普通の人々が卓越したことを達成する位置に立つとき
- Ed Delph

- May 22, 2020
- 5 min read

今週は私たちの現在の状況から少し目を離し、立ち止まって大きな犠牲を私たちの為に払った人々に栄光を帰したいと思います。私は、ここアメリカ合衆国のMemorial Dayの事を言っているのです。少し考えてみましょう。彼らは奉仕し、戦い、死に、そして自分たちの見知らぬ人々に未来を与えるために想像を超えたすさまじい苦労を通り抜けたのです。このお話のタイトルのように、彼らは当時も今も私たちのような普通の人々でありなから、今後来るべき世代のために卓越したことをなすために、そこに立った人々なのです。
友人であり作家のCraig D. Lounsbrough氏は彼のMemorial Dayに対するその思いを記しています。「皆さんは今は静かですが、想像を絶する荒廃した戦場に過去に立ち、自分の知らない他人の自由のために重要な場所を守り、しかしもその人たちは皆さんを知らないのです。そして皆さんの知らない一人として、私は皆さんの手を固く握りしめ、自由がどのような鎖に屈するのを拒否する時に生じる結果である血塗られた大虐殺を目にしたその皆さんの目をしっかりと見つめ、そしてシンプルにこう言いたいのです。『ありがとう』」
何故Memorial DayがMemorial Dayなのでしょう? それは私たちがここにどうやってたどり着き、私たちの自由を当たり前のものと思わないようにするためなのです。それは私たちの自由の為に高い代償を支払った人々への感謝を述べる『高い影響力』のある時なのです。少し考えてみましょう。自由はただではないのです。私たちが楽しむ自由の為に誰かが代償を支払ったのです。私たちは少なくともありがとうと言えないでしょうか?
三人の酔っぱらった高校生の車が木に突っ込んだ時、壊れた車がその高校の前に数日間放置されていました。毎日、学生たちはそれを見つめていました。それは高い影響力を持って教える時と呼ばれているものです。Memorial Dayとは、そのような「高い影響力を持って教える時」として、私たちの知らない誰かが私たちの為に高い代償を支払ったことを思い出させるものなのです。
Memorialとは全ての国、組織、個人の人生にとって意義深いものです。神がその水を二つに割った後、イスラエル人がヨルダン川を渡った時、神はヨシュアに川の渡った側に12の石のモニュメントを作るように導きました。それはメモリアルになるべきものだったのです。神が言っていたこととは「後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか』と聞いたなら、
4:7 あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、【主】の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」神は二つに割った水を「高い影響力を持った」教育的な遺産として、当時の世代よりも将来の世代に対してのものとして用いたのです。自分が教えることができる時、自分は人に手を差し出すことができるのです。
Memorialは大切です。もし自分がどこから来たか忘れたら、自分がどこに行こうとしていたのかも忘れてしまうのです。
今日、Memorial Dayは祝日となりました。それは私たちを冬の憂鬱から解放し、夏の暑さへ向けて加速する日になったのです。それは夏のレースが始まる号砲のようなものです。多くの人にとっては、Memorial Dayは水泳の日であり、バーベキューの日であり、パーティーの日なのです。それは全て悪いわけではありません。それは祝いであり、新しいシーズンであり、しかし、私たちをMemorial Dayの目的から目をそらすものであってはならないのです。
Craig Lounsbrough氏のMemorial Dayに関する言葉を再び引用させてください。
「Memorial Dayは目印となっており、私たちにそれを無視しないようにと立ち止まらせる。それは私たちを忘れてはならない何か、私たちの今あるものを作り出した何かに引き寄せるのだ。大きな交差点で何かの募金が行われ、その中のいくつかは途中で交代してくれる人もない程の少人数で頑張っている。ある人たちは国全体の未来が非常に危険な状態に陥っていることを主張するイベントを開催している。
Memorial Dayは、歴史と時代の風にバレーフォージで敗北の危機に瀕しよろめきながら、家に帰ることを待ち望み凍えていた兵士たちを忘れさせないように存在している。それは農夫たちや普通の人々が武器を取り、バンカーヒル、セメタリーリッジ、サンジュアンヒル、硫黄島、DMZ、そしてバグダッドの通りで自由のための一線に立ったことを高く掲げるものだ。
それは、多くの人がその名前を歴史の中に埋もれさせ消えていった人々、或いはボロボロの家族の聖書の中に記され消えていった人々の事を私たちに思い起こさせる。その過程の全てを通して、私たちが誰であるか、そして今や私たちのものとなっている素晴らしい特権についての思いを再び手にさせるのだ。」
過去は道しるべです。ヒッチハイクをするポイントではありません。私たちの過去を振り返るのは良いことです。もし私たちが過去を捨て去るなら、私たちは私たちの未来やアイデンティティを作り上げる基礎を失うことと同じなのです。振り返るということは、歴史の見直しがよくそういう傾向を示すように、私たちの過去を書き換える事でもなければ、再びやり直すことでもないのです。Memorial Dayは映すものであり、そこに映るということは私たちの姿をより良く整える事なのです。
Memorial Dayとは、自分が昔の人々よりも色々良く見えているその唯一の理由が、実は過去の人々の肩車に乗って遠くを見ているだけだと気づかせるものです。Memorial Dayは、個人的にも国としても、私たちが失敗と成功の両方から来た事を映し出すのです。それは私たちにどこに行くべきか、どこに行くべきではないのかを示すのです。それは私たちが学ばなければならない私たちの歴史の教えるべき時であり、ポジティブなものと、ネガティブなものの両方なのです。それは私たちを本物へと磨いていくのです。私たちは、その勝利を祝い、失敗から学び、自分たちの強さを理解し、弱さを繰り返さないようにするものなのです。
Memorial Dayによって自分を忘れるべきではない何か、今の自分を築き上げた何かに立ち返りましょう。それによって、Memorial Dayを覚えている私たちは無駄に死ぬことはないのです。
Ed Delph May 18, 2020, CCC
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