自分と子どもたちの双方にWin-Winが必要ですか?
- Ed Delph

- Aug 10, 2020
- 5 min read

皆さん同様、人々が私を形容するのに用いるいくつかのラベルを持っております。皆さんは私をコラムニスト、作家、講演者、父親、牧師としてご存知だと思います。しかし私の五歳の孫娘のマデリーンはにとっては、私はオーパなのです。それはアフリカ系の人々の祖父を示す言葉なのです。その言葉には、色々な意味での責任が込められています。私は、面白おかしくなければなりませんし、その子と一緒に過ごさなければなりませんし、彼女の世話をし、彼女を追いかけまわさなければならないのです。同じことを他の二人の孫娘と孫息子にもしています。
マデリーンの母親である私の娘クリスティンが何年か前に私宛に書いた実際の出来事をお話させてください。もし、皆さんがオーパ、或いはナナ、或いは将来の両親でありたいなら、クリスティンのお話に耳を傾けてください。
「お父さん、私は小さなマデリーンの冒険についてお話したいと思います。昨日、マデリーン、テッサ(マデリーンの妹)と私はあるデパートに出かけました。マデリーンはぬいぐるみのクリフォード(赤い大きな犬)を見ると、すぐに欲しがりました。オーパ、あの子は動物のぬいぐるみを山のように持っていて、しかも二度と遊ばないのを見ているでしょう。でも、あの子は欲しがったから、こんな取引をしたのです。
パパと私はクリフォードを買おうとはしませんでしたが、代わりにぬいぐるみ達を一つ一つ見て、もう遊ばないのを選ぶように言いました。私たちがヤードセールをもうじき始めることになっていたので、その時に彼女が自分専用の売り場のテーブルを設けて、もういらない動物のぬいぐるみを売ってそのお金でクリフォードを買うお金を作るようにしたのです。
彼女は良く働きました。彼女は人々にぬいぐるみを買わないかと声をかけて回りました。自発的にある女性のところに歩み寄り、「お子さんにぬいぐるみを買いませんか? 男の子用のものひとつあります。」と言ったのです。自分の持っているぬいぐるみがピンクか女の子用の色だからそう言ったのです。彼女はお金を受け取ると、「ありがとうございました。」とも言ったのです。私が促すと、「良い一日を」とも言いました。ガレージセール中、誰もいなくなると、彼女はがっかりしました。でも私たちのカルデサックに車が来ると、彼女は叫びました。「見て、ママ、お客さんだよ!」
マデリーンはそのクリフォードを買うのに十分なお金を手にし、さらには余ったお金で紫色のお友達のクレオ クリフォードも買うお金を手にしました。何人かの人は、彼女の話を聞いて1ドルか2ドル、クリフォード基金に寄付しました。(つぼみのようなかわいらしさに害もありませんでした。エド追記)
この一件は、マデリーンに素晴らしい教訓を与えました。彼女の頑張ろうという気持ち、丁寧な対応、フレンドリーな対応を見るのは素晴らしいものでした。もちろん、クリフォードは大きな動機でした。私たちはこの女の子を誇りに思います。」
今日のコロナの中で、多くの両親たちが家で働きながら、子どもたちを家で面倒見て忙しくしているのを数多く目にしています。しかし、クリスティンがマデリーンによって経験したように、いくつかの特別なことが、その子が成長と共に必要となる品格、自発性、責任を生み出す長い道のりの始まりとなることもあるのです。単に子どもたちと時間を無駄に過ごさないでください。子どもと一緒の時間に投資しましょう。子どもに影響するのは時間の量だけではないのです。時間の質も大切なのです。
このお話は何も恥を指摘するものではありません。誰にも罪はないのです。しかし、私たちは時として、子育てはフルタイムの大切な仕事であることをほんの少し思い出す必要があり、それは皆さんと子どもたちの双方に必要なのです。そして多くの子どもたちにとって、質の高いわずかな時間が、大きな実りを生む種蒔きだったりするのです。
子どもたちは大切だと認識されていなかった当時、イエスは子どもたちと時間を過ごしました。それを少し考えてみましょう。イエスは、非常に忙しく大切な意味を持った天の父からの仕事をしている最中でした。彼は皆さんと同様に仕事をしていたのです。しかし、ある時、弟子たちはイエスが忙しいことを理由に子どもたちがイエスに近寄らないようにとしました。マタイ19:13-15に、イエスが子どもたちをどう思っていたかを記している逸話が書かれています。
「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。しかし、イエスは言われた。『子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。』そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。」
このことを考えてみましょう。イエスを最初に認識した人は、これから生まれてくる子どもたちだったのです。これから生まれてくる子どもたちとは、バプテスマのヨハネをはじめとした事なのです。恐らく、イエスは当時の狂った世相の中を遠くに眺めながら、沢山の数多くの子どもたちを見つめていたのです。自分の子どもの事を忘れないようにしましょう。先ほどのとても意地悪な弟子たちのように、子どもたちを、シーっと言って叱らないでください。ドストエフスキーはこう言っています。「子どもたちと一緒にいることで魂は癒される。」それは「Re-Ju-Ven-A-Tion!」なのです。
私たちにとって精神的な良い食べ物となる子どもについて描いた言葉があります。「私たちが子どもたちをどう躾たかで、歴史は私たちを裁く。」(ネルソン・マンデラ) 「打ち砕かれた男や女を癒すことよりも、子どもを育てる方がたやすいことだ。」(フレデリック・ダグラス)「大人とは、古びた子どもたちなのだ」(Dr.Seuss)「子どもたちは自分が話を聞いてもらえていると感じた後に、人の話を聞く。」ジェーン・ネルソン。
最後はこの言葉で締めくくりたいと思います。「子どもたちとは無邪気で好奇心に満ちているだけではない。前向きでね喜びに満ち、本質的に幸せなのだ。彼らは、手短に言えば、大人たちがそうありたいと望んでいる全てなのだ。」Carolyn Haywood
エド・デルフ/Ed Delph August 10, 2020, CCC
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