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失望の果実は無償だが、その代償に全てを要求する

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Jul 12, 2019
  • 5 min read

Updated: Jul 31, 2019


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今週ある人が私にメールで送ってくれたお話が以下にあります。その中に私たちのための真の知恵があると思います。

ある大きな大学の教授と交換留学生が興味深い議論をある日交わしました。その学生は、教授に奇妙な質問をしました。「野生の豚をどうやって捕まえるかご存知ですか?」教授はそれは冗談だと思いました。「森の中のちょうどよい場所を見つけて、地面にコーンをまくのさ。豚はそれを見つけて、ただでコーンを毎日食べるようになる。豚たちが慣れてきたころを見計らい、彼らがいつも来るようになった方向に柵を一枚立てるのさ。やがて豚たちが柵に慣れてきたら、再びコーンを食べるようになる。そうしたら、別の方向に一枚、柵を立てる。」

交換留学生は続けた。「彼らがそれに慣れて、再び食べるようになるでしょう。それをやがて 四方向に柵を作り、最後の一面には扉を設けておくのです。ただでコーンを食べることに慣れた豚たちは、やがて扉をくぐってコーンをただで食べようとするでしょう。その時に、扉をさっと閉めれば、群れを全て手に入れることができるのです。突然、野生の豚たちは自由を失うでしよう。彼らは柵の中を走って走って走り回るのですが、逃げ場はなく。やがて彼らは元の場所に戻りただでコーンを食べ続ける。彼らはそのことに慣れてしまっており、森の中でどうやって食べ物を探し求めるかを忘れてしまっているので、結局は捕まえられて生きることを受け入れてしまうのです。」

私はこれが実話かどうかはわかりませんが、それは理にかなっているように見えます。一つ正しいといえることは、罠から抜け出すよりは、罠にはまってしまう方がはるかに簡単だということです。今回のお話は、その両方の私たちに対してのものです。

失望について、上記の話を用いて私たちが失望した時に何に直面するのか、描き出させてください。私たちは誰しもが、時として失望を味わいます。それは「仮に」というのではなく、人々、リーダー、製品、組織などが私たちを失望させたまさに「その時に」どうするかという問題なのです。私たちが起こるとして期待していた事柄と、まさに起きた事のギャップと、その後に起きる出来事は多くの気の毒な男女を覆いつくすのです。ですから、私たちは「Mind the Gap(『電車とホームの隙間に気を付けてください』の意)」を心掛けなければならないのです。

もしこのことが皆さんに起きているなら、今回のお話はその罠から飛び跳ねて出るように促すものかもしれません。皆さんは豚ではないのです。皆さんは神のイメージに沿って創られた人なのです。驚き怒る対象は自分が誰なのかではないのです。

私たちの人生に失望が訪れた出来事と状況についてイエスが語っているマタイの11章と18章を引用させてください。これは人生を変えるものです。「つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。しかし、つまづきの感情の荒海の真ん中で私の導きにより乗り越えるものは祝福である。」言い換えるなら、この人生では、ひどいことは起きるのです。神は、このような妨げを私たちを築き上げるために用いたいと願っているのであり、打ち砕こうとしたり、果てしない被害者意識のどん底に陥れようとしたりているのではないのです。

Alan Pateman牧師はこう言っています。「失望の感情の中に溺れるのはあまりにたやすく、特に他人やリーダーが一緒になっている時こそ特にそうだ。私は失望からだきるだけ早く抜け出すことを学んだ。さもなければ、赦せない心が私たちの心の内側の焦点を奪い、神に用いられることがもはやできないようにと私たちをとらえるのだ。」私は失望は私たちの人生の全ての領域で、精神的に、感情的に、霊的信仰的な機能をほとんどの場合に弱めてしまうと付け加えたいと思います。私たちが失望という重荷を長く負えば負うほど、それはより重くなり、先ほどの野生の豚のように罠に囲われてしまうのです。

長い間、握りしめ続けた失望は、不満足、喜ばない心、落胆、不満、幻滅、喪失、あるいはストレスとなり、ついには悲嘆に明けくれることになるのです。失望の実は代価なく手に入るのですが、私たちの全てにおいて代償を支払うこととなるのです。ただ傷つくのは自分自身なのです。伝えたいことがお分かりでしょうか?

以下にいくつかの知恵ある言葉があります。失望についての真実で、霊的信仰的に正しい絵姿を知ってください。失望は私たちの上に来るのです。全ては完璧にはならないのです。失望がわしたちを傷つけるのではなく、私たちの失望に対する応答が傷つけるのです。悪いことが起きることは、一つの事象です。しかし、そこで心を閉ざすかどうかには選択の余地があるのです。私たちが心を閉ざしたとき、私たちは自分で自分に手錠をかけ、どこに行っても手錠をはめたままになってしまうのです。

福音の美しさとは、私たちの欠点の全て、私たちが犯した全ての過ち、私たちになされた全ての悪を受け取り、それを神の恵みにより変えてしまうことなのです。言い換えるなら、自分に悪をなした人々、痛みを与えた人々を赦し、自分を閉じ込めてしまったこの悪い出来事に対して何も考えずそのまま反応してしまった自分をも赦すのです。神の恵みが自身と彼らの上に臨むように全てを手放し、残りの人生の上にそれがもたらされるようにするのです。過去に生きている限り、未来は来ないのです。

神が私たちに与えた赦す権利を活用することは、賢い選択です。自分が赦すという選択をする時、私たちに悪事を働いたものと自分自身の問題の両方を乗り越える力と能力を神は与えるのです。自分が回復した時、全ては回復するのであり、何故なら神の道はより優れているからなのです。豚の囲いの柵の外にいる方がはるかに良いのです。

エド・デルフ/Ed Delph July 22, 2019 CCC

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