自分が取り返すことが出来ない四つのこと、再発見!
- Ed Delph

- Oct 2, 2021
- 5 min read
最近、私はFacebookの私のフォロワーに強く納得した言葉を再発見しました。それはDeanna Wadsworth による言葉です。「自分が取り戻すことのできないことが四つある。1.投げた後の石 2.口から出してしまった言葉 3.逃してしまったチャンス 4.過ぎてしまった時間」
この四つの考えは、違う問題に対して同じことを言っているのです。刈り取る前に見なさい。感情的になる前に考えなさい。反応する前に行動しなさい。建てる前に計画しなさい。自分の考えていることが言葉になり、言葉は行動になるから、何を考えているのか見張っていなければならないのです。コンセプトのタイミングに関しては、私は時を見つめるだけではなく、タイミングを見なさいと言いたいと思います。私たちが人生で何をし、何を言うのかはすべて結果を伴うのであり、あるものは良いものであり、あるものは良くないものであり、あるものはひどく悪いものなのです。
私たちは皆、この状況に一度は陥っているはずですから、この言葉に関係するのです。何度私たちの口から出てしまった言葉を追いかけて捕まえて取り戻そうとしたことでしょうか? 慌てて言葉を発し、そして心の中で、こう思ったのです。「あ、いや、そんな馬鹿な言葉な、傷つける言葉を口から出すとは信じられない。私たちが心の中で、自分が慌てて或いは怒りをもって発してしまった言葉を追いかけて捕まえようとする時、それはスローモーションで走っているようなものだが、その言葉を捕まえられない。私たちがその言葉が相手に届く前に捕まえられるところに仁王立ちできたら、捕まえて、逃げたい。」私の体験から来たものは、その前に実は私の思いから来ていたのです。身に覚えはありますか?
電子メールやFacebookはさらに悪いものです。何故でしょうか? 私たちの言葉が紙やスクリーンに書かれるからです。自分が言ったことの目に見える証拠が残るのです。自分の側で消そうとすればするほど、相手の側では共有が進むのです。
そして私たちの行動の後に考えるべき結果があります。その場の満足やその場の衝動に基づいた深刻な過ちが招いたところから人生を一晩前にさかのぼって取り戻したいという人を、今まで何人みつめて相談に乗ってきたことでしょうか?自分が選んだ或いは選ばなかった選択、終わってしまった関係、ビジネス上の選択を一つ前に戻したいという友人を、私たちは何人知っているでしょうか? 自分の目の前にチャンスや機会がありながら、それが目に見えていなかった友人を何人知っているでしょうか? マーク・トゥエインは、自分はチャンスが一つに絞られていくまで、気づくことはなかったと述べています。何故、みながこの言葉を引用するのでしょうか? 私たちがそのような場面にいたことがあり、そのようにしてしまったからであり、そしてその文字を書いたTシャツを買ってしまうからです。
私は、自分の考え方により、デートでありとあらゆるトラブルに巻き込まれる男の話を歌ったカントリーウェスタンが好きです。「オレは何を考えていたんだ? オレは自分の思考で考えていない。ウィンクで考え、臭い考えでいた。」私は独身者の集まりの牧師をしていた時に、これを教えていました。
感情的であることの問題は、突然であることです。それと同様に、遅刻することの問題は遅すぎることです。何を言い、何をするべきかを知り、どう言い、どう行うかを知り、いつ言い、いつ行うかを知るには、尋常ではないセンスが必要なのです。なぜなら、一般常識は、ほとんど一般ではない常識に今日なってしまっているからです。William Wardはこう言っています。「思考は実行に移される前にテストされるべきだ。もし私たちの思考が不親切で、尖っていて、不公平なものなら、私たちはそれを危険な言葉の世界に解き放つ前に、拒否すべきだ。」
自分でこう自問しているかもしれません。「自分の行いや言葉を取り戻すには遅すぎた。私は今何ができる?」道端で行き倒れになることを減らし、ダメージを減らすいくつかの提案があります。もしこれを用いるなら、自分や周囲の人たちの感情のガラクタの山を減らすことが出来ます。感情のガラクタの山は、決めたことや失ったことに対して、「ああしていたら、こうしていたら、こうだったら」から来るのです。
第一に自分を赦しましょう。そして対立してしまっている相手に赦してもらうように言うのです。可能な限り、回復をはかるのです。なるべく目に見える形で客観的に正していくのです。それは彼らには大したことではないのですが、自分には大きいのです。第二に、攻撃的、裁く、隠れる、などの誘惑にあったら、それをしないことです。非難をすり替えることは、恥を更に醜くすり替えることになるだけです。第三に経験から学びましょう。罠に陥った時にそこから逃れようとするよりも、罠に陥らないようにすることの方がはるかに簡単なのです。セルフコントロールとは、単に自分だけをコントロールすることなのです。
イエスは私たちに主の祈りの中で、普通ではない感覚で祈ることを示しています。「誘惑に陥らないようにお導き下さい。」その意味をご存知ですか?「主よ、私は機会があれば何か愚かなことをしたり言ったりするので、今日も私が良い判断を下し、私が愚かなことをしないように助けてください。
この手短な文章がこの人生の中で取り戻すことのできない四つのことについて、より明確に気づけるように力を与えることを望んでいます。時として、私たちは思い出させてもらう必要があるのです。自分が刈り取る前に見つめ、それが正しくない状態に見えた時に刈り取ってしまうのです。
忘れないでください。感情でいっぱいの状態で頭のてっぺんから言葉を発しようとする時、それはフケでしかないのです。
エド・デルフ/Ed Delph October 11, 2021, CCC
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