新しい冒険をどうやって始めるか?
- Ed Delph

- Dec 11, 2021
- 6 min read
心の望むままに必要なお金があったら、どこで暮らしますか? もし心配がなければ? もし家に帰ってきて、おいしいごちそうが待っていたら? 完璧な子どもをもっていたら? もし配偶者が両手を広げキスで待ってくれていたら? それならどこで暮らそうと思いますか? 間違えた家にいたのかもしれません。
多くの人は、あるものを真実と受け入れるには良すぎると考えるのです。しかし今昔を問わず、良いことは依然として起きているのであり、おそらくは皆さんが思っている以上に起きているのです。クリスマスは起きました。そしてクリスマスは続いているのです。
The Twelve Days of Christmasという歌を聞いたことがあるでしょう。さて私は「The Twelve Principles of Christmas」を今日は分かち合いたいと思います。最初のクリスマスは神と人類にとっての全く新しい冒険の旅でした。その新しい旅路がどうやって始まったのか知りたいと思いませんか? そうすれば「The Twelve Principles of Christmas」から学び、何か新しいものが私たちの心に生まれるのです。新しい旅路を生み出すために神が何をなさったのか探ってみましょう。
原則1 新しい旅路は新しい旅路なのです。新しいものを古いものの上に覆いかぶせても何も変えることはないのです。同様に、楽園から追放されたアダムとイブに日曜日の礼拝行きの服を着せても何も変わらないのです。ですから神は古い章を閉じ、新しい章を始めたのです。神は形式的な礼拝から関係性へと動いたのです。クリスマスは新しい始まりであり、それは全てを変えたのです。
原則2 あなたの旅路は天国から始まらなければなりません。私の言うことを信じてください。最高のクリスマスプレゼントは天国で包まれるものなのです。私たちが手にすることよりも、はるかに素晴らしい頼みの源は神なのです。神は、私たちが考える以上に、神により創られた新しい冒険の旅路を私たちがたどることについて、関心を持っているのです。神は私たちから何かを得ようとは考えないのです。神はむ私たちに何かを与えたいのです。
原則3 神はちょうど良い時、ちょうど良い場所、ちょうど良い人々に出会うために大変不便な冒険の旅を用いるのです。ヨセフとマリア、三人の博士たち、羊飼いたちを考えてみましょう。全て、天による不自由な旅路を通り抜けたのであり、それは何か新しいものを生み出すのに必要なものなのです。
原則4 神は小さいものから始め、大きいものへと至らせます。神は赤子から始めるのです。小さく始めることを恐れないでください。この小さな日々から得られる価値ある教訓こそが、神が私たちのために備えているものへの準備になるのです。赤ちゃんの歩みはやがて大人の歩みになるのです。例えば、私が24歳の時、従業員二人とビジネスを始めました。6年後、私は43人の従業員を抱えました。私の発見は? 自分が成長すれば会社も成長するということです。赤ちゃんの歩みが大人の歩みになるのです。
原則5 神はクリスマスとキリストの降誕の為に前もって用意し計画していました。いつでしょうか? 創世記の第二章からキリストが生まれるまでの間です。みなさんは、多くのスポーツの試合の勝敗は、月曜日から金曜日までの試合の計画の間に決まることをご存知ですか?
原則6 神は良いタイミングを見計らっています。時として私たちはちょうど良いアイディア、場所、或いは製品を悪いタイミングで出してしまいます。自分のチャンスを失わないように注意しましょう。しかし、反対に急いてしまうことに支配され、悪いタイミングに飛び出すことはやめましょう。
原則7 神の希望のメッセージはこの待つべき時にあっては「福音」です。天使がどういったかご記憶ですか?「恐れることはない。・・・・・私は大いなる喜びに満ちた良い知らせを持ってきた。」キリストの降誕は良い知らせであり、それは今日の落胆に満ちた世界でもそうなのです。人々はネガティブで、落胆させるニュースに疲れ切っています。何か新しいことを始めるのは、解決であるべきであり、問題と捉えるべきではないのです。
原則8 神は必要を見つめ、解決を見出しました。神には、イエスの時代の人々が羊飼いのいない羊のようだに見えたのです。彼らは病み、問題を抱え、全ての希望から閉ざされたように神に見えたのです。神は彼らに、より高い自由、罪からの自由を与えたのであり、罪を犯す自由を与えたのではありません。神は手を差し出し関わろうとしたのです。神は肉の形を取り、彼らの間に暮らすことを選んだのです。彼は参加者の立場で人間と関わったのであり、傍観者の立場ではありませんでした。彼は世を救うために来たのであり、世を裁くために来たのではなかったのです。
原則9 もし、最初に成功しなくても再び挑戦するのです。あの宿屋に部屋が一つもなかったという状態がどうであったか思い出しましょう。ヨセフとマリアは、それを受け入れ適応しなければならなかったのであり、計画の変更を受け入れ、時として向上するよりも低下することを受け入れるのです。三人の博士たちのように、私たちは時として星に導かれ厩を見つけるのです。米国陸軍のGeorge S. Patton将軍はこう言いました。「私は兵士がどれだけ高く上へと昇り詰めたかどうかで評価はしない。彼がどん底に落ちた時、どれだけ高いところまで跳ね返って上がってこれたかで評価する。」
原則10 あなたを探す客はあなたを見つけるのです。神はキリストを探し求めるものにキリストを与えました。遠方から宝物を備えて持って三人の博士たちはきました。羊飼いたちは奇跡と共にきました。天からの天使と星々さえも、神の新しい冒険の旅路のオープニングに来ました。そして忘れないでください。全ての人が、私たちの新しい冒険の旅路に喜んでいるわけでもないのです。ヘロデ王は怒り狂いました。全ての人が私たちのお客さんであるとは限らないのです。
原則11 神は「私たちと彼ら」というものはないと教えたのです。全ての人は、そうありたければ神のチームに入ることが出来るのです。イエスはインマヌエルと呼ばれ、それは「神が私たちと共にある」を意味したのです。私たちが貧しい羊飼いか、富める王であるか、10代の処女か大工か、納屋の動物か天使か、男か女か、預言者か普通の人々か等は関係ないのです。誰でも神のチームには歓迎されるのです。
原則12 神は長い期間での成功と持続性を建て上げていくのです。キリストはゆりかごから十字架、そして王冠へと至り永遠を築きあげました。そこにはケチケチしたり、さぼったりすることはありませんでした。神は天の心と人々を持つ人を用いるのです。だから神は私たちを神のチームに入れたいと思うのです。賢い人々は今も神を求めているのです。
ですから、クリスマスのお話の背後には、どうやって素晴らしい新しい冒険の旅路を始めるかが込められているのです。そしてクリスマスは一年で最も素晴らしい時期です。イエスの名の一つが「素晴らしいもの」というのは偶然ではないのです。メリークリスマス、そしてハッピーホリディ。
エド・デルフ/Ed Delph December 13, 2021, CCC
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