好かれやすさという財産へ手を伸ばす
- Ed Delph

- Jun 25, 2022
- 6 min read

皆さんは誰かが生まれながらにして人から好かれやすいということを感じたことはありませんか? 彼らは簡単にそうできるのです。他の人は明確な好かれやすさを持っていませんが、ちっょとした心がけでそれを簡単に手にすることができる人と同じように人から好かれやすくなるのです。次のお話を考えてみてください。
「私の弟の家を訪問していた時、私はお金が無くなったので50ドルを彼から借りた。家に帰ると、数週間ごとに彼に短い手紙を書き、5ドルの小切手を入れた。彼は私に、金額よりもその手紙がどれだけうれしかったかについて語ってくれた。私は今まで定期的に手紙を書いたことはなかった。やがて私は最後の5ドルの小切手の時となり、手紙を送った。翌週、私は弟からの封筒を郵便受けに見つけた。その封筒にはもう50ドルが入っていた。」好かれるということは、このように簡単なのです。
誰もが好かれやすい人になるということ、それ自体がとても好かれるものではないのですが、が好まれないことを理解しています。しかし今回は好かれたいと思っている人に向けて書いたものです。自身の好かれやすくなるという点を伸ばしてみましょう。世界は好かれるという薬を今すぐに用いることもできるのです。好かれやすさというのは伝染性があります。運び人になり、配達する人になりましょう。
私が好かれやすさという時、エゴに支配されたもの、支配的な人が他人や何かのものを支配しようとしたりすること、自己顕示欲の強い人が人を操作することで自身の存在意義を求めることなどを言っているのではありません。この手の態度は、そのような同じタイプの人を対象に行わない限り、人々にわかってしまうのです。そうではなく、栄誉ある好かれやすさを言っているのです。それが人々が好むものであり、あなたであることが理由であなたに敬意を示すことになるのです。好かれやすさとは、他人を中心としたものであり、自分を中心とするものではないのです。
以下にライフコーチのJonathan Wellsからの好かれやすさについての提案があります。この提案には何も目新しいことはありません。その提案を当てはめることは、好かれることを解き放つのです。その提案が習慣に代わった時、人生がどう変わるかを良く見つめてください。習慣だけが私たちに無償で使える唯一のしもべなのです。
最初の好かれやすさを解き放つ提案は「どうかお願いします」と「ありがとう」を言うことです。聖書は愛は礼儀に反することをしないと言っています。人々は礼儀に反する人々にそっぽを向くのです。ですから、何かを言う時には「どうかお願いします」と言いましょう。誰かが自分に何か良いことをしてくれたら必ず「ありがとう」と言いましょう。人々が自分に背を向けたいときは、人々を自分に振り向かせることはできないのです。感謝祭は決して一日で終わってしまうべき日ではないのです。
第二に、黄金律に従いましょう。イエスはこう言いました。自分がしてほしいように他人に振舞いなさい。もしすべての人がこれを当てはめたら、殺人は起きず、ゴシップはなくなり、陰口はなくなり、盗みもなくなるのです。そして人々はひどい扱いを受けたことに由来する感情の袋を爆発させるのではなく、前に進み始めていくのです。Peter DeVriesは言いました。「私たちは第一にこれを他人を通して見つめるのではなく、他人とは関係なく見つめるべきだ。」
第三に、共通のゴールあるいは共通の利益に向けて人々と協力し働くのです。「ただそれ故に、誰かを助ける」のです。つまり下ごごろなしにです。自分のカートをスーパーの通路で寄せて、他人を通りやすくしてあげるのです。彼らと共に働くのであり、彼らに対立するのではないのです。今日の世界では、あまりに多くの人が何か二人のイライラを一つのツボに入れたようになっています。William Wardはこう言いました。「声を高くすると評判は下がり、カッカとすると友情は冷める。曲がった舌は真実を曲げようとする。高い頭は、影響力を低くする。鋭い言葉は、敬意を鈍いものにする。」
第四の提案は良く微笑ことです。微笑みは自分のムードを高め、微笑みかけた相手の精神も高めます。信じられないなら少しやってみることです。その日に誰かに語りかける前に、最初に微笑みましょう。そして彼らの反応を見るのです。多くの人は微笑み返すのです。他の微笑みが多くの微笑みを産み出すのです。微笑みは自分の顔の価値を上げるのです。それは無料の美顔術のようなものです。
第五の提案はこう言うことです。「すいません。」何かで間違えたら、人に何か悪いことをしたら、誰かを傷つけたら(意図的であろうがあるまいが)、それを謝るのです。裁いたり非難をするゲームに入らないでください。自分の恥の心によって、非難をすることが無いようにしてください。自分の問題についての他人への思いを捨てるのです。それが自分にとっても、彼らにとっても良いのです。非難を黙って受け止めるにしても、しかしそれは恥をかくことでもないのです。
より好かれやすくなるための第六の提案は、良い聞き手になることです。それは常に簡単ではありませんが、他人の話を聞くこととは、その人に人として純粋な関心があることを、相手に伝えることになるのですが、それが嫌いな人はいるでしょうか? 聞く技量は寂しさ、多弁(話過ぎ)、口先を埋める最高の埋め合わせのものなのです。
思いがけない称賛を受けたことはありませんか? 他人を称賛することは、好かれやすさについての七番目の提案なのです。あまりにぎすぎすしたこの世の中において、誠意を持った称賛は励ます言葉なのです。Arthur Fettigは言いました。「誠実な称賛を語るには勇気がいる。不自分が頭にきて、怒りが自分の動機となる状況では不平を言い非難することはあまりに簡単だ。しかし立ち上がり良い仕事にはよい仕事だったというのだ。他人を称賛することで、その人を自分よりも幸せな気持ちにすることはできないのだ。」
好かれやすさについての最後の提案は、笑うことです。笑いは自分を幸せにしリラックスさせる幸福ホルモンを出させるのです。自分が笑う時、笑いにより他人を励ましているのです。他人の幸福に貢献している時、彼らは自分に何かしてくれるわけではないのですが、自分に好感を持ってくれるのです。W. Grant Leeはこう言っています。「笑いを共にするということは、友情という手形を発行する。人々が共に笑う時、彼らは若いものと年寄り、主人と奉公人、労働者と雇用者という垣根を低くする。その代わり、彼らは人間としての一つのグループとなり、自分の存在を楽しむのだ。」
いかがでしょうか? 好かれることは、前向きであり、神が与えた人生のスキルは周囲の人々の一日と自分の一日を上向きにし解き放つのです。好かれるということは、あなたのものです。それを手にしましょう。
エド・デルフ/Ed Delph/June 27, 2022/CCC
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