10月13日 礼拝メッセージメモ
- yoichi

- Oct 13, 2019
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サンダースさんたちから学んだ話。
彼らは以前、ロンドン近郊の教会で牧会をしていたが、家族の価値をいつも掲げて話す一方で、ロンドンでは東京と同じように移動に時間がかかるため、多くの人々が時間をかけて日曜日に教会に集まり、一日そこで活動をして家族との時間を犠牲にしていた。
教会を建て上げていこうとすると、一層、聖書の概念から離れ、教会という権威を作ることになり、心苦しいものがあった。だから教会を離れた。
結局、悔い改め変わることができるのは一人ひとりであり、教会全体の動きではない。
その中でどういう形で世の中にアプローチしていくか、特に同性愛者や色々な政治的な主張を人々は持っている、これをどうするか話した。
NBAのヒューストンロケッツのマネージャーが香港の運動に賛意を示したところ、中国から反発、NBAの中国ビジネス(テレビ放映など)に影響が出だしている。「あなたにそれを言う権利はない」即ち、中国とビジネスをしたければ、中国の権威に従え。
同性愛や色々な主張をする団体も同じ。反対の意見を述べると炎上、「世の中の権威に従え」。彼らの理屈は欧米の教会の権威、即ちキリスト教的価値観を打ち壊すように創られている。
私たちは世の中で、ビジネスをしようとすると、神の論理で動いていない世の中で、「世の権威」と取引をしながらうまくやっていかなければならない。
極端に言い方をすると、ちょうどNBAが中国でビジネスを拡大しようとすると、中国に都合の悪い面に顔をそむけることが必要になってくるのと同様に、私たちは世の中に出ようとすると、世の中の権威に都合の悪い部分と妥協する点を探さなければならない。
これは正に次の縮図。
マタ 21:23 それから、イエスが宮に入って、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」
詩 2:2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、【主】と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
あるいはエレミヤのような仕打ちを受ける。
エレ 18:18 彼らは言った。「さあ、私たちは計画を立ててエレミヤを倒そう。祭司から律法が、知恵ある者からはかりごとが、預言者からことばが滅びうせることはないはずだから。さあ、舌で彼を打ち、彼のことばにはどれにも耳を傾けまい。」 18:19 【主】よ。私に耳を傾け、私と争う者の声を聞いてください。 18:20 善に悪を報いてよいでしょうか。まことに彼らは、私のいのちを取ろうとして穴を掘ったのです。私があなたの御前に立って、彼らに対するあなたの憤りをやめていただき、彼らについて良いことを語ったことを、覚えてください。
エレ 20:8 私は、語るごとに、わめき、「暴虐だ。暴行だ」と叫ばなければなりません。私への【主】のみことばが、一日中、そしりとなり、笑いぐさとなるのです。 20:9 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。 20:10 私が多くの人のささやきを聞いたからです。「恐れが回りにあるぞ。訴えよ。われわれもあいつを訴えよう。」私の親しい者もみな、私のつまずくのを待ちもうけています。「たぶん、彼は惑わされるから、われわれが彼に勝って、復讐してやろう」と。
イザ 29:21 彼らは、うわさ話で他人を罪に陥れ、城門でさばきをする者のあげあしを取り、正しい人を、むなしい理由でくつがえす。
そしてそれらのたくらみは次のいずれかに陥る。力か律法のいずれか。しかし、力を用いるには時の政府に悪意を持つ人だと立証し、嫌われるようにしなければならない。
ヨハ 18:31 そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
律法で裁こうとするとするなら、その人が大衆から嫌われるようにしなければならない。
使 18:15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」
だから当時の祭司たちはイエスの悪口を言いふらし、評判を落とそうとした。あるいは見せしめとしてつるし上げ、彼に加担するとこうなると示した。
これは今の同性愛者や政治的な権利の主張、NBAと中国の問題のパターンでもある。
箴 26:23 燃えるくちびるも、心が悪いと、銀の上薬を塗った土の器のようだ。
銀の釉を塗った土の器 ; 品の無い、安っぽいもの。見た目も粗悪。
しかし、イエスはこう対応した。
マタ 22:15 そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。 22:16 彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。 22:17 それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」 22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。 22:19 納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。 22:20 そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」 22:21 彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
サンダースさんたちは、いろいろな主張/思想の人たちと話すときに、彼らの持つそのロジックに沿ったあらかじめ決められている質問には答えない。(人は平等ではないか、人は自由ではないか等) ただその人が神にどのように創られたのか、それを妨げているものは何か、だけに焦点を当てて話をする。
もう一つ大切な概念。
マタ 22:23 その日、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問して、 22:24 言った。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない』と言いました。 22:25 ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、その妻を弟に残しました。 22:26 次男も三男も、七人とも同じようになりました。 22:27 そして、最後に、その女も死にました。 22:28 すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。彼らはみな、その女を妻にしたのです。」 22:29 しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。 22:30 復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。 22:31 それに、死人の復活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。 22:32 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」 22:33 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。
「同性愛」というのは一つの罪の形であり、神の前においては、姦淫であろうが、不倫であろうが全て同列の罪であり、そこに差はない。ただ相手が異性か同姓かの違いしか存在しない。そこにこたえる必要もなければこだわる必要もない。人は常に罪を抱えて生きているのが当たり前である。義人は誰もいない。大切なのは救いを語ることであり、その人が神によってどのような人として本来は創られているのかを語りながら解き明かしていくこと。
南アフリカの同性愛者の姉妹の話。
使 26:8 神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。
使 24:15 また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。
エペ 2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、 2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。 2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。 2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、 2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。 2:7 それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。 2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 2:9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
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