轍の中に入り、そこから抜け出す
- Ed Delph

- May 10, 2019
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二匹のカエルが道の真ん中にあった轍の中をはねていました。一匹のカエルは轍の中にいるのに疲れてそこから飛び出ました。その自由になったカエルは、もう一匹のカエルに同じようにするように促しました。しかしもう一匹のカエルは轍の中の人生にすっかりなじんでしまいました。そのカエルは、そびえたつ轍の溝が飛び出るには高すぎるように思ったのです。
突然、大きなトラックが彼の方へときました。そのトラックは絶望的になったカエルと同じ轍を走ってきました。そのカエルは気づきの時を迎えました。全身の力を込めてカエルはその轍から飛び跳ねて出ました。教訓;そこから逃げ出すべき大きな、大きな理由がない限りは、そこから出ようとしない。問題はカエルがそこから飛び跳ねて逃げられなかったのでもなければ、そうすべきではないと思ったのではないのです。問題はカエルがそうしなかっただけなのです。
何年も牧師をしていて、私は人を轍に居るままにしてしまう二つの理由に気づきました。第一の理由は、自分が過去に犯した過ちです。それは自分の間違い、あるいは悪い意思決定の結果であり、自分で知っているのです。自分で傷つき、自責の念に駆られ、気まずい思いをし、恥を感じ、罪責感などを、自分の行為により傷つけてしまった人々に対して感じているのです。
その結果、私たちは「ああだっら、こうだったら、こうしていたら」の轍にはまるのです。過去に戻れたらいいのに、自分がしたことや行ったことを変える事が出来たら、そしてそこからやり直せたらと思いながら時間を過ごしていくのです。もう一度やり直したい! これは、しかし良い兆候なのです。なぜなら、自分がその問題を作り出してしまったことを受け入れているからです。しかし、しの半面、自分で行ってしまったことについて自分を責め続け、恐らくは永遠にそれを続けてしまうことは良くないことです。
轍が私たちを捉える第二のケースは、人々や組織に何かをされた場合です。自分は被害者のように感じるでしょうし、恐らくはそうなのです。しかし、被害者感情という轍の中に捕らわれてしまうと、そこに長くとどまってしまう傾向が強いのです。非難し、裁き、感情を表に出し、自制心を失い希望も失うのです。自分の身に起きたことで怒り、落胆するのです。私たちは自身の個々の傷や裏切られたことを何度も何度も悲しみ慰めるのです。問題は、被害者が自分で預言を成就する預言者になってしまうことです。被害者コンプレックスを持つ人々の多くは決して回復しないのです。より苦くなるのです。そこに留まるのです。ある人はさらにその轍で車にひかれてしまうような事になるのです。気づいてください。その相手と面と向かって張り合っている限りは、相手よりも先に進むことができないのです。
神は私たちとただ一緒に過ごしたいと思っているのではないのです。神は私たちと乗り越えたいと思っているのです。どうやって? 神の恵みを私たちの存在意義の上に置くことによるのです。神はその言葉でこう言っています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)
すべてのこと、とはすべてのことを意味するのです。それは私たちの失敗、進んだ道、後退してしまったこと、恥、非難、過去、他人によって傷つけられたこと、その全てを含めてです。神は私たちの上に降りかかったすべての災いを手に取り、私たちが他人に対してしてしまったすべての過ちも手に取り、贖い回復させるのです。悪を試みたことを、神は用いて私たちの良きことへと変え、他人への良きことへとも変えてしまうのです。主はこのことを主の祈りの中で語っています。「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」
私たちを傷つけるのは私たちに行われてしまった罪ではないのです。傷つけるのは、怒り、恥、悲しみ、苦さ、あるいは裏切られた感です。神は傷の一部である罪をまず最初に取り扱います。神は私たちが他社に対して犯してしまったすべてを赦し、それとともに他人が私たちになしてしまった全ても赦すのです。そして神は私たちに起きている感情的な傷をいやし、その傷から解放し、無限にそれをなすのです。ここに轍についてのいくつかのアドバイスがあります。自分に起きたことの中に目的を見つけるのです。最悪の事態とは、自分の身の上に起きてしまったことが、そのまま人生を通しての指名になってしまう、あるいは生きる意義になってしまうことです。私たちの人生の上に与えられる神の恵みは、単に私たちの良きことの為におかれるのではなく、私たちを通して、しかも反対側へ向けて、神の素晴らしい恵みが流れ、自分を傷つけた全ての人々にふれていき、さらには自分が傷つけた人にも流れるのです。
神の恵みを受け取ることにより、私たちの身の上に起きること全てを私たちの良きことと神の恵みのために働くようにし、地獄への門を閉じ、天国への全ての門を開け、私たち自身と私たちを傷つけた人々全てを自由にしましょう。
私たちがこれを成すとき、その轍から単に飛び跳ねて出ただけだと知るのです。皆さんができると私は知っています。
エド・デルフ/Ed Delph May 13, 2019 CCC


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