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何故、人間関係はそれほど大変なのか?

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Sep 25, 2021
  • 6 min read

Updated: Mar 29, 2022

以下に誰かがマザーテレサの人生について述べたコンセプトがあります。彼女の態度、憐れみ、働く倫理観、神への素晴らしい信頼は全世界を引き付けました。


「人生はチャレンジ。それに向き合いましょう。人生は約束。成就しましょう。人生は義務。果たしましょう。人生は悲しみ。乗り越えましょう。人生は冒険。大切にしましょう。人生は苦闘。受け入れましょう。人生は悲劇。立ち向かいましょう。人生は美しさ。それを眺める時間を持ちましょう。」


私はこの視点の上向きなところが好きです。それは尽日であり、励まされます。それは現在に対して現実的であり、将来への道も開くからです。それはひとつの扉が閉じられるかもしれないけれども、他の扉が開き、それを見つけると言っているのです。試練は私たちの態度と外見を整えます。それは私たちが与えられた時間、誓ったこと、忍耐に失敗しても何か代わりのものが見つかることを保証しているのです。ですから、このリストに私がもう一つ加えることをお許しください。人生は人間関係とその人間関係の価値なのです。次の忘れられた家族の人間関係を考えてみましょう。


それは夫婦の60周年であった。夫婦の三人の子どもは全て大成しており、日曜日の夜のディナーに来る約束をした。


「お父さん、お母さん、60周年おめでとう。」一番年上の息子が駆け込んで入ってきて言った。「ごめん、遅くなっちゃった。病院で急患が来て、わかると思うけど、贈り物を買う時間がなかったんだ。」「気にしなくていいよ。」父親は言った。「大切なことは、私たちが皆、今日集まったことさ。」


二人目の息子が到着した。「お母さんと共に素晴らしく見えるよ。お父さん、ちょうど証言記録の間にモントリオールから飛んできて、何も買う時間がなかったんだ。」「そんなのはどうでもいいよ。」父親は言った。「ここに来ることが出来たことでうれしいよ。」するとちょうど、彼らの娘が着いた。「ハーイ、結婚60周年おめでとう! ごめんね。上司の命令で町の外まで行っていて、そこでいろいろとやっていて、何も買う時間がなかったわ。」


彼らがデザートを食べ終えたころ、父親は言った。「お母さんと私がみんなに長い間言いたいと思っていたことがあるんだ。見てわかる通り、私たちは貧しかったが、なんとか皆を一人一人学校に行かせることができた。何年もの間、お母さんと私は長い間、愛し合っていることも知っていたが、結婚する暇を見つけることが出来なかったんだ。」


三人の子どもたちは息をのんで言った。「なんだって? 私たちは正式な子供ではないの?」「そうだ」父親が言った。「そして安っぽいものなのさ。」そうです。良く言われるように、真実は最初は自分を惨めにしますが、それは自分を自由にするのです。何や誰から自由にするのでしょうか? 自分から自由にするのです。


さて、なぜ人間関係はこれほど大変なのでしょうか? 「私たちは全てが自分の周りで回っていると考えるように育てられた。私たちは、自分が欲しいと思えばほしいものが入るはずであり、それには何の代償も伴わないと学んできてしまった。私たちは叫んだ。私たちは人から操られた。それが今の私たちのすべてだ。『私はふさわしい人間であり、最高のものを持っている』 私たちは青い芝生は欲しくなかった。私たちは青い芝生の上に立つ馬が欲しかった。しかし、次には、その馬では十分ではなくなり、ふわふわしたカーペットの上に立つ帽子をかぶったユニコーンでなければならなくなった。そしてそれは十分ではなくなった。その帽子の上に花がなければいけなくなった。」Huffington Post誌のこの洞察に感謝です。


そして私たちは結婚する、或いは他人と出会い、或いは他人と働き始め、しかしその人も自分と同じ上向きの期待を持っている人たちで、自分に向けられていたスポットライトを持つ人たちなのです。そして突然、焦点は他人にあたるのです。そして競争にさらされるのです。私たちは自分に注目が集まることを求めます。「私の必要が最優先」その結果、私たちは自分に集めたいという欲望を他人へと放っていくのです。「世の中が自分がどれだけ素晴らしいとわかるまで待とう。私は特別だ。私はアメリカンドリームなどほしくない。私は自分の形のアメリカンドリームが欲しいのであり、でもそれが手に入らない。」それは不満足、ねたみ、嫉妬、恥、葛藤、むやみに欲しがる思いを生み出します。その結果は、何年も続くことになる壊れた関係や、冷え切った関係という結果から来る人間関係の問題なのです。消化できない自分勝手な怒りは、人へと伝播する自分勝手な怒りになっていくのです。

ここに学ぶことがあります。私はイエスはこう言うと確信しています。人生は人間関係だと。その人間関係の価値だと。しかし、第一に、良い自己イメージを持つことは何も悪いことではありません。それは良いことです。しかし、良いことでも度が過ぎると、悪いことに変わっていくのです。自己中心主義と幸せは互いにうまくかみ合わないものなのです。


自分にはエゴ、すなわち個人である意識があります。しかし、それは自分が自分を賛美するべきという意味ではなく、自分を常に考えることではなく、自分の為にすべてを生きることではないのです。」(Billy Graham) 「私は今まで出会った他の誰よりもD.L.Moodyと喧嘩をした。」(D. L. Moody) これはチャレンジなのです。相対しましょう。これは葛藤なのです。受け入れましょう。これはチャンスなのです。手にしましょう。これは悲劇なのです。立ち向かいましょう。


第二に、今は、自分が傷つけてしまったと思う自分のパートナー、兄弟姉妹、或いは他人との関係を再び建て上げる時なのです。或いは、ありがちなことですが、自分のエゴが彼らによって打ち砕かれ、彼らのようにしようとなってしまっているかもしれません。それは、自分に対するその嘘を信じたからなのです。もしかしたら、忌み嫌われるべきは、忌み嫌う人かもしれませんし、忌み嫌われる人が忌み嫌われているのです。それは悲しいことです。乗り越えましょう。


私たちの多くは、自分の評価が嫌いです。なぜなら私たちは悪い知らせが入っている手紙を開けたくないからです。ヒント;自分を見ましょう。そうすれば他人は自分とは違って見えるのです。それは義務です。やり遂げましょう。それは約束です。果たしましょう。それは冒険です。愛しましょう。それはカオスです。整理しましょう。


昨今、人生はUOJで定義されます。You – Others – Jesus。JOYの定義はJesus – Others – You。これは美しいことです。時間をとり、大切にしてみましょう。あなたの喜びはそれによるのです。


エド・デルフ/Ed Delph September 27, 2021, CCC


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