自分たちがしなければならないと分かっている事について、自分は何をしていくのか?
- Ed Delph

- Aug 25, 2019
- 6 min read

自分たちがしなければならないと分かっている事について、自分は何をしていくのか?
以下に、あり得ないような理由により、今もってあり得ないような影響を生み出したあり得ないお話があります。
ある船乗りたちが酒を飲んでいました。もう辺りは暗くなっており、船に戻ろうと思いました。彼らは手漕ぎ船を着けた場所にたどり着くと、オールを手にしました。漕いで、更に漕いだのですが、ほとんど進んでいませんでした。とうとう彼らの中で最も酔っていなかった男が、ボートのもやい綱を桟橋から外していなかったことに気づきました。もやい綱とは、手漕ぎ船の先頭か最後尾と桟橋をつなぐロープの事です。
ここに捕らわれの身の人を自由にするための教訓があります。神は私たちが前に進むために二つの事を問いかけるのです。私たちは前に向かって漕ぎ出すだけではなく、私たちを抑えて後ろへと引き戻そうとする過去、現在、未来の事を断ち切らなければならないということです。私たちの過去にある未解決の問題は、神が私たちの未来の人生に与えているものを妨げてしまうのです。桟橋に繋がれている限りは、過去以外の未来などはないのです。さらに頑張れば頑張るほど、私たちは疲弊してしまうのです。私たちの努力は桟橋を打ち壊すほど強くはないのです。
私はこの点は私たちだれしもに対してある程度は当てはまると確信しています。ある人は、子ども時代の心の傷に縛り付けられているでしょう。ある人は、自分あるいは他人の持っていた期待に対して応えられなかったことに縛り付けられているでしょう。ある人は、自分をだました配偶者に、ある人は自分を失望させた牧師に、あるいは自分を裏切ったビジネスパートナー、自分に敵対した人や、自分が嫌いな人に縛り付けられているかもしれません。ある人は、最後には混乱以外の何物も生み出すことの無い人道主義や世界観に縛り付けられているでしょう。ある人はやめられない習慣に縛り付けられているかもしれません。ある人は未来への恐れと、それが自分の身の上に降りかかったらどうなるかという思いに縛り付けられているかもしれません。ある人は間違えたセルフイメージとアイデンティティの問題に縛り付けられているかもしれません。数え上げたらきりがないのです。
赦さない思いというロープについて考えてみましょう。許さない思いというロープは私たちを過去という桟橋に縛り付けるのです。私たちは狂ったように漕ぎ続けることもできるのですが、赦さない思いは常に私たちについて回ることになるのです。私たちに苦しみをもたらした人と手錠でつながれることになるのです。体重が250kgほどあるような人を、自分が行くところどこにでもロープで引っ張って行くようなものです。それは私たちを疲弊消耗させるのです。ついに私たちはあきらめ、自分を桟橋につないでいるロープをどうにかしようとするのではなく、取り合えずそのままにして生きていこうとするのです。
赦すということは他人のためにするのではないのです。赦すことは自分のためなのです。それは私たちの手錠の鍵であり、自分を自由にするものなのです。私たちは自由なのですが、しかし私たちは過去あったことに縛り付ける手錠を外し、こうあるべき未来へと解放されるべきなのです。被害者の態度をとり続けることは、赦さない気持ちを強めて、話をすり替えた八つ当たりを増やすだけなのです。被害者化することは、復讐心や憎しみをエネルギーとして、更に一生懸命、船のオールを漕ぐようなものです。しかし、私たちがオールを漕いだとしても、依然として被害者化した自分という桟橋に繋がれたままなのです。不幸という輪の中をひたすら走り続けるネズミのように、私たちはどこにも行かないのです。
少し個人的なことを述べてもよろしいでしょうか。皆さんは被害者ではないのです。皆さんは人であり、神のイメージの通りに創られたのであり、破滅的なものだったかもしれませんが何か悪いことを体験しただけなのです。自分の身の上に起きたことと、自分がどういう人間なのかということは全く別なのです。ニセのアイデンティティを持ち続けることを止めないと、ひどい状況という桟橋に繋がれてしまうことにもなりえるのです。自分が災いを起こす雷の杖になるか、近くだけではなく遠くからも問題を吸い寄せる磁石になるかのいずれかなのです。
ここまで私が書いてきたことについて皆さんの多くは同感だと思います。カギは何かそれに対して行動を起こすことなのです。ロープを外す程度に、その解決とは非常に簡単であったりするのです。桟橋ではなく、ロープが問題なのです。以下に全ての人に効果的であり、自分の人生をターゲットにした人生を変えるカウンセリングである解決があります。自分が最終的に準備できた時、自分の問題というロープを握りしめた手を緩め、そして手放すのです。過去を見てはいけないのです。私たちはそちらに向かって進むのではないのです。
さて私たちは自分が何をすべきかを知り、自分がすべきだと知ったことに対して、何をしていくのでしょうか? おそらくは何もないのです。作家のJames Clearの説明を読んでみてください。
「人間は何世紀もの間、優柔不断でした。この問題は永続的なものであり、実際、古代ギリシアの哲学者であるソクラテスやアリストテレスなどが、このタイプの行動、アクラシアについて語り述べています。アクラシアとは自分のより良い判断に対して、反対の状態にある事を指します。自分が何か他の事をすべきだと知っていながら、別の事を行うときのことを指すのです。アクラシアとは引き伸ばしであり、セルフコントロールの欠如なのです。アクラシアとは、自分が何かすべきことを妨げるものなのです。」
何故、私たちはこのような行動をするのでしょうか? 私たちの脳は、それが未来にある場合は私たちの未来自体の価値を認識します。しかし、今決断すべき時に至ると、私たちは私たちの未来自体に対する決断を自分でしないのです。私たちは現在にあり、私たちの脳は現在の自分を考えるのです。研究者たちは現在の自分とは、長い目で報いを得るよりも、直ちに得られる喜びを好むことを確認しています。現在思考を持つことは、後ろに最も抵抗なく進みやすい道へと私たちを導き、桟橋へと再びつながれていくようにしてしまうのです。
皆さん、これは情報ではないのです。これは解き明かしです。自分の脳がどのように働くかを知ることは、自分の脳をコントローすることができるようになることであり、自分がありたいところと、自分が今いるところの間をつなぐように力を与えるのです。未来志向になるように決心しましょう。決心とは、種の形をして未来の自分へと道を切り開いていくものなのです。
エド・デルフ/Ed Delph August 26, 2019 CCC
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