節制は単に自分を制するだけ
- Ed Delph

- Jul 30, 2022
- 6 min read

さあ話を始めましょう。今日のタイトルは節制(セルフコントロール)の定義です。節制(セルフコントロール)とは単に自分自身を制(コントロール)しているだけでしかありません。以下に1986年に起きた実際の出来事があります。節制(セルフコントロール)はこの悲劇的な出来事を簡単に抑止できたはずです。
1986年の夏、ロシア沖の黒海で二隻の船が衝突しました。何百人もの乗客が冷たく凍る海の中に投げ込まれて亡くなりました。この事故の原因について調査が進むにつれて、事故のニュースは更に悪くなりました。
それはレーダーが故障したなどのような技術的な要因ではありませんでした。そうではなく、人間の頑固さによるものでした。両船の船長は互いに相手の存在を知っていました。そして両船ともに操舵をして回避できる状況にありました。しかし両船の船長ともに誇りが高く進路を譲るような謙遜さはなく、相手に進路を譲ろうとしませんでした。両船が危険に気づいたときは時すでに時遅しでした。
もしあなたが意志が強く、頑固で、どうしても思ったことを実現したいと思う人なら、この話を少し考えてみてください。議論に勝ったところで、関係性を失うのであり、結局のところ自分は何を手に入れたことになるのでしょうか? メンツを保ち、しかし信頼を壊し、関係性を失ったのです。結局何も得られないで終わるのです。
私の意見ですが、この事故は頑固さが原因ではないのです。節制(セルフコントロール)の欠如が起こしたことなのです。両方の船長は頑固でしたが、彼らはともに自分の意思決定に綱をつけることになる節制(セルフコントロール)を用いなかったのです。これこそ、節制(セルフコントロール)を用いないことにより得られる結果として、これ以上悪いものはないのではないでしょうか? 誰もがその生まれ持っている気質や育った環境に由来する、引き金を引く要因を持っています。忘れないでください。自分の引き金に指をかけた時、耳を傾け、考え、建設的な対応の方向へと道を譲るのです。
聖書は終末の日には人々は「節制のないもの」になると書いています。2テモテ 3:1-3のとおりです。「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、」
何千もの要因からプレッシャーがあります。メディアによる操作、節制のない政府の支出、壊れた人間関係、銃撃事件、低俗なエンターテイメント、ソーシャルメディアの影響力。しかし私たちは絶え間なく粗くなっていく文化に麻痺しているのです。
怒りと恐れで満ちた文化の影響は結局「解決的である」ことよりも「火をつけて炎上させる」ことにあるのです。多くの人が終末の日は「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」(士師記17:6)と聖書にあるような状態に陥るのです。ですからセルフコントロールの必要性は人と社会に益をもたらすのです。他人に対する時、自分の心を用いましょう。自分に対する時、頭を使いましょう。これがセルフコントロールというものです。私たちの思いあがった進歩の行先はパラダイスではなく、混乱の巣窟になりはしないでしょうか?
作家で講演家のLance Wallnauはこう言っています。「節制(セルフコントロール)は聖霊の力と知恵により歩む人々と、自分の欲に支配された人々の間の最も大きな違いの印かもしれない。節制(セルフコントロール)なしには人々は城壁のない街に例えられる。『自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。』(箴言25:28)」
Lanceはこう言っています。「節制(セルフコントロール)という物質でできている目に見えない城壁が自分を守っていると想像してみてください。節制(セルフコントロール)は自分が大切にするものをその中にとどめ、悪いものをその外へととどめるのです。箴言16:32はこう書いています。「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」
生まれながらにして、ある人たちは非常によくしつけられており、ある人はそうではありません。私のような人々は、生まれながらにして起業家の性質を持っています。そのような人々は制御しにくく、刺激志向の人であり、そしてその仕事は規律よりも情熱により進められていくのです。仕事が退屈になると、自分に関わる他の何かへと軸足を移していくのです。人の性質としてこのような人々はセルフコントロールが低いと心理テスト結果で出る傾向が強いのです。
節制(セルフコントロール)を描いたいくつかの言葉があります。「すべての成功する態度の中で最もパワフルなものは何か? 節制(セルフコントロール)が最も上に立つ性質なのだ。この強ささえあれば、私たちは他の全てのものを幾倍にも増やすことができる。」「自己中心さと幸せは決して手をつないで前に進むことはない」「自分が全力で自身に命じることが出来ずして、どうやって他の人々を支配し得ようか」「的を外してしまうということは決して、的に問題があるのではない。自分の狙いと自分を進歩させるのだ。」
皆さんは節制(セルフコントロール)が神から私たちへの賜物だと知っていましたか? IIテモテ1:7はこう言っています。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」クリスチャンとして私も皆さんも力、愛そして慎みを働かせる神からの霊を与えられているのです。ですから、自制(セルフコントロール)という性質が不足していると感じるなら神にそれを願いましょう。
自制(セルフコントロール)は聖霊の賜物の一つです。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテヤ5:22-23)ですから皆さんが神の霊を持っているなら、自制(セルフコントロール)を持っているのです。自制(セルフコントロール)が無ければ愛などはあり得ないのです。なぜなら神の愛は愛されないものを愛するからです。それには自制(セルフコントロール)が必要だからです。自制(セルフコントロール)なしには長い間にわたり喜びで満たされることはあり得ません。なぜなら私たちは自身の衝動的で愚かな判断の結果に悩まされるからです。平安においても同じです。自制(セルフコントロール)が無ければ、忍耐はありません。他の聖霊の実についても同じなのです。
私は人生の間、私はデルフ・コントロールで生きてきてしまいました。それは災いでした。私の今の人生の時において、私は自制(セルフコントロール)の実を用いることを学んでいます。その結果はもっと良いものです。
以下に皆さんが持ち帰るべきことがあります。自制(セルフコントロール)は単に自分をコントロールするだけ(聖霊の助けを借りて)なのです。ですから今回のお話を通して私からのアドバイスは、建設的な選択に対して良く聞き、考え、謙虚になることです。
エド・デルフ/Ed Delph/August 1, 2022/CCC
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