自分の内側に対する素晴らしいガイドについて知る
- Ed Delph

- Jul 24, 2020
- 5 min read

自分の所得税を支払うお金が必要となった泥棒がある店の金庫を盗もうとした。金庫の扉に次の張り紙がしているのを見つけると、泥棒は喜んだ。「ダイナマイトを使わないでください。金庫はカギがかかっていません。ノブを回すだけです。」その通りにしました。重たい砂袋が彼の上に落ちてきて、投光器の明かりで周囲全て隈なく照らされ、警報が鳴り響きました。ストレッチャーに乗せられ、警察官によって運ばれながら、彼はこう呻きました。「人間というものの性質に対するオレの信条が、根底から揺らいだ。」
今日私が導きたい人々に、この話が描いているものは必要なのです。私たちはそれを閉塞させ、冷や水を浴びせ、傷つけ、或いは冒涜することもできます。しかし、それから決して脱することはできないのです。それはそこに存在し、私たちが内側に存在すると知っている最も高い基準にしっかりとくっついているのです。誰もがそれが自分に語り掛けるのを耳にしており、私たちを祝し、確信を与え、忘れていたものを思い出させ、あるいは私たちを導こうとするものです。私は誰の何について今日話しているのでしょうか? 自身の良心について紹介させてください。Charles Wesleyは私たちの良心についてこう述べました。「常に見ている神への恐れに内在する原理」
ギリシア語においては、良心とは「自分のものとして知ること」を意味します。ギリシア人は、その毎日の会話の中で良心を用いていました。それは「自分が間違えたことを行ったときに、自分が感じる痛み」を意味します。私たちの心の中にもつ分類基準からみると、良心とは私たちの行動が正しいかどうかを示唆する内的分野なのです。
作家のWarren Wiersbeはこう書いています。「良心とは法ではなく、良心とは法を見守る立場を担うものだ。両親は基準ではない。両親とは基準を見守る立場を担うものだ。良心とは裁き判断するものだ。良心は法を作ったり、可決したりはしない。良心は法に対する証人なのだ。」私たちの良心とは、もしそれに耳を傾けるなら、神の高み、個人の最善、社会の最善へと導く神により与えられたものなのだ。」とても頭の痛いものですよね。
以下に賢いリーダーたちによる私たちの良心についての解き明かしがあります。「良心とは人の方位磁針のようなものだ。」ビンセント・バン・ゴッホ。「良心とは人生の完全な通訳者だ。」Karel Barth。「良心とは、魂の中に対する神の声として、かくして説明される。」Peter Kreeft 。「理由は時として間違いを犯すが、良心にはそのようなことはない。」Josh Billings。「自身の良心とは、自分勝手さに対する正直さの計りである。よく注意して聞け。」Richard Bach。「品格(良き良心から来るもの)は自分がしたいと思わないことを行うが、自分がすべきと思うことを行う。」Joyce Meyer。「良心とは、必要以上に沈黙を保つのであり、だからこそ法が制定された。」Jose Saramago。
私たちが試験でカンニングをしたとき、嘘をついた時、内心はすべきではないと思っている事をした時、私たちの良心は私たちに思い起こさせ、悩ませるのです。私たちの内側の何かがこう言うのです。「相棒、これを忘れているぞ!」もちろん、先ほどの強盗のように、私たちは、平安と繁栄を人生の様々な大切な領域に以前はもたらしていた良心を、自分を悩ませることがないように虐待してしまうのです。人や社会がそうなってしまったとき、それは悪い兆候なのです。Honore’ de Balzacはこう言っています。「良心とは、その息の音を止めてしまわない限りは、私たちの誤りのない審判である。
ある人々は、良心とは私たちの中に組み込まれたもの、即ち、進化から来るものだと信じています。ある人々は良心とは私たちの周り、即ち社会に立脚した基準から来るものだと信じています。ある人々は、良心とは私たちの内側から来るもの、即ち、私たちのしつけや家族の基準から来るものだと信じています。しかし、社会やしつけは私たちに基準を与えるのですが、良心は与えないのです。では私たちの良心はどこから来るのでしょうか?
聖書はローマ人への手紙2:14-15で、良心とは私たちの上から来るものだと言っています。良心とは世界のどこの国の人々の中にもあるのです。それは共通の源を持っているのであり、共通の源とは神なのです。神は全ての人類に良心と言われる機能と、最高の基準という良心が働かせるものを与えたのです。全ての人は、内在的に一般的な感覚として何が正しく、何が間違えているのかを知っているのです。全ての人は、良いことをしたい、良いものでありたいという神が分け与えた渇望を生まれたときに持っているのです。私たちの良心に対する外部からの影響が、もし私たちがそこに扉を開くなら、それを凍らせ、嘆き、冒涜し、ついには悪い良心へと至らせるのです。
実際、私たちの良心は私たちの導きとして神によりデザインされているのです。それは私たちの選んだ基準によっては私たちを助け、傷つけるのです。ヒント;自分の外部から耳にした「間違いであろうが、正しかろうが、私は自分が今欲しいものを手にする」という自己中心的で、自分が全てを手にしようとするような意思決定を続けることにより、自分の良心を機能不全に陥らせないでください。健全な良心に対する最高の食べ物は、神なのです。それが自分と自分の良心を高く上昇させていくものなのです。
良い良心を持ちましょうというテーマが古臭いものだと考えないでください。ニュースを見てみてください。神から来る良い良心、明確な良心、汚れていない良心こそが私たちの必要なものです。何故でしょうか? それは悲劇のない人々、社会、そして世界、或いは良い良心が為すことのできるものは、素晴らしく美しいからです。
あ、自分の良心からの最後に思い出してほしいことです。連れを読んでいる途中に死んでも、自分が良いものに見えるものを常に読んでいましょう。
エド・デルフ/Ed Delph CCC July 20, 2020
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