強さの知恵と知恵
- Ed Delph

- Sep 11, 2021
- 5 min read
先週、私は「両者いずれも/共に」の発想が私たちの人生に大切であることを述べました。これがどう働くか、お話させてください。
自分の人生に二つの大きな季節があるのを知っていますか? 聖書はこの二つの季節を強さと賢さと呼んでいます。第一に、強さの季節があります。そして、経験を手にするに従い、ある強さを失い、季節は知恵の季節に変わっていくのです。興味深いでしょう。
箴言20:29は私たちにこの真実を明かしています。「若い男の光栄は彼らの力。年寄りの飾りはそのしらが。」 かくして白髪は旧約聖書では知恵の象徴となったのです。
ですから、強さの季節と知恵の季節が私たちの人生にはあるのです。私は自分の人生の中の強さの時期が好きでした。私は徹夜でフェニックスの中央通りをレースをしながら行ったり来たりできました。私は4:30に床に就き、6:30に起きることが出来ました。そして一日働くこともできました。夏の日に一日二ラウンドをゴルフで続けて回ることが出来ました。私は卵、ベーコン、そしてコレステロールだらけのものを食べることもできました。私は水上スキーを何時間も続けることが出来たことを記憶しています。私が若い経営者だったころ、私は続けて三日間不眠不休で急ぎの仕事を片付け、締め切りまでに間に合わせました。もし、今それをやろうとしたら、トーストみたいにぺったんこになっているでしょう。
今日、私はブランフレークを食べ、新聞を読み、コーヒーを飲み、車にはエアコンがついています。若いころは、エアコンは車の馬力を減らすだけのものでした。今日、私は家をエアコンなしにはしておきません。私の頭にあった髪の毛は、鼻や耳ほどの長けです。私は髪の毛を失っていません。私は顔を手にしたのです。私の若い時の友達が不思議そうに見つめている前で、私は三本のスニッカーズバーをだべただけで、ゴルフコースを回ることが出来ました。私はクラシック音楽さえも聴くようになりました。私は父親らしく見えるようになりました。それには知恵の代償を支払いましたが。
私は変化した、姿が変わってきたというかもしれませんし、もしかしたら私は単に少し年を取り、願わくば賢くなったのかもしれません。しかし私は認めたい年齢よりも年を取り、人生の知恵の季節にいるのです。時として、自分がどの人生の季節にいるかを混乱してしまい、それがアイデンティティの問題や中年危機を引き起こします。しかし両方の季節は神にとって良いものなのです。それが神が人生を創造した形なのです。
何年も前に書かれたお話が以下にあります。若者と年寄りが共にwin-winを手にして歩み寄るかについて書いたものです。
ある老人が、こう尋ねてくる若者に出会いました。「私を覚えていますか?」「いや、覚えていない」年寄りは答えました。すると若者は老人に学生自体の生徒だったと伝えました。先生は尋ねました。「今、どんな仕事をしているんだい?」「私は先生になりました。」「それじゃ、君は私のような先生になったのかい?」生徒だった男は答えました。「ええ、そうです。あなたのような先生になるようにとあこがれたので、私は先生になったのです。」「それは興味深い。どうやって、どうやって、私は君が先生になりたいと思うように影響を与えたんだ?」先生だった男は尋ねました。
若い男は答えました。「ある日、私の友人、彼も生徒でしたが、教室に新しい腕時計をして登校しました。私は欲しくなりました。私は彼のポケットからそれを盗みました。私の友人が腕時計がないことに気づいた時、当時私たちの先生だったあなたに、彼は文句を言ったのです。私の友人を指さしながら、クラスに向かってあなたはこう言ったのです。『この生徒の腕時計はクラスの中で盗まれた。盗んだものは返しなさい。』
誰も腕時計を返さなかったので、あなたはクラスの生徒全員に立ち上がり輪になるように命じました。そして目を固く閉じて決して薄眼で見ないように命じました。全ての生徒が目を固く閉じていた時だけ、うあなたは一人一人の生徒のポケットを探ったのです。私のポケットを探った時、あなたは腕時計を見つけました。しかし、私の次の生徒のポケットも黙って同じように調べ続けました。とうとうあなたが全員のポケットを調べ終えた時、あなたは生徒に言いました。「みんな目を開けなさい。ここに腕時計があった。」
あなたは私を感動させました。私には何も言いませんでした。その話も二度としませんでした。誰にも誰が腕時計を盗んでいたかを話しませんでした。あなたは私をしかりつけもせず、道徳についての説教もしませんでした。その日、あなたは私の永遠の尊厳を救ったのです。私は人生の中で最も恥ずべき日だったと知りました。そしてその日、私は盗人かそれ以下には決してならないと決心しました。私はあなたの言いたいことを受け止めたのです。ありがとうございました。私は教育者がすべきことを理解しました。先生、この出来事を覚えていらっしゃいますか?」
その年老いた教授は答えた。「ああ、覚えているよ。しかしどうして君は私が君を覚えていないのかわかるかね? 私は、生徒のポケットを探る時、私も目を閉じていたのだ。あなたへの教訓は、教育のエッセンスだ。誰かを正そうとするなら、自分はへりくだらなけければならない。どうやって教えてよいかなど、誰もわからないから。」
生徒のポケットを探った男の日々は、壮大な品格の傷つきにより長くつらい過去になりましたが、原理はそうではなかったのです。知恵のある人たち、若い人たちはその人生の中で強さの季節にいることを思いだしてください。彼らの音楽は、うるさく、彼らは早く物事を決めてしまいます。彼らはその人生の季節の中にいるのです。強さの中にいる人々、他人の知恵が自分の人生を救うことを思い出してください。彼らの知恵は、自分がなるべき姿になる為に必要なすべてなのです。強さと知恵が共に働くことは、コミュニティと文化が完全になる為のものなのです。
知恵と強さは互いに補完しあいます。互いに競合するものではないのです。実際、それぞれがお互いに必要とするものなのですが、自分では気づかないものなのです。
そして思い出してください。強さの中にいる人々。いつかは私のようになるのです。
エド・デルフ/Ed Delph September 13, 2021. CCC
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