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2019.11.10 礼拝メッセージ

  • Writer: yoichi
    yoichi
  • Nov 10, 2019
  • 9 min read

Chick-Fill-A ; アメリカのファーストフード店、創業家がクリスチャンであり日曜日は営業しない、教会活動を支援しているなどで知られており、LGBT団体からはターゲットにされている。

先月、イギリスのロンドンに初の店舗を開店。しかしLGBT団体から抗議のデモが発生、モールの運営会社から6か月後の契約更新はしない旨を通告。

LGBT団体はボイコット活動の理由を「Christian Fellowship of Athlete」及び「Salvation Army」の二つの反同性愛を主張する団体に寄付をしていることを証拠としている。今後もこういう活動は続けるという。

世の中は非常に感情的になり、インターネットの感情をあおる世界とコメント類、手法、がそのまま日常に浸透して現実になりつつある。自分が気に入らなければヒステリックになり相手を叩くことで世の中が果たして維持できるのか、私たちは考えるべき時に来ている。

その根底の一つであると思われるのが、ディズニーが成功したピーターパンの物語である。

確かに悲惨な第二次世界大戦の後に、現実には利害を考えて妥協しなければならなず、ある意味、汚れた大人の世界を離れて、純粋な子供のようであり続けることを美化することは、非常に素晴らしいように見えた。

そして子供のままでいること、社会の中で子どものように振る舞うことを良しとする大人が堂々とできてきた。

ピーターパン(或いはピーターパニックと呼ぶべきか)の問題は、彼らが決してNEVERLANDから出ようとしなかった事です。彼のNOWランドはNEVERランドになっていたのです。彼は病いの身ではなく、彼はただそこに居ることに固執していたのです。それは彼が選んだ結果でした。それは彼の両親が彼を孤児の身にしたことに対する心のキズに対する反応であり、彼の今(NOW)に影響を及ぼし、未来を妨げていたのでした。彼の歌のNEVERLANDを聞いてください。「僕は大人になんかならない、決して (NEVER)そうしようとはしない。ピーターが思う事をして、彼には決して(NEVER)何でとは尋ねない。僕は大人になんか決して(NEVER)ならない、大人になんか決して(NEVER)ならない、大人になんか決して(NEVER)ならない、僕がじゃない、僕じゃない、僕がじゃない」彼の NEVER的な視点は彼の英語にも出ていたのです。

私たちは誰しも時としてNEVERLANDを通り過ぎるのです。誰しもがこの様なフレーズに覚えがあるのです。「自分はルックスも悪ければ、頭も悪い、金を持ったことなどない、ステータスを持ったこともない、学位も持ったことがない、長い休暇も取ったことがない、チャンスを手にしたこともない、未来を実現したこともない。」耳に覚えががありますよね?不可能、後悔、不平の雲の中で暮らしているのです。誰がその不平の矛先になるのでしょうか? 神、自分の家族、配偶者、友人、置かれている環境、そして自分自身(自己憐憫)なのです。気の毒です。

ピーターパンの物語の真のヒーローは孤児の少年ではなく、むしろウェンディとその兄弟達であり、彼らはNEVERLANDがしばらくの間、心地良くなる様に、今(NOW)、次(NEXT)にすべき事を喜んで実行したのです。しかしワニとの追っかけっこや空を飛び周りながらも、それは家族のいない寂しさを埋め合わせることにはなりませんでした。次(NEXT)は今(NOW)訪れ、「決して(NEVER)」は彼らが次(NEXT)に進む事を阻むことはできませんでした。人生に戻る時が来たのです。彼らが大きくなってもさらに成長する時であったのです。どの様な人生を彼らは手にしたのでしょうか?彼らは新しい家族の元へ戻り、彼らの次(NEXT)と彼らの今(NOW)を手に入れたのです。

大人へと成長することとは何か?

詩119:66 よい分別と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じていますから。 119:67 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。 119:68 あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。

分別

Taham

認識、知性、理解、必ずしなければならないこと

詩 119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。 119:72 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。 119:73 あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください。

「恵み」;ヘブル語では叱責であり、憐れみを指す。

・小さい時、従弟が灰皿のタバコの灰を食べてしまい、看護部であった母親にすぐさま口に手を入れられ全てを吐き出させられ、病院に連れていかれて大騒ぎになった。

これは何も知らない子供は、自分で思った通りに好き勝手に振る舞うが、しかし、その結果、命を押しとしかねない行動をするものであり、それを叱責して二度としないように教え、生きながらえていけるようにするのが親としての教えである。

神も同じように、私たちが自由に振る舞い、その結果、魂の死を招かないように叱責し教えていく。そして成長していく。それが「恵み」と言われるものである。

ヨセフ

37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。

ヨセフは思いやりや節度を父から習っていなかったようであり甘やかされて育っていた。羊の世話をする年齢であれば、集団の中でどう振る舞い、皆と暮らすかを習得する必要があったが、そうではなかったようである。

箴23:14 あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。

37:3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。 37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。 37:5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。 37:6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。 37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」 37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。 37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです」と言った。 37:10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」

18:6 愚かな者のくちびるは争いを起こし、その口はむち打つ者を呼び寄せる。 18:7 愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分のたましいのわなとなる。

箴16:18 高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。

まさにヨセフは、汗をかいて暮らしを維持している兄たちを尻目に、Facebookで暮らしの自慢をするかのように、自分の手にした衣を見せびらかし、見た夢を語り、鼻持ちならない人物であった。

大人になり切れていない、ビーターパンのような男であり、自分勝手な自由な振る舞いが軋轢を起こしていった。

しかしヨセフはその後の奴隷としての生活、監獄の中での生活で、へりくだりと謙遜を学んだ。命を落とさずに済んだのであり、そしてそこから先に進み良い人生を他に入れる基礎を作ったのであり、ヨセフへの教育としつけを怠ったヤコブに代わって、神の与えた神の「恵み」、即ちその後の人生を間違わずに生きるようにとの訓戒と教え、そのものである。

しかし人は簡単には変わらない。ヨセフは兄弟を憎み続け、その荷物に銀の盃を入れ罠にかけた。ここまでの行動はヨセフは彼らを赦せない気持ちで満ちていた男である。その点では彼も罪びとである。

ルペンの反省がヨセフの心を揺らす。

42:21 彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」 42:22 ルベンが彼らに答えて言った。「私はあの子に罪を犯すなと言ったではないか。それなのにあなたがたは聞き入れなかった。だから今、彼の血の報いを受けるのだ。」 42:23 彼らは、ヨセフが聞いていたとは知らなかった。彼と彼らの間には通訳者がいたからである。 42:24 ヨセフは彼らから離れて、泣いた。それから彼らのところに帰って来て、彼らに語った。そして彼らの中からシメオンをとって、彼らの目の前で彼を縛った。

そしてユダが悔い改めの口を開き、自分の身を差し出す。

44:32 というのは、このしもべは私の父に、『もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります』と言って、あの子の保証をしているのです。 44:33 ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。 44:34 あの子が私といっしょでなくて、どうして私は父のところへ帰れましょう。私の父に起こるわざわいを見たくありません。」

そしてヨセフの氷っていた心は解け、神が何をしようとしていたのか、その御心に気づく。

その時、もはやヨセフは以前のような高ぶりはなく、真に謙遜さを身に着けた神により磨き清められた者としての役割をしっかりと果たすようになる。ここにヨセフの成長がある。

45:8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。

そして素晴らしい言葉を語る。

50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。 50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。 50:21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。

主によって時間をかけて、懲らしめられ、恵みとしてその教訓を学び、自分の主張を丸出しにしていた子どもの自分から、相手と全体を考え思いやることのできる大人へと成長した時、子どもが自分のおもちゃや欲しいものを単に手にするのとは全く違う、スケールの大きな主の祝福が訪れるのである。こういう視点が今の世の中に必要ではないでしょうか。

ヘブル 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

ヘブル 12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

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