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素晴らしい結果を育てる庭 2019.9.30(J)

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Sep 30, 2019
  • 5 min read


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素晴らしい結果を育てる庭

時として私たちは、日々の生活を有意義に且つ実り豊かに暮すことを忘れて、途方もなく巨大な問題の解決に焦点を合わせることに巻き込まれてしまいます。例えば、車輪の着いた便利なキャリーバッグを考え出すよりも、人を月に送り込む事を先に考えたなどと言うのはどうでしょうか? 宇宙服を考えついた人は、恐らくはその重い荷物をヒューストン行きの飛行機に持ち込む時に背中を痛めたと思います。

ニュージーランドに住む私の友人Steve Hopeは最近私に宛てた電子メールの中で人生は庭のようなものだと語りました。聖書はこう書いています。「主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。」(イザヤ58:11)

ですから、私たちの人生は一年を通していつでもどこにでも植える事のできる庭のようなものなのです。この事を考えてみましょう。もし私たちが日々の生活の中でいくつかの常識的な事を用いる事ができるなら、私たちはその人生で数多くの大きな問題を解決できる卓越した考えと強さを持つことになるのです。もし自身の人格に強い基礎がありそこから色々と建てあげていけるなら、人生の全ての面で効率的で効果的になることは容易なのです。

次の事を考えてみましょう。もし私たちが豊かに水を与えられた庭なら、私たちはその自身の庭に植えられるどの様な植物になることができるのでしょうか?

まず、三列の「peas」(peace)を植えましょう。思いのpeace、心のpeace、魂のpeace。信仰とはパニックにならない力です。過度に曲げられて形を壊さない柔和なものは幸いです。今日を過ごし、昨日に不満を言うことは、何も明日を良くはしないのです。思いのpeace、心のpeace、魂のpeaceは神からくるものだと覚えてください。神と共にpeaceを持つ時、私たちは神のpeaceを持つのです。

以下にディレクターのBaz Luhrmannの言葉があります。「自分の時間を嫉妬で無駄に過ごすな。時として自分は先に進み、時として後を進む。レースは長く、最後には自分しかいない。自分が手にする称賛を覚え、非難を忘れるのだ。もし、これがうまくできたら、その方法を教えてくれ。」どうやってと言う事に対する私の答えは、正しい考え方と私たちの中に働く神の恵みです。

さて私たちは三列の「peas」を植えました。思いのpeas、心のpeas、魂のpeas。他にどの様なものを植える事が出来るか考えましょう。私たちの生い立ちと置かれている環境は自分が誰なのかに影響するのですが、私たちはどの様な人になるかについては責任がある事を覚えてください。幸せには鍵はかかっていません。扉は常に開いているのです。

Peas(豆)がsquash(かぼちゃ)になったら、噂話をsquash(握り潰す)し、無関心をsquash(握り潰す)し、不平をsquash(握り潰す)し、身勝手をsquash(握り潰す)しましょう。噂話について言えば、沈黙は様々な解釈をされるものの決して悪く解される事はないという事です。無関心について言えば、無関心とはそこから立ち去る事だと覚えてください。情熱とはそこに加わる事です。無関心によって自分の情熱をsquash(握り潰す)させない様にしましょう。

不平不満について言えば、不平不満を言うと言うことは、私たちが内に持っているものを外側のものに漏らすことだと覚えてください。不平不満は深海油田からの石油の漏洩事故よりも深刻な言葉の汚染をもたらすのです。それをsquash(握り潰す)し、蓋をし、汚染を止めるのです。最後に身勝手さをsquash(握り潰す)するのです。成熟とは世界が自分を中心に回っていないと発見することでもあるのです。ハッピーでいましょう。無理して喜ぶことは、純粋な落ち込みよりも良いのです。

次は四列の「lettuce」(レタス)です。「let us be faithful」(信仰深くありましょう)、「let us be kind」(親切でありましょう)、「let us be patient」(忍耐深くありましょう)、そして「let us really love one another」(心からお互いを愛しましょう)。何かを何かを約束することは希望を作り出しますが、約束を忠実に行い続けることは信頼を生み出します。信頼は人と人をつなぐロープのようなものです。そして親切を植えるのです。親切な人とは自分の仲間ですから同じように親切にしましょう。忍耐は植えると素晴らしいものです。自分が何かの問題に巻き込まれたら、忍耐深く静かにしましょう。神はそのこじれた結び目を解くために、私たちに静かにしていて欲しいのです。

自分が過ごす隣人、友人、家族、地域社会の中に植える事を忘れないようにしましょう。必要に迫られている人々は、本当の友人を必要としているのです。世の中にあっては、私たちは一人の人ですが、一人の人にとってはもしかしたら世の中全てかもしれないのです。助け手が見つかる最善の場所は、私たちの腕の先かもしれないのです。

最後に三列の「thyme」(タイム)を植えましょう。神のためのタイム、祈りのためのタイム、自分の人生において本当に大切な人のためのタイム。自分の人生の中の悪い出来事にタイムを植えるのをやめさせないようにしましょう。タイムは投資なのです。時として、タイムは素晴らしい関係を築くための通貨でもあるのです。聖書と祈りにおいて神と過ごすタイムは全ての年代に必要なのです。若い人たちは聖書をそれほど読まない傾向にあります。年老いた人々は聖書を狂ったように読みます。それはまるで自分の人生の最後に向けて詰め込んでいるかのようです。残念ながら、同じ事が祈りについても言えるのです。神の子として、祈りは毎日実家に電話するようなものです。

私たちの家にとって最も大切なのはその家にいる人々であり、そこにいた人々です。ある人は自分が暇な時に話しかけてきたり、あるいはその手を休めて私たちと話をしてくれるのです。その違いに気づきましょう。二つ目の人々の事を振り返ってみましょう。

世の中は素晴らしい人々でいっぱいです。そのような人を一人も見つけられないなら、自分がそうなりましょう。誰もが自分が何者かなのだと感じられる人になりましょう。それが私の言う庭なのです。単にそこに行かないようにしてください。そこにタネを撒くのですが、しかし私たちはそれを育てなければならないのです。

Ed Delph September 30, 2019 CCC

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