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私たちにとって最も大切な通貨とは?

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Mar 1, 2021
  • 5 min read

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先週、私たちは信頼についてのお話を始めました。昨今、多くの人々が「信頼損傷」状態にあるように見えることから、私は信頼について書くことを選びました。人々には問題があります。しかし、それは当たり前なのです。神の力が伴えば、一人の人の選択が「信頼損傷」状態の人を、「信頼修復」状態へと変えることもできるのです。私はそれが起きるのを何度も見てきました。


私たちの共著「Learning How to Trust(nationstrategy.comで注文可能)」において、John Trentは信頼の問題についてこう記しています。

「数えきれない人々にとって、信頼という概念は蜃気楼なのです。彼らには、自分を虐待した両親がいたり、家から出て行った配偶者がいたり、彼らを陥れたビジネスパートナーがいたり、彼らの信頼を裏切った政治家や牧師がいるのです。しかし、何か人間的な、或いは信仰的な関係を築き上げるためには、信頼は必須のものであり、オプションではないのです。


であれば、私たちはどうやって再び信頼することを学べるのでしょうか? この本を再び信頼することを学ぶツールとして推奨させていただいてもよいでしょうか? 皆さんは、なぜ信頼が必須のものであり、信頼する価値のある人と神がいるということを理解するでしょう。」それは素晴らしいことだと思いますよね?


信頼とは何でしょうか? Webster辞書は信頼を「確かに信じていること、心からの確信、信頼性、他人やものごとの公正、信頼は信念を含む。信頼は何かや誰かを頼りにすること、。信頼は期待、予想、希望を確かに確信すること。」と定義しています。

信頼は全ての人間関係の通貨なのです。信頼の毀損は家族、教会、人々或いは組織が機能を効率的に果たすことを侵食していくのです。信頼を理解するカギは私たちが何または誰に、それを置いているかなのです。信頼とはすべてのものが行き交う道なのです。


信頼とは、私たちが信頼の対象とするものとの間を結ぶロープのようなものです。神と共にある人々の間では、夫と妻、メディアと国民、顧客とビジネス側、教授と生徒 – すべての種類の人間関係は、信頼が互いを結び付けているのです。


もしロープが切れたら、関係は破綻します。もし私たちがその出来事によって深く傷ついたら、私たちが再び信頼する能力も毀損されてしまうのです。言い換えるなら、良くない方向に向いている出来事は長く残る影響を作り出すのです。このような出来事は私たちの未来の意思決定に大きく影響し、自己防衛或いは攻撃性といった形となり、さらに大きな問題を生み出していくのです。そしてもっと多くの信頼性欠如状態に至るのです。信頼とは、消しゴムのようなものです。それは、対峙する出来事毎に小さくなっていくのです。


信頼という通貨について価値にできないような「あ、そうか!」がここにあります。私たちの人生は信頼を置いたレベルまでにしか向上しないのです。何故でしようか? ロープが自分とその信頼を置いたものを結び付けているからです。もし自分が良く知らない人を信頼し、結婚してしまったら、将来9/11テロに向けて自分をセットしているようなものです。


性別に関係なく、自分はこう独り言を言って終えることになるのです。「自分はどうしてあんな馬鹿なことをしたんだ? 連中がポルノにはまっていて、家計をやりくりするお金を渡すことはないと知った時、どうして信頼してしまったのか? 私は家計のために両親からお金を借り、しかし何かおかしいとは感じていた。何故私は誰か他人の必要もなさそうなことの為にお金を支払うようなことに至ったのか?」


これらのケースの大半においては、このことが起きた理由は良く知るだけの時間をとらないままに、その人やものに対して信頼を置いてしまったことなのです。私たちの本においては、このことを信頼を賢く学ぶ、或いは「知的な信頼」と呼んでいます。これが価値が入ってくるところなのです。私たち人間は、その人生において神による価値観と知恵を告白する範囲において、信頼に足る価値を持つことができるのです。それは私たちが信頼を置く人やものも含むのです。


私たちは信頼する能力と信頼の必要性とともに生まれてきました。「私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。」(IIコリント3:4) ですから私たちは、内部に信頼をもって生まれながら、しかしその信頼は神による、頼りになる、知恵に導かれた良い人生のためのもの或いは人とつながることを必要としているのです。


思い起こしてください。私たちは霊、魂、そて肉体から構成されているのです。赤ちゃんとして、私たちは自分の体のためのミルクのために母親の形に信頼を置きます。私たちは魂が成長し備えられていくために父/母のモデルに信頼を置くのです。しかし、信頼が私たちの中にある主な理由は、私たちの霊のためなのです。霊的な健全性は神に信頼することから来るのです。この人生において、つまづきの石で転んだり、や後退することもあるでしょう。神は私たちが、自分よりも高い頼れるものと力が必要だと知っているのです。私たちは理解と赦しが必要なのです。神のみがそれをできるのです。


私たちは信頼するように造られたからこそ、信頼の賜物を持っています。「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5、6)


何故、すべてにおいて信頼することを再び学びなおすことがこれほど重要なのでしょうか? もし私たちがその人生における信頼の機能不全を起こすような出来事の故に、信頼を毀損した人になったら、私たちはどうやったら主に信頼を置くことができるのでしょうか? もし私たちが主に信頼しない、主を信頼できなくなったら、何度も何度もトラブルが起こるのを待ち続けることになるのです。信頼がなければ、私たちにとって神は何の意味も持たないのです。


来週、私たちは神と人々を再び最初から信頼することを学ぶために、どのように信頼という通貨を用いるのかを学びたいと思います。忘れないでください。信頼とは私たちの車を再び走らせ、信頼の壁を打ち破るようにするものなのです。


エド・デルフ/Ed Delph, February 22, 2021 Part 2



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