説法せず、教えず、絶叫せず、嘆願せず、コミュニケーションしましょう!
- Ed Delph

- May 30, 2020
- 6 min read

私は人々とコミュニケーションをとるのが好きです。私は牧師で、話し手で、作家で、しかし、多くの人は私はそれ以上だというのです。私はコミュニケーションをとるのです。私は、説法したり、教えたり、懇願したり、絶叫したりはしないのです。私はコミュニケーションをとるのであり、少なくともコミュニケーションを取ろうとします。私のゴールは、聴衆と私のメッセージを実感をもってクリエイティブに、思いや行動を人々を高める方向にシフトさせることです。
ウェブスター辞書はコミュニケーションを個人間の情報の交換をシンボル、サイン、行動の共通体系を通して行うプロセス、考えを効果的に証言する技術、情報を送り出す行動や瞬間と定義しています。
短い中に多くの事を述べていると私が言うところのTシャツの文字の例があります。これらの言葉は短く、面白く、ちくっとするものがあり、そして創造的にコミュニケーションをとるのです。「自分にツィートして欲しいように、他人にツィートしなさい。」「家とは、自分のwifiに自動的につながる場所です。」「もし、スペースが最後の冒険の場所だというなら、私のガレージを見るべきです。」「バクテリア – ある人たちだけが持つただの文化」「看護師に親切にしなさい。彼らは医者があなたを殺すことから守ってくれるのです。」「代数学さま、どうかXを見つけよというのをやめてください。彼女は決して戻っては来ず、Yについても尋ねないのです。「90%は優良、15%は数学でもらった落第スコア」「ビッグフットが私を見つめたが、誰も彼を信じなかった。」「火葬とは、熱い体でタバコを吸う最後の望み」「鳥たちは#%&%と何を朝五時から興奮しているのだろう。「私のお気に入りの運動は、つまらないスクワット」
リフレッシュを感じましたか? これらの言葉は一つの目的の為に創造されました。何かを伝えるための従来の方法を超えて、何かを伝えるためです。この場合、それはT-シャツを売ることを意図します。しかし、それを見る人たちとの間でメッセージをつなぐのです。人々は自分でこう言うのです。「あ、そうか! それはいい! それを自分が言う言葉以上に強力に説得力を伴って言える。単に喜んで買うだけではなく、その歩く広告看板になろう!」
私は、ここアリゾナ州フェニックスのホサナ クリスチャン フェローシップという地元教会の選任牧師になった時のことを覚えています。私の信徒たちの大半が既に知っているようなことに関して、将来の視野や行動を変え、移行させることにつながるような方法でコミュニケーションを取りたかったのです。人々は尊大にその話題を語りますが、聴衆とそのメッセージをつなげるような方法でコミュニケーションが取れていなかったのです。
その日、私が引用した聖句はルカ8:11でした。「このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。」つまり私の話題は神の言葉についてとなる予定でした。神の言葉について何度も聞いていた人々にどうやって私はコミュニケーションができるのか? どうやって彼らの世界にインパクトを与えて、何かの実生活への当てはめを生み出すような解き明かしをする情報によって、彼らを変えることができるのか?どうやったら私は驚くような方法で短い言葉の中に数多くの含蓄を伴い、多くの教会の人々を眠らせてしまうつまらない礼拝の秩序を打破できるのか?
私はイエスが神の言葉は種のようなものだと言ったことに気づきました。良い土に植えられれば、それは大きく、より良く、より素晴らしいものに成長するでしょう。私は種苗店に行き、きれいなトウモロコシの種を50kg買いました。そして私は小さな白いポリ袋に500gを入れました。残りはステージの後ろに隠しておきました。
私が語り始めると、私はいつものスタイルで語り始めました。聖書の引用箇所を示し、例えを用い、その聖書の例えが何を意味しているのかを説明、等々しました。全てはそうあるべき形で進みました。メッセージが25分ほど進んだ時、私は先ほどの小さな種の入った白い小さなポリ袋を取り出して語り続けました。
そして気持ちを一気に盛り上げ、講演者からコミュニケーターへ、教えることから学ぶことへ、一方通行の非参加型講演から、会衆との双方向の関係へと切り替えたのです。私はこう尋ね始めました。「この袋の中の種の良いこととは何でしょう?それは広まり、植えられ、何かを生み出すことです。」
私は話しながら、その小さな袋に手を入れ一握りの種を会衆の中に放り投げました。そして私はもう一握り、そしてさらにもう一握り。会衆は最初は衝撃を受けていました。それは予期せぬことだったのです。800席ほどの礼拝会場全体に種が撒かれたのです。しかし、すぐに人々は笑い始めました。「あ、そうか。わかった。これが種だ。私たちが世界中の世界中まで蒔かなければいけないものだ!」
その小さな袋の種を蒔き終えた後、私は少し静かな態度にしました。私は言いました。「種まきの三つの法則を学びましょう。1.自分が蒔いたものを自分が刈り取る。2.自分が蒔いた以上に刈り取る。3.自分がまいたしばらく後で、刈り取る。」私は次の言葉で締めくくりました。「控えめに蒔いたら、収穫は控えめなのです。」
この時点で、誰もが静まりました。そして、もう一つの「突然」が起きました。私はステージの後ろに走り、片手に大きなショベルを手にしてトウモロコシの入った大きな袋を引きずりだしました。聴衆は唖然としました。そうです、お分かりでしょう。ステージの前に立ち、ショベルをトウモロコシの山に突き刺し、人々の方へとトウモロコシを放り投げ、それを袋が空になるまで続けたのです。誰しも最初は目を疑いました。やがて人々は理解しました。自分が控えめに蒔くなら、控えめに刈り取ることになるのです。私はコミュニケーションに成功しました。私が知る限りの人々は、この時のことをだれも忘れていません。
恐らくは、一部の人は嫌悪感を感じたことでしょう。しかし、多くではなかったのです。髪の上に乗ったトウモロコシ、シャツやブラウスの中に入ったトウモロコシ、座席や通のトウモロコシによって、人々は影響を受けたのです。彼らは知識から理解へと移行したのです。礼拝に訪れていたカトリックの方がその礼拝後に私のところに来ました。何も献金についてはメッセージで語らなかったのですが、私たちが切実に欲しいと願っていた新しい椅子を買う資金として20,000ドルを彼は差し出しました。彼はこう言いました。「私がそれを見たとき、良い投資を知りました。私は豊かに種を蒔きます。」
もし皆さんが人生を向上させたいと思うなら、コミュニケーションを学びましょう。ところで、クリスチャンたちが毎日の会話で神について語ることで腹を立てないでください。彼らは自分たちがすべきこと、すなわち種を蒔くことをしているだけなのです。
エド・デルフ/Ed Delph June 1, 2020, CCC
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