今まで考えたこともなかったコーヒーの優れた点
- Ed Delph

- May 9, 2020
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多くの人々が昨今、その人生に真のチャレンジに直面しています。もし皆さんがその状況にあるなら、皆さんをきっと励ますと私が思うお話が以下にあります。作家のCharles Donoghue 氏(www.charlesdonogue.com)がこのお話を使用するのを快諾してくれました。
「ある若い女性がその母親に自分の人生がいかに大変かについて話した。彼女はもう頑張るのに疲れたと言った。彼女の母親は彼女を台所に連れて行き、三つの鍋に水を入れて、コンロの上に置いた。すぐにその三つの鍋は沸騰し始めた。最初のポットに彼女は人参を入れた。二つの目の鍋の上には卵を入れた。三つ目の鍋には挽いたコーヒー豆を入れた。一言も語らず、母親は三つの鍋の水を沸騰させ続けた。
そして彼女は火を消し、人参を取り出しボールへ入れた。そして卵を取り出し、ボールに入れた。そして彼女はコーヒー豆をおたまですくいだし、ボールへ入れた。娘の方を振り向くと、彼女はこう尋ねた。『何が見えるか言ってごらん』『人参、たまご、そしてコーヒー』彼女は答えた。
そしてその母親は彼女を傍に引き寄せて人参をどう感じるか尋ねた。人参は柔らかかった。続いて母親は卵を取って割ってみるようにといった。殻を取り除くと、そこにはゆで卵があった。そして母親は彼女にコーヒーを一口すすってみるようにといった。娘は、そのアロマににおいを感じ、コーヒーを一口すすると微笑んだ。『で、これは何を意味するの?』娘は尋ねた。
彼女の母親はこれらのものは同じ逆境、即ち沸騰したお湯、に直面したのだと言った。そしてそれぞれがその直面したトラブルに違った反応をしたのだと言った。沸騰したお湯につかった一つ一つの人参は強く、堅く、そして冷たいものだった。しかし、沸騰したお湯を経験した後、それぞれが柔らかくなり、弱くなった。最初は割れやすかった卵は、その外側の殻がお湯から内側を守っていながらも、沸騰したお湯を通すことにより、その内側は固くなった。しかし挽いたコーヒー豆は人参や卵とは違った。何故でしょうか? コーヒーがお湯に浸かった後、コーヒー豆はお湯を変えたのだ。
『あなたはどれなの?』彼女は娘に聞いた。『逆境があなたの心の扉をノックした時、あなたはどうこたえるの?強く見えて、しかし逆境の訪れとともに柔らかくなり強さを失った人参? 最初は繊細な心で、しかし熱が加わると固くなる卵? それとも挽いたコーヒー豆? 挽いたコーヒー豆は熱湯に通された時、心地よくない環境を生み出したその熱湯を変えてしまう』」
皆さんはこの話の中に知恵と教訓を読み取ったでしょうか? 熱湯は挽いたコーヒー豆の香りと味わいを引き出すのです。もし私たちが挽いたコーヒー豆のようなものであれば、周囲の状況が最悪であったとしても、自分は最善のものになり、さらには周囲の状況も変えてしまうのです。それが私たちと周囲への祝福なのです。
真のチャレンジとは、環境や時、出来事が最も暗く、試練は最も厳しい時であり、自分は上に向かってもう一段向上するかどうかなのです。自分は人参、卵、挽いたコーヒー豆のどれでしょうか? 神は私たちが通り抜けるものを選びます。私たちは、それをどう通り抜けるかを選ぶのです。熱が自分の人生に加わった時、それは自分の人生に神を関わらせることでもあるのです。自分の危機において神を求めないなら、成功した時にも神を求めることはないのです。正しい選択と神の素晴らしい力へとつながることで、ひどい状態を変えましょう。そして自分のため、将来のため、そして天の求めの為に悪い態度をしないようにしましょう。態度とはすり減ったタイヤと同じです。変えないと、どこにも行けないのです。
イエスは地にいる間、天からの挽いたコーヒー豆のようでした。加えられた熱湯は、単に彼の内側の最高のものを引き出すだけでした。例えば、人々が最悪であった時、イエスは最善でした。状況が最悪だった時、イエスは最善を尽くしました。将来が希望の無いものに見えたとき、イエスは希望をもたらしました。宗教と儀式の中で心の信仰が全て失われた時、イエスは真の信仰を人々に取り戻しました。逆境と狂乱の中で人生がひっくり返った時、イエスは人生の向いている方向を正しくしたのです。人々が間違えた方に導かれ迷ったとき、イエスは進む方向と灯りをもたらしました。
姦淫の罪でつかまり、宗教的指導者たちが彼女を石打にしようとした話を覚えているでしょうか? イエスはその状況の中に足を踏み入れ、そこに恵みをもたらし、数多くの宗教指導者たちとその女性の両方に正しく進む方向を与えたのです。彼は争いの中に神をもたらしたのです。神の知恵で武装したイエスは、怒り狂った会衆に振り向き、こう言ったのです。「あなた方のうちで罪のないものが、まず最初にこの女に石を投げなさい。」その会衆はすぐに解散し立ち去りました。そしてその女性を赦しこう言いました。「行きなさい、そしてもう罪を犯さないようにしなさい。」会衆は人参のようでした。イエスはその女性に、卵のようにならないように忠告しました。お分かりでしょうか? 怒った集団と一人の女性が最悪の状態にあった時、イエスは最高でした。彼は恵みを教え、双方に納得のいく方向を示し、それによって過熱した状況を冷ましたのです。
自分の周りを見てみましょう。そこには人参や卵のような状態のたくさんの人々がいます。彼らに加わるのではなく、彼らに影響を与えましょう。ちょうどイエスのように、自分のいる場所の会話、態度、雰囲気を高めましょう。
人々、状況、雰囲気が最悪の時、自分は最善でいましょう。
エド・デルフ/Ed Delph May 18, 2020. CCC
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