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自分を内側から外側に扱う

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Jul 10, 2021
  • 5 min read

Updated: Mar 29, 2022


最近、私が会う多くの人々が将来について不安を抱いています。私は彼らを責められません。私たちは、今までこのような状態に陥ったことがないように感じているのです。「すべてのことを揺るがすような」ことが人々の内面と外面の両方に起きており、セメントでできたライフジャケットを身につけさせているような状態に陥らせているのです。未来に「もしこうなったら?」というのは私たちの顔から始まるのです。私たちは、誰かがこれについてどうすべきかを知っていないか、あるいはそれがどうなるのかを知りたがるのです。プレッシャーや脅しはいつもそこにあるのです。閉じられてしまった夢にこれを加えるなら、圧倒されしり込みしてしまうのです。


多くの人々が感じていることを描き出しているお話があります。パラシュート部隊の軍曹として、私は夜間訓練に参加した。一度、降下訓練学校を出たばかりの新人中尉の隣に座った。彼は静かに座り、顔は青ざめていたので、私は会話を始めた。「怖いかい、中尉?」私は尋ねた。彼は答えた。「いや、ちょっと心配しているだけさ。」そこで私は尋ねた。「何が違うんだい?」彼は答えた。「それは僕が怖がっているという意味だね。でも大学で教育を受けているんだ。」アメリカ合衆国においては、ある人々はWi-Fiを除いては全てがローマ帝国の崩壊のように感じているのです。


今日は内側から外側に向けて私たち自身を管理することを考えてみましょう。中国語の文字で危機を意味する文字はチャンスを含んでいることをご存知ですか? 中国人は危機をチャンスと見ているのです。彼らは危機を、人生について私たちが何かを学ぶ教室のようにとらえているのです。困難は チャンスへの道なのです。私はこのように言いたいと思います。私たちが神を見失った時、私たちは神について学ぶのです。神の恵みは結果を見つめているのであり、私たちを見捨てることを拒否しているのです。


このことを考えてみましょう。自分の内側の人生を持たない人は自分の外側の環境の奴隷なのです。私たちのそばに誰もいない時、自分の内側の思いを管理し、静かに座り、道がないように見える時にも神が道をお創りになることに妥協せずに頼るのです。正直に言えば、私は神を持たずに受け身であるよりも、神と共に行動的であることを好むのです。私たちを死に至らせないものは何であれ、私たちを強くし、内面的に良くするのです。


多くの場合、危機はテストです。いろいろな種類のテストがあるのです。例えば、落胆のテストがあります。清さのテストがあります。神を捜し神に救いを問い尋ねるテストもあります。態度のテストもあります。人格のテストもあります。忍耐のテストもあります。信頼のテストもあります。テストに合格したら、先に進めるのです。教室から歩いて出て行ってはいけないのです。神あるいは自分から、早退してはいけないのです。人生において最も意味ある霊的信仰的な戦いの後に、一段高い先へと進むことが来るのです。こう考えましょう。「なぜ自分がこんな目に?」から「なぜ。自分以外に起きていないのか?」


時として私たちは他人が自分をどう思っているかについて心配します。時として問題の根に関係する私たちの決で、恥ずかしい結果になったりします。ヒント;自分について他人がどう思うかについて心配しないでください。他人が自分のことをどう思うかは、自分とは関係ないのです。多くの場合、もし私たちが全ての問題を脇に置き、全ての他人の問題を見るなら、私たちはもしかしたら自分の問題を抱えたままの方がましだと思うのです。ある人々は、あなたにとっての最悪の日でも欲しがるかもしれないのです。


常に不安に駆られていますか? Corrie Ten Boomはこう言いました。「心配は明日の重荷を今日の力で担ぐようなもの。二日分を一度に担いでいる。時と共に明日へと移り変わる。心配しても明日の悲しみをなくすることはできない。今日を生きる力を失わせるだけ。」心配はトラブルが起きる前に、まだ払わなくてもよい利息を先払いするようなものです。ナイジェリアの教育家Babatunde Olatunjiはこう言っています。「昨日はヒストリー。明日はミステリー。今日は? 今日は贈り物。だから今をPresentというのです。」私たちは今のプレゼントを開いているのです。


聖書はこう言っています。「期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、いのちの木である。」(箴言13:12) 多くの人々は期待が長引く部分、すなわち絶え間ない失望の部分を見つめているのですが、その続きの文章を見ていないのです。ヘブル語はこう言っています。突然の変化はやってくる。神は突然の変化をもたらすことが出来るのであり、私たちの希望や人生を再び回復するような、突然の変化を神が創ることが出来るということを忘れないようにしましょう。自分がすべてを失い倒れた時、神は何かを手に持っているのです。


ですから、自分をどう内側から外側へと管理するのでしょうか? 試練の時には、私たちの内側の人生、私たちの内側の思考方法は、平和的ではない時に平安を保つのには必須なのです。私たちの最善の友人、或いは最悪の敵は私たちの思考なのです。ある種の思いというのは、医者、友人、銀行或いは政府よりも大切なのです。しかし、不幸にして、ある種の思いはセメントでできたライフジャケットよりも更に危険で私たちに害を与えるのです。自分の思いを選ぶのであり、そして賢く選びましょう。


このことを考えてみてください。不安な人が捜し求めているのは平和です。不安が人にどういう影響を与えるかを経験で知っていた使徒パウロは、聖書の中の理解と誤解を越えて平安への道を解き明かしています。


「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」(ピリピ4:8-9)


皆さんの今日の持ち帰りです。真の平和は、私たちの人生を丁寧に神の意志に合わせていくことです。


エド・デルフ/Ed Delph July 12, 2021, CCC


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