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期待マイナス現実イコール ______?

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • May 21, 2022
  • 6 min read

Updated: Aug 25, 2022


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私たちは「大きさイコール影響力」というおかしな価値観を一般に認めてしまう成功欲に駆られた世界に住んでいます。誰もが、もし自分が王の丘、ナンバーワン、ステージ上の伝説の地位に上り詰めたら、素晴らしいと思うのです。成功、大きさ、あるいは影響力が自分たちの努力と存在意義を確かなものとしているように見えるのです。


以下に一つの例があります。あるテキサスの農夫がオーストラリアに休暇に行きました。そこで彼はオーストラリアの農夫に会い、話始めました。オーストラリア人はその巨大な麦畑を見せ、テキサスの農夫はこう言いました。「おお、テキサスじゃあ、この二倍はあるぞ。」彼らは農場を少し歩き、オーストラリア人は子牛の群れを見せました。テキサスの農夫はすぐにこう言いました。「あんたのところの牛よりも倍は大きい、ロングホーンをテキサスでは飼っているぜ。」

しかし、このテキサスの農夫が野原をジャンプして回っているカンガルーの群れを見た時には、会話が途絶えた。「ありゃなんだ?」オーストラリア人は信じられないというような顔つきで答えた。「テキサスにはカンガルーはいないのかい?」教訓;オーストラリアに20回以上行ったが、オーストラリア人と口で勝とうとはしない方が良いと学びました。

私たちの文化は成功を要求します。私たちは「失敗(自分の意見だろうが他人からの意見だろうが)」が私たちをダメだとする文化に生きています。全国誌の表紙を誰が飾っているか気が付いていますか? 彼ら、団体、あるいは物事は「最新の、最も偉大な、最大の、最高の」ものなのです。


しかし自分の夢の実現を全く実感したことのない95%のビジネスオーナー、牧師、影響力のある人、夢を持つ人、リーダー、そして普通の人々はどうでしょうか? キャリアの終わりに近づいている人、地位やキャリアパス、経済力に関して最善を尽くしているものの自分がこうありたい姿と自分の現実の間に途方もない大きなギャップを抱えている人はどうでしょうか?


多くの人々は自分が期待していたことと、自分の今の姿のギャップを嫌っています。なぜでしょうか?

大きさがイコール、インパクトなのです。どうにかして雑誌の表紙にたどり着いた5%の人々を偶像化し真似ようとするのです。ここに現実があるのです。すべての人が合衆国大統領になれるわけではなく、大企業のCEOになれるわけではなく、次のアメリカのアイドルになれるわけではないのです。


私たちを幸せにし、不幸にする世の方程式を覚えてください。幸せ=期待-現実。誰かの人生の現実が期待以上なら、その人は幸せなのです。しかし、その現実が自分の期待以下だとわかった時、彼らは不幸なのです。そして人々は落胆するのです。


Al Ellsの著書 Leaders that Lastにはこう書いています。「多くの男性が気持ちの落ち込みは女性の問題だと考えているが、それは男性の問題なのだ。男性の82%がきもちのおちこみで苦しんでいるのだ。」なぜでしょうか? 彼らの期待と現実のギャップなのです。思い出してください。多くの男性は自分の存在価値を仕事の成功で測るのです。

気持ちの沈み込みは「無気力」を生み出します。「無気力」とは何でしょうか? 感情を高めることがほとんどできない状態です。ビジョンを見つけられず、情熱を感じるものが見当たらず、喜びを感じるものが見当たらないのです。それは私たちが「これをやっても、やったけれども何も変わらない」と感じた時なのです。それは私たちが「どうでもいいや」という時なのです。私たちは集中することに困難を感じるのです。以前のように水面に顔を出すことができないのです。疲れたように感じ、イライラし、疲れた気がし、不満を溜め、方向感を失ない、恐れに満ち、脅迫観念を抱き、関係を断ち、孤立するのです。私たちは人生を求めて叫ぶのですが、それが手に入らないのです。


多くの人はどうするのでしようか? 彼らはあきらめるか、降伏するかなのです。彼らは自分の「無気力」な部分を刺激しようとするのです。外に向けた発散行動をするのです。外に向けた発散行動は不義不貞をもたらします。他の人々がその心を和らげようとするのです。その結果は? 離婚、不倫、ポルノ、薬物、アルコール、怒り、支配傾向(何かをこれ以上失うという強迫観念で周りに壁を作る)、過食、あるいは過剰な買い物ではないでしょうか? 「無気力」と痛みを避けるためなら何でもするのです。


ここに「期待 – 現実」に苦しめられている人々のための聖書の言葉があります。「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」(II歴代誌25:9) であれば私たちはどうやって自分と他人の間に平安をとり戻すことができるのでしょうか?


第一に、普通の日常に戻りましょう。戦場で傷を負い、あるいは行方不明になることは一つのことです。しかし敵に降伏したり、捕虜になることは別のことなのです。混乱を教訓に変えましょう。


第二に、真の成功の定義を神にゆだねましよう。私たちの恥を基本とした、自我に駆られた社会に成功の定義を決めさせないようにするのです。神の成功の定義は、ビジネス、地域社会、教会であろうが、自分、家族、他人との間の平安を持つことなのです。


神を敬うこととは、充足を得た時に再び立ち上がろうとすることに至ります。平安は解放をもたらします。私たちは些細な追及ごとや、非現実的な夢のために他人とのレースをしているのではないのです。神はその仕事をしており、私たちがそこに加わることができるようにしているのです。それが充足を得た時の真の成功なのです。


第三に、神と自分の間で共有できるビジョンを探すのです。大きく、とても大胆なゴールを持つこととは良いことですか、そのゴールに自分の価値を決めさせないようにするのです。主にすべてをゆだね、しかしこれを覚えるのです。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」(詩編127:1)自分が成していること、自分が成してきたことと自分が誰であるかをこんらんしないでください。ゴールは方向を与え、夢は動機を与え、しかし、自分が期待していたところにたどり着かなくても、それはOKなのです。


究極的には私たちの視点はこうあるべきなのです。「私は成功の定義において間違えていた。私は最善を尽くした。人生を誠実に生きたが、こうあるだろうと自分が思っていたような形には物事は全くならなかった。だから、私は残りの人生の時間を『なぜ』と問い続けたり、あるいは自分や他人を攻撃したりして過ごすことはしない。」それが人生のレースの勝利なのです。


今日の学び。独り言を言う時には気を付けましょう。なぜなら、自分が聞いているのであり、それは非常に高くつき得るのです。


エド・デルフ/Ed Delph/May 23, 2022/CCC



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