。

マタ 3:5 さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、 3:6 自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

当時、ユダヤの人々にとっては、ヨハネが偶像礼拝、異教徒の迷信、モーセの約束と律法に対する不完全な服従について、これをしないようにはっきりと宣言するまでは、バプテスマを受け考えを変えるということは、それまではあり得ないことであった。

人々はヨハネを通して、旧約の預言の成就を予感し、期待し、バプテスマを受けたのであり、ヨハネもそれを神の使命としていた。

そして神は子どものように純粋に神を慕うものを祝福される。

マル 10:14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 10:15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」 10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

そして多くを赦されるもの、より多く、子どものような気持ちで神を求めたものは多く愛される。

ルカ 7:47 だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」

ここにあるのは信仰だけであり、決して行いにより一流、二流などと区別されたり、断絶されたりというものではない。神は常に何があっても私たちを愛している。人の栄誉を愛さないように気を付けなければならない。

ヨハ 12:42 しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。 12:43 彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。

私たちに大切なのは神とイエスを第一にする信仰である。

ルカ 7:50 しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

そしてこの言葉の解き明かしは次の聖句である。

ヨハ 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。 3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。 3:21 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

彼女の行いは、確かに神にあって為されたことであった。神にあって為されたものに、一流も二流もない。私たちはただ神にあって為されたものを持っていればそれでよい。

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