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突然の真に現実的な可能性

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Jun 13, 2020
  • 5 min read

Updated: Jun 27, 2020


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皆さんはいかがお過ごしでしょうか? 私は皆さんのことを常に思っています。最近、私は皆さんに宛てて何を書くべきか、昨今の混沌とした事態にあって何が皆さんを励ますものとなりえるのかを考えています。今日のお話は突如として野宿暮らしから、高層マンションの最上階の生活へと変わってしまった人々のお話です。読んでみてください。

聖書全体を通して最も悲しい出来事が詩編137に思い起こされています。それはエルサレムの大半の人々が捉えられ、バビロンへと連れていかれたときの話です。彼らの中の預言者がこの事態を警告していました。それは70年にわたる捕囚の期間の始まりであり、何があってももはや変わらないものでした。彼らは神によって罰されたのではありませんでした。彼らは自分たち自身の過ちと間違いによって罰せられていたのです。結果が訪れたのです。この真実を忘れないでください。神は私たちに怒り狂っているのではなく、神は私たちにご執心なのです。

捕囚の間のエルサレムの人々の哀歌に目を留めてください。「バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。それは、私たちを捕らえ移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、「シオンの歌を一つ歌え」と言ったからだ。私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。」(詩編137:1-4)彼らはその竪琴から手を放したのです。竪琴とは、彼らの礼拝、人生のゴール、目的あるいは未来の比喩なのです。彼らは肉体的にも、感情的にも、知性においても捕囚だったのです。彼らにとって、神は遠くにあり、すぐには戻ってこない存在になっていたのです。私は彼らがその昔の歌をこう歌っているのが聞こえるようです。「柳よ、私のために泣いておくれ。」

私たちが捕囚として生活する時、自分は全ての夢を失い、笑いを全て失い、喜びの叫びを失い、自分の神との今までの関りを失ったように思うのです。これは希望がなく、実りがないものなのです。このようなロスを体験している中にあっては、自分の背中に「オレを蹴とばしてくれ」と書いた紙を貼っているような心理状態なのです。今日、多くの人々が苦難に直面しており、その竪琴を柳に立てかけているのです。これを変えましょう。

以下に真実があります。自分は季節を変えられないのです。季節に適応するのです。それが冬で寒いなら、コートを着るのです。全てに季節があるのです。しかし、冬の良いところは、春がやがて来ることなのです。突然、それは春となり、季節は変わり、冬は終わるのです。

私は突然という言葉が好きです。神は突然の神なのです。実際、突然という言葉は聖書に87回出てきます。その中には、見よ、直ちに、或いは予期せずなどの「突然」と同じ意味を持つ言葉を含めていません。突然とは、単に聖書的な時や聖書的な品格に対するものではありません。それは私たちのためでもあるのです。神は、昨日も、今日も、そして永遠に「突然の」仕事をしているのです。

天使たちは「突然」マリアの前に現れ、彼女に「突然」知らせました。「イエスが生まれたとき、突然、主の使いが羊飼いのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。」「突然、天使がイエスの墓の中に現れた」「エマオに向かう道を歩いている時、イエスは二人の男の前に突然現れた」聖書は、イエスは思いがけない時に、突然帰ってくると言っています。もし皆さんがイエスを主であり救い主であると受け入れているなら、自身の死の瞬間に、突然、自分は天にいることになるのです。肉体から離れたとき、神と共に存在するのです。

使徒の働きの中には突然についての多くの出来事が書かれています。「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。」(使徒2:2)「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。」(使徒9:3)「すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし『急いで立ち上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。」(使徒12:7)

そのバビロンの捕囚達に何が起きたのでしょうか? 詩編126はこう伝えています。「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。『主は彼らのために大いなることをなされた。』これは希望を抱かせる証言であり、神の民と世の中全てにwin-winの関係をもたらすものなのです。

何が突然回復されたのでしょうか? 彼らが突然、バビロンで失ったものと同じものなのです。彼らは再び夢を取り戻し、笑いを取り戻し、喜びにあふれた叫びを取り戻し、自分や国に対する神の働きの証言を取り戻したのです。彼らは野宿の暮らしから高層マンションの最上階の暮らしへと移ったのです。彼らの国々への証言はこうだったのです。「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」エルサレムは突然、「なぜ自分がこんな目に」から「次は何をしよう」へと移り変わったのです。

エルサレムの人々が70年間の捕囚の時を経て、エルサレムに向かう道において、彼らは夢を見ているようでした。「頬をつねってくれ、起こしてみてくれ、これは現実か? これは夢か?」全ての捕囚の年月を経て、ボン! 突然、彼らはエルサレムへの道についたのです。

人生において、季節があることを理解してください。どの季節に自分があり、その季節にふさわしい過ごし方をすることを学びましょう。冬は来ますが、過ぎ去るのです。しかし、その季節が何であったとしても、神からの「突然」が来る可能性を忘れないようにしましょう。「突然」は誰にでも、どの地域にでも、どの民族にも「突然」来る可能性があるのです。

今週はアメリカの為に祈りましょう。私たちは神からの「突然」が必要であり、国の全ての人々に対するwin-winが必要なのです。皆さんと同じように、アメリカはその夢を取り戻し、笑いを取り戻し、喜びの叫びを取り戻し、その神の働きの証言を取り戻す必要があるのです。それは私たちがこう言うためです。「主が私たちのためになされたことを見よ!」

エド・デルフ/Ed Delph CCC June 15, 2020, CCC

Ed Delph/NATIONStrategy

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