刈り取る前に見つめましょう – 刈り取った時に単に見つめるのは間違いです。
- Ed Delph

- Aug 15, 2020
- 5 min read

私たち誰にも関わることに対する素晴らしい考え方から始めましょう。以下の通りです。自分の足の小指の目的とは、自分の家具が未だに堅いことを時々確認することです。皆さんの中の誰かは、今、それで呻いているかもしれません。自分の足の小指が家具はまだしっかりと堅いことを確かめる記憶があるでしょう。私はこのことについて正しくありませんか?
様々な人生の状況において、足の小指が痛みに耐える能力があるのかどうかを確かめることについて、私のFacebookのフォロワーたちに強く響いた一つの言葉を見つけました。それはDeanna Wadsworthによる言葉です。「自分が取り戻すことができないものは四つ。1.投げた後の石。2.言ってしまった後の言葉。3.逃してしまった後のチャンス。4.過ぎ去ってしまった時。」
これら四つの事は全て同じ事を言っています。もし自分が足の小指を痛めたくないなら、つまり「家具と足の小指がぶつかる体験」をしたくないなら、自分が刈り取りの時を迎える前によく見るのです。何かに反応する前に行動するのです。自分が建て上げる前に計画を立てるのです。自分の思いに目を見張るのです。何故ならあなたの思いは言葉になり、言葉は行動になるからです。単に時を見つめないでください。自分のタイミングを見つめるのです。自分の為すことに心を配るのです。そして私たちが言った言葉は、良いことにもなり、良くないことにもなり、ひどく痛いものにもなりえるのです。
私たちはこの言葉を自分に当てはめることができるのです。なぜなら、その時、自分がそこにいたからですよね? 私は何度、自分の口から出た言葉を追いかけ、捕まえようとしたことでしょうか? 私は慌てて話してしまい、そして心の中で自分にこう言うのです。「あれま、私があんな馬鹿なこと、人を傷つけ、あるいはセンシティブなこと、を言うなんて信じられない。私は言いたかった思いでコミュニケーションを取れていなかった。それは誤解されてしまう。心の中で、私がその言葉を追いかけ、捕まえようとした時、それはスローモーションで走っているようなもので、しかし決してその言葉に追いつくことはできない。私はその言葉がその人に届く前に、そこに立って投げた言葉を受け止めて手につかみ、そして自分のところに戻りたい。さきほどの私の心が離れていたことの故に、私は体から離れて何とかしたいということを考える羽目になってしまっているのだ。」身に覚えはありませんか?
電子メールはもっと最悪です。何故でしょうか? 私たちの言葉は仮想的な紙の上にあるのです。そこに自分が発言した言葉の証拠があるのです。自分の側で発した言葉を取り消そうとすればするほど、相手はより繰り返して打ち返してくることになるのです。
そして考えるべき行動があります。その場の楽しみや感情によってとてつもない失敗をしてしまい、人生を一晩だけ遡ることができたならと望む人々の相談に、私はどれほど今まで乗って来たでしょうか? 自分のビジネスの決定を取り消すことが出来たらと望む人々、終わってしまった関係を取り戻したいと望む人々、人生の大切な選択で選んでしまったこと、選ばなかったことを取り戻したいと願う人々を私やみなさんはどれだけ知っているでしょうか?自分の目の前でチャンスや機会を逃してしまったものの、それさえも気づかない人々をどれだけ見て来たでしょうか? マーク・トゥエインは、選択する機会が一つに絞られてしまうまで、決して気づくこともなかったと言っています。何故、私たちはその言葉に共感を覚えるのでしょうか?
臭い考えの為にデートで全てのトラブルに巻き込まれる男の事をうたったカントリーウェスタンが好きです。それはこううまいこと呼ばれています。「オレは何を考えていたんだ?」もし、私が彼の相談相手だったなら、私は彼の抱える問題をこうまとめます。「私が思うに、あなたは自分の事を思う人の事を考えず、自分にウィンクする人の事を考えた挙句に、臭い人になったのだ。」私が独身者の担当牧師をしていた時に、この言葉を使ったのです。
衝動的であること問題とは、それが衝動だからです。それと同様に、遅刻の問題は、遅いことが問題なのです。何が、いつということを知ることは、尋常ではないセンスが必要なのです。何故なら普通の常識が非常識な時代だからです。
皆さんはこう言うでしょう。「もう手遅れだ。何ができる?」道中の障害を減らし、ダメージコントロールするためのいくつかの方法があります。もしこのアドバイスを用いるなら、感情的なガラクタを随分減らすことができます。感情的なガラクタとは、人生について「ああだったら、こうすべきだった、こうしていたら」という、的を外してしまった意思決定から来るのです。
まず第一に自分を赦しましょう。そして自分と対立したすべての集団への赦しを求めるのです。状況が可能なら、回復を図るのです。それを現実に誰にも見える形で正しい形にしようとするのです。それは彼らの側で多々すべきことではなく、自分がすべきことなのです。第二に、最初に攻撃したり隠れたいという誘惑に駆られたら、そうしないことです。第三に、その罠にかかってからもがいて抜け出そうとするよりも、罠に近寄らない方が簡単であることを理解するのです。
イエスは私たちに毎日の主の祈りの中で、尋常ではない考えを祈りなさいと教えました。「私たちを誘惑に陥らせず」それを私流に言うとどうなるか想像できますか? 「主よ、今日、私が良い決断をできるように助け、馬鹿なことをしないようにお助けください。何故なら、チャンスを手にしたら、私は何か馬鹿なことをするからです。」
私は、このお話が今日最初に述べた人生の四つの障害により気を付けることになることを願っています。時として、私たちは自分が刈り取る前によく見ることが単に必要だったりするのであり、見るとそれが間違いだったと気づいてしまうのです。そして自分の二つの足の小指がこう言うのです。「アーメン、toe-tally awesome(まったく素晴らしい)」
エド・デルフ/Ed Delph August 17, 2020, CCC
Ed Delph/NATIONStrategy
7145 W. Mariposa Grande Ln.
Peoria, AZ 85383 USA
623-363-9961 * Fax 623-537-1446
www.NATIONStrategy.com
"People Who Empower People To Transform Communities'


Comments