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明らかな時、そんなに明らかではない

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Apr 3, 2021
  • 5 min read

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時として私たちは明確であるべきものにこだわり苦闘します。この点を描いた有力な新聞や雑誌の面白いヘッドラインをいくつか紹介します。


ロサンゼルスタイムスの見出しの例です。「より大きなカンガルーはより遠くまでジャンプできる。研究結果。」The Hartford Courant紙はこう書いています。「アルコールの広告は、飲酒を促進する」The Cornell Daily Sun紙はこう書いています。「研究結果、Sexと妊娠は関係あり」New York Times紙は「清掃員を減らした結果、地下鉄が汚くなったことが調査で判明」


The Saint Augustine Record誌は「聖書的教会の焦点は聖書へ」The Journal of Commerce誌は「裁判所はボクサーの短パンは実際は下着であると判決くだす」The Columbus Dispatch紙は「頭脳不足で研究が遅延」明らかに、明らかなことが常に明らかではないのです。


私たちの多くにとって明確であるべきことに対する知恵ある言葉があります。「自分が何者であるか故に排除されることは、自分が何かのふりをして受け入れられることよりもマシである。」今日書き記した言葉を必要な人がいるのです。この言葉はどうでしょう?「私が自分に語った最大の嘘は『それを書き留めておく必要はない。覚えているさ。』」よくやった! 将来、明確であるべきことに対するもう一つの考えです。「昨日は私は冴えていたから世界を変えたかった。今日、私は賢いから、自分を変えている。」


自分に対する脳をひねるような考え方はいかがでしょうか? : 自分の年齢に5を加えなさい。それが5年後のあなたの年齢です。


匿名の作者による明らかなものにこだわった結果、巻き込まれたトラブルについて、最後にもう一つ例を述べさせてください。「先日、私は友人と出かけた。この友人はクリスチャンだが、常にそのように船待っているわけではない。ある時は彼女は神の言葉に沿って行動しており、ある時は、人生の苦悩が彼女に押し寄せてくる。私たちの目が合うとき、何かを彼女に言いたくなるのだが、主が彼女に話すようにしようと思った。私が口に出せる言葉は何一つとして、彼女の父親の言葉ほどの影響を与えないことを知っている。だから、私は彼女と共に祈った。数分後、私は彼女にウィンクをして、鏡から離れた。」


ある人々が神を信じることに苦悩していることは私にとって興味深いことです。聖書は、一つの、真実の、生きた神と死後の人生を明確なものにしたと語っています。神はどのようにしてそれを明確にしたのでしょうか?神はそのことについての書を書いたのです。伝道者の書 3:11は神は全ての人の心に永遠を与えられたと述べています。私たち誰もが持っている神、永遠、天国という概念は、私たちを神に導くために神によってプログラムされたものなのです。


人々が神の実際の姿について暗闇を歩むとき、神はその人を導きます。パウロのローマ人への手紙は、私たちに三つの明るい光が私たちに与えられており、それらが神への道を照らすのだと述べています。第一章は生まれながらの光。第二章は良心の光。第三章は福音の光です。

生まれながらの光とは何でしょうか? ローマ人への手紙第一章はこう述べています。「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ1:20)


言葉を変えるなら、神は私たちが見えるものによって御自身を私たちに示したのです。皆さんは晴れた夜空の星々のすばらしさを見たことがありますか? 圧倒されますよね? 皆さんは大自然、海、神が創造された素晴らしい生き物たちを見たことがありますか?神は大自然、地、天国を創造し、私たちに被造物を創造した創造主を示して見せているのです。大自然と被造物は神ではありませんが、神への道を示しているのです。


ローマ人への手紙の第二章の良心の光とは何でしょうか? 私たちの良心は私たちの目に見えない部分で、正しいとか悪いとかを語りかけるものなのです。全ての人々は何がモラル的になすべきか、皆にとって良いのかを内在的に知っているのです。私たちが自分の良心に耳を傾けない時、私たちは罪の意識を抱え、更には心地が良くなくなるものなのです。良心とは、神がおり、私たちを神のもとへと導く、神によるものなのです。


ローマ人への手紙の福音の光とは何でしょうか? 聖書は全ての人は律法を破り、神の栄光に届かないと述べています。神は義であるが故に、義であることを求めるからなのです。福音の光は神が私たちに与えた神の義なのです。どうやって? イエスが地におりてきて、私たちの足りない部分の代価を支払い、罪の牢獄から解放したからです。キリストが十字架の上で成し遂げたことを私たちが受け入れることは、私たちが今まで罪を犯したことがないようにすることなのです。


福音はイエス、神の息子、肉の中に宿ったこと、神のまさにその性質を私たちに解き明かしたこと、についての良い知らせを意味するものなのです。十字架の上のイエスという生贄の中に、神は私たちのすべての重荷をイエスに注ぎ込み、そしてイエスの全ての良い性質を私たちに注いだのです。イエスが死んだとき、私たちの罪も死にました。イエスがよみがえる時、私たちもよみがえるのです。それが私たちを永遠の天の市民にするのです。


栄光とあるイースターと復活際をお過ごしください。恐らく、あなたの鏡は自分にこう語っています。三つの光が自分に示されていると。神は、私たちの生まれながらの姿、良心、福音の三つの光を通してご自身を現わしているのです。明確なものを大切にしましょう。つまり、私たちは心の中に永遠を持っているのです。

エド・デルフ/Ed Delph March 29, 2021, CCC




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