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人生を通して若々しく

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Aug 10, 2019
  • 5 min read

Updated: Aug 13, 2019


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この短いお話で始めさせてください。ある医学生がレントゲンの授業で落第点をもらったことで衝撃を受けた。彼は教授のところに行き、何故落第点になったのか問いただした。「君は自分を取ったレントゲンを覚えているかね?」教授は尋ねた。「もちろんです。」生徒は答えた。「良く取れた画像だった。」教授は続けて言った。「君の肺、胃、肝臓。。。」「ちゃんと取れた画像なら、どうして私に落第点をつけたのですか?」「わたしには選択の余地はなかった。」教授は言った。「君はここに心臓(ハート)を含めなかったのさ。」

2019年8月23日で私は70年生きたことになります。私はこの年齢に今まで達したことが有りません。私がここアリゾナ州フェニックスで過ごした子ども時代は銀河のはるかかなたの出来事のようにも思えます。私が生まれたときには恐竜がいたような気もします。私は最近、ある骨董品展示会に行きましたが、人々は私を競り落とそうとしました。私の退職後ですべきことは、ただ一つです。起きること。私は60年代を二度生き延びました。私のところの入り口のドアマットにはこう書いています。「ゆっくりノックをしてください。ズボンをはいている最中です。」

私が空を見上げると、私はどの雲(クラウド)が私のデータを保管しているのかわかりません。火葬にされることは、温かい体を煙にする最後の望みです。野生カラスムギのようだった私の若い時の楽しみは、いつ砕かれた小麦のようになったのでしょうか? 私は風のように走りました。私の胃はもうがつがつ食べようとはしません。”L”はただの沈黙です。私が店に行ったとき、私の妻はこう思っていました。「私の心からの友達は、引いて開く扉を押しながら、そこに立っている。」

私が人々を観察すると、私と同年配の人がなんと年老いて見えることに驚きを禁じえません。それは非難ではなく、観察です。もちろん、ある人は大きな健康上の問題を抱えているでしょうし、人生でのつらいことが有り、肉体有働、遺伝要因、その他の事などが人々をより老けて見せるのです。

私のこの人生のステージにおいてある人が最近私に気づかせてくれたことを皆さんと分かち合わさせてください。老いも若きも、この解き明かしはその考え方や見方さえも変えてしまうかもしれません。70歳年上であるということは一つの事ですが、70歳年下であるということはもう一つの事です。

最近、私は南アフリカに三週間滞在し、関わることをテーマに話をしてきました。南アフリカの北端から南端まで、7つの街でビジネス、教育、教会の会合において話をしてきました。ある土曜日は、午前九時から午後九時まで、ランチと夕食の時間以外は壇上で正式な講和を五回しました。その滞在中には20回以上の講演を行いました。

それは誰もが私にこう問いかけ続けているかのようでした。゛あなたはおいくつですか?」「すごいエネルギッシュですね。身近な感じで、気さくです。私たちを吐け増してくれました。これは何か違いました。私たちの中に個人的なリバイバルを作り上げてくださいました。私たちに前に向けてゆく道を指し示してくださいました。60代前半でしょう?」 これは人々が私に言った言葉であり、私の言葉ではないことを知ってください。私がシンガポールで講演している時、中華系の英語を話す方が私を50代後半だと思っていました。今のところ、私は年齢に関してはステルスにして旅行しているのです。

私の旅行中にある人が私の年齢を推測しました。私は彼にもうじき70を超えると言いました。それは彼にとっては驚きでした。そして彼は私が忘れることのできない一言を言いました。それは私を揺り動かしました。私を変えたのです。それは今まで私が見たことの無いような人生観への鍵であり、私が今見ている人生観となったのです。

以下が彼らの見ているものです。「私はあなたが、同年代よりも若く見え、若く考え、若く話すようになっているか理由がわかります。あなたは前を見ているのです。あなたは前を考えているのです。あなたは同じことを繰り返しているのではなく、前に進んでいるのです。ま成すべきことが有り、それをご存知でしょう。」私はそうしていることを自覚していませんでした。彼は、現実的で、質の高い人生の原理について美しく述べた言葉を私に与えたのです。

以下に原理原則があります。非常に困難な健康上の問題や人生の問題がないとすれば、黄金時代に金を見つけるカギとは、前を向いて前を見続けることなのです。多くの老人たちは前を向き、これから先について考えることをやめ、前へと歩み続けるモードから、その場で生き残ろうとするサバイバルモードへと変化してしまうのです。今回のお話の冒頭に書いたたとえ話のように、その人生の中に心臓(ハート)を入れることをやめてしまうのです。

私はハートを持っている人、特に老人を尊敬します。彼らはより多くを達成し、忍耐し、見上げ、真っすぐに生き、さらに高く行うのであり、例え状況が厳しくてもそうするのです。多くの場合、豊かな人生となることと、ひたすらトラブルを繰り返すことの違いとは、ハートなのです。年老いたみなさん、肉体的には以前のようではないかもしれませんが、ハートは依然として保ち続けることができるのです。若い皆さん、前を見て、人生にハートをもってしっかりと関わり、強くフィニッシュしつづければ、年老いたとしても、若々しく感じるのです。

イエスはハートを持っていました。彼はこう言っています。「イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(ヨハネ4:34) イエスは素晴らしいミッションを成し遂げるために生まれ、彼の始めた仕事を成し遂げました。彼は人々の尊厳を高めました。彼は人々を肉体的、感情的、霊的信仰的に癒しました。彼は、人々の為に死を選ぶほどに人々を愛しました。彼の人生の最後でさえ、イエスは前を向き続けていました。

ここで得ることは何でしょうか? 私たちは誰か他人の前向きなハートの上に乗って生きていくことはできないのです。自分が前を向く最善の方法は、自分が達成可能なゴールを定めて、そこに心を注ぐことです。自分の定めたゴールとは、まさに自分の人生のライフラインなのです。それは自分の若さも回復させるものなのです。

お分かりでしょうか? 私はまだ一つか二つの点について、それぞれいくつか述べることもできます。

エド・デルフ/Ed Delph August 12, 2019

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