判断、一般化、そして誓い、なんと!
- Ed Delph

- Mar 1, 2021
- 5 min read
Updated: Mar 6, 2021

このお話は皆さんに信頼を再びどうやって取り戻すのかを学ぶ管の三番目です。私たちがコロナウィルスと共に、選挙、マスク、隔離による孤立を最近経験していることにより、多くの人々の多くのものごとに信頼の問題を生じているのです。
以下に再び信頼することを学ぶ例があります。台の上に牧師を置いた、完璧なクリスチャンであり、知恵と知識に豊かなボブの事を考えてみましょう。その牧師が、牧師たちがそうしてしまうように、状況を取り扱うのにミスを犯し、或いはボブの人生において神経がむき出しのままになっている何かについて言ってしまった時、或いは何かモラルの問題に陥ってしまった時、ボブに何が起きるでしょうか? 彼は傷つき、裏切られたと思うのです。
そしてボブがこう考えるとします。「すべての牧師はあんなものだ。僕は彼を信じてバカだった。もし自分が賢かったら、もうほかの牧師を信じたりはしない。」みなさんは、このように牧師、上司、配偶者、或いは公的な何かについて感じたことはありませんか? 私はあります。私は何年も数多くのボブにも出会ってきました。
ボブが一人の牧師の件によって、すべての牧師を一般化して判断してしまうことに気づいてください。牧師とはあんなものだ。彼を信じるとは馬鹿だった。そして彼はこう誓うのです。もう他の牧師を信頼しないと。彼は裁き、誓いを立て、一般化するのです。ライオン、タイガー、熊だと。なんと!
裁いて判断したり誓ったりすることは、すべてが悪いわけではありません。もし自分が熱いガスコンロのバーナーに触れてしまい、もう二度としないと決心するなら、それは知恵なのです。しかし、もし二度とコンロに触らないと決心するなら、一般化しすぎなのです。多くの場合、自分が何かを一般化すると、ついには自分に重きを置き、自分を全て欺いて生きることになってしまうのです。
ボブはどうでしょうか? 彼はおそらくは、その牧師についてより現実的であるべきだったのです。自分の牧師と教会を神格化してしまったことが、ボブの中に何かの期待、しかし本当は真の神のみが成就できるもの、を作りだしたのです。恐らくはボブは教会に再び戻り、今度は一層イエスのみに焦点を合わせるべきなのです。
私が左足をスキーで骨折した時、私はものごとをもう一度見直す必要がありました。恐らくは全てのスキー場が悪いわけではないのです。恐らくは、私は再びスキーをすべきであり、しかし次はガラガラヘビという名のコース外滑走をすべきではないのです。これは知恵であり、オーバーリアクションではないのです。
マーク・トゥエインはこう言っています。「私たちは知恵がその中にある一つの経験から抜け出すときは、非常に注意深くあるべきだ。そしてそこで立ち止まり、熱いストーブの上に座っている猫のようにならないように。その猫は決して、熱いストーブの上には座らない、そして、その猫は冷たいストーブの上にも決して座らなくなる。」
ボブの話に戻りましよう。もし私たちが信頼を置いていた対象が崩壊し、失望し、傷つけたり、或いは期待外れだったりしたら何が起きるでしょうか? 私たちは行動するか反応するのです。時として、客観的ではなく、感情的にです。その結果、私たちは心の内側で、何かをもう信頼すべきではない等、その対象について何かを心の奥底で誓うのです。
人間の理解のプロセスにおいては、一人一人がその自身の体験を評価し、その経験から判断し裁き、将来の意思決定の方向性についての誓いを立てるのです。ウェブスター辞書は誓いについてこう定義しています。「宗教上の約束、あるいは誓約、特に人が神あるいは何かの神にするもの、自分を何かの行動、奉仕、生き方に捧げること」
例えば、ストーブの上に手を置いて火傷をする経験をしたとき、私たちは次の判断をして裁くのです。「それは熱い。それは怪我をする。だから嫌い。」この判断裁きは次の誓いに至るのです。「私は熱いストーブに二度と触らない。」熱いストーブに触らないという誓いは、自分を守りますが、自分が誰かや何かを二度と信頼しないという誓いは、破滅に導くことになるのです。
誓いはその強さにおいて、弱いものから強いものまであります。それがより強力であればあるほど、その誓いは自分の意思決定と行動に影響するのです。次に誓いについての三つのルールがあります。第一に、経験がよりトラウマ的であればあるほど、その結果に生み出される誓いは強力になるのです。第二に経験の数が多くなれば、その結果としての誓いは強固になるのです。第三に、その経験が新しければ新しいほど、その結果生み出される誓いは強力なのです。
強さ、頻度、新しさのいずれもが、誓いの強さに影響するのです。これは何を意味するのでしょうか? もし何か恐ろしいことが一度以上、しかも遠い過去ではない最近に起きたなら、すぐにはその状況に自分が身を置かないようにするのです。それは何が起きたか、或いは何を信頼した結果か、誰を信頼した結果かによって、良いものにもなり、悪いものにもなるのです。
ウェブスター辞書は一般化についてこう定義しています。「何か特定の事例から一般的な法則を導いたり推察したりすること。」多くの場合、私たちが感情的に立てる誓いはこのような一般化に至るのです。「私はもう二度と傷つかないようにする。」「私はもう二度と裏切られないようにする。」「私はもう二度と弱みを見せないようにする。」「すべての男とは、、、、」「すべての女性とは、、、、」「すべての政治家とは、、、、」「民主党員はみんな、、、、、」「すべての保守派は、、、、、」「教会は全部、、、、、」なにか聞き覚えがありませんか? それはそのように感じられ、見えるかもしれませんが、しかし、「すべての牧師がそうなのではなく、、、、」「すべての女性や男性がそうではなく、、、、」「すべてのリベラル派や保守派がそうなのではなく、、、、」なのです。
この歌の何が問題でしょうか? 「私はもう二度と恋しない、誰も男はあなたに電話しない、男はみんな肺炎、、、、?」その歌手は、彼女を愛し、電話し、肺炎になるほどの菌を持っていない人を見逃してしまっているのです。ちょうど、熱いストーブの上に乗らなくなった猫のように、彼女はもう二度と恋をしないと誓っているのです。一つの経験が全てではないのです。
来週は、賢く信頼することで信頼を取り戻しましょう。それは自分から始まるのです。
エド・デルフ/Ed Delph March 1, 2021 Part 3
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