素晴らしく恵まれたフィリィスともしかしたら皆さんも
- Ed Delph

- May 15, 2021
- 6 min read

私の人生で比類ない経験の一つはアリゾナ州フェニックスの二つの違う教会で独身者の集まりを牧する牧師として奉仕したことでした。1980年から1982年に私はアリゾナ州テンペにあるGrace Community Churchで奉仕していました。私たちはそこで500人を超える独身者を日曜学校のクラスで教えていました。そして1982年から1987年にかけて、私はアリゾナ州フェニックスのNorthwest Community Churchで奉仕しました。私たちは36人で始めました。やがて、私たちの日曜学校のクラスに230人以上が 集まるようになりました。
Grace Community Churchでは、私は30歳から45歳までのグループを担当しました。このグループの参加者の大半は、「独身者に戻った」人々であり、いろいろな種類の危機の中にありました。多くは女性で、子どもたちを抱えて離婚したばかりで、今まで見たこともないような、経済的、法的、感情的、家族的、そて人間関係的な巨人たちに直面していました。そこには、その全くの裏腹として同じような状況の男性たちがいました。
彼らが集まりに最初に参加すると、皆、「ヘッドライトに照らされた鹿」のような顔をしています。彼らは「信頼毀損」の状態にあるのです。希望や夢は閉ざされたのです。彼らにとって未来は寒々としていました。私たちの独身者対象の集まりは、彼らが混乱から平安へと旅路をたどることが出来るように考えられていました。大半の場合、回復は数年かかりました。つまり、時として私たちは時間の上にさらに時間を費やさなければならなかったのです。
私のクラスの参加者の一人のフィリィスのことを分かち合わさせてください。フィリィスは伝統的な結婚のスタイルを強く信じていました。男は働き、女は子どもの世話をし等々。しかし、フィリィスの結婚は、その期待通りにはいきませんでした。彼女が最初に私のクラスに来た時、彼女は精神的にショックを受け、取り乱し、その他、惨めさや悲惨さを示すような思いつく限りの言葉が並ぶような状態でした。
彼女が私たちの集まりの中の癒しのプロセスを忍耐良くやり抜くに従い、彼女はトンネルの先に見える光が電車のライトではないことに気づきました。彼女は少しずつ自信、勇気、信頼、困難に立ち向かう能力を手にしていきました。彼女はそこに本当にあるものは、信頼に値する神と信頼に値する人々がいることを見出していきました。彼女は違う人生を見つけましたが、それは生きるに値するものでした。
ある日曜日、フィリィスは自身の離婚の体験を記した詩を私に手渡しました。彼女と当時の彼女の夫について心理的な分析を試みないでください。自分の痛みを感じていることや問題を彼女に重ねないでください。彼女の感覚を理解してください。彼女はしっかりとした人であり、慢性的に依存体質なのではなく、かわいい女性であり、知的であり、良い母なのです。彼女の詩は素晴らしく、本心なのです。以下にフィリィスの詩があります。
彼は16年過ぎたころに出ていき、怯え、さみしさ、怒り、涙でいっぱいの私をおいて行った。彼は私に理由も言わず、しゃれた言葉も言わず、ただ私にしばらく「一人」になりたいとだけ言った。彼は家で幸せでいるようになる前にまずは、「考え」たいと言った。それは「別居」と呼ばれ、私はそれを「地獄」と呼び、私は神経質の塊になりました。私の子どもたちもそういうでしょう。和解を彼としたかった。彼の為に私は紡いだ。私は待ち望み、祈りました。彼がすぐに戻るようにと。
そして青天の霹靂、彼は私の家の扉の前に立ち、こう言った。「ただこの紙にサインして、これからはもう婚姻関係じゃない。」私は聞いた。「私が何をしたの? 私はあなたを愛しているから、あなたが行くのを見ていられなかったの。」私の人生、私の夢、この世でこれが一体何を意味するの? 私が何をしたの? 彼の背中に乗せた最後の一本の麦わらは何だったの? 彼は私が見ていなかった何を見ていたの?
私には欠点がある。人がそうであるように。もちろん、私は人よりも良く知っている。しかし私は自分のままを受け入れた。何故彼は離婚をのぞみ、何が理由なの? 私が短気だから? 寝ている間にいびきをかいた? 私の歩く姿? 私の食べる姿? 変なしゃべり方をした? ものごとを深刻にうけとめすぎた?あるいは反対にちゃんと真剣に受け止めなかった? 私の笑い方? 私の髪型? 私のウェスト? 私の考え方? 好みじゃなかった?
ああ、どれだけ考えたの、私をバラバラにして。自分の心を癒すための答えを探して。「あなた、ひどい」私は泣いた。「あなたは私を打ちのめした。私に理由も言わず。いかなければならないとだけ言って。」
今、私は過ぎてしまったこと、終わったこと、完全に終わったことを知っている。現実が押し寄せ、私は自分の足で立たなければならない。簡単に言うけど。それはやる以上に難しい。特に私は今まで誰かに頼ってきたから。一歩ずつ、日々私は生きている。私の子どもたちの未来の日のために、まだ生きる。この後の私の計画を見つめよう。
そこには簡単な答えはなく、人生の秘訣などない。しかし私は自分を受け入れた。妻のままでいることではなく。私にとって大切なことは、自分に正直でいること。優先順位を先につけて、彼のことを棚の上に置こう。アルバムにはたくさんの思い出があり、終わってしまい、過ぎてしまっている。彼は、子どもたちの単なる父親になり、イエスにあっての新しい人生が始まった。
多分、皆さんはフィリィスに自分を重ねることが出来るでしょうか? 彼女はこの詩を40年以上前に書きましたが、当時そのままに今日にも当てはまるのです。次のことに注意してください。フィリィスは現実に直面しました。彼女は相手を非難して恥をかかせるゲームから抜け出しました。彼女は、被害者から人を癒す人へと変わったのです。そうです。試練は偉大です。そうです。悪いことは良い人の上にも起きるのです。そうです。それは、自分から始まり、神の癒す力へと至るのです。昨日のことに不平を言って今日を生きることは、より良い明日を決して作らないのです。彼女は「どうして自分がこんな目に」から「次をどうしようか」に変わったのです。
フィリィスは、自分をOKと思う気持ちは、自分自身の問題や欠点を乗り越えるものではないと理解しています。彼女がそれらの気持ちによって自分が麻痺させられることを拒否しているだけのことです。フィリィスはその後の人生を、自分の苦境に対して「何故」、「何」を重ねてその中でもがき苦しんで生きることはしませんでした。彼女は「誰」と「どうやって」に焦点を合わせました。「誰」とは神です。「どうやって」はどうやって前に進んでいくかです。自分が「何故」、「何」に焦点を合わせた時、その終わりとは単にごまかしの始まりであることに気づくだけなのです。
もし皆さんがフィリィスのようなときに陥っていたら、自分と共に神はいることを知り、自分の周りに全ての恵みを神は与えることが出来ることを知りましょう。その道はあなたのものです。手に取りましょう。
エド・デルフ/Ed Delph May 3, 2021, CCC
Ed Delph/NATIONStrategy
7145 W. Mariposa Grande Ln.
Peoria, AZ 85383 USA
623-363-9961 * Fax 623-537-1446
www.NATIONStrategy.com
"People Who Empower People To Transform Communities'


Comments