今まで知らなかっただろうもう一人のシュレックに会う
- Ed Delph

- Feb 2, 2020
- 6 min read

皆さんの多くはシュレックという映画を見たことがあると思います。その映画では、シュレックは想像上のオーガであり、とんでもない態度とものすごいウェールズ訛りなのです。シュレックは孤独を好み、他の人々と交友することを避け、そして私たちが言うところの、いつも不機嫌なのです。彼は汚く、ぐちゃぐちゃな状態が好きなのです。
そして、もう一人のシュレック、映画に出で来るシュレックによく似たシュレック、を紹介させてください。実際、このシュレックは映画にちなんで名づけられました。そして、このシュレックは、彼が住んでいる場所の人々のイメージを取り込んだものです。彼はオーストラリアとニュージーランドで何年もの間、話の種でした。ですから、皆さんが今まで知らなかったシュレックに会ってみましょう。
シュレックは、ニュージーランドのタラスの近くにある羊牧場であるベンディゴ牧場に暮らす雄の羊です。彼は2004年に、捕まえられて毛を刈られるのを嫌がって逃げ回り、国際的な注目の的となりました。雄の羊は年に一度、普通は毛を刈られますが、シュレックはマスターと呼ばれる羊が集まるときに、洞窟の中に隠れて捕まえられるのを避けたのです。
シュレックはついに2004年4月15日につかまります。その大きくなりすぎた羊、汚い灰色の太っちょに見える羊は、プロの手で20分ほどで毛を刈られてしまいました。その刈る姿はニュージーランドの国営放送で放映されました。彼の毛は、LLサイズの男性用のスーツ20着分もあり、重さで30kgでした。尚、平均的な羊の毛の重さは5kgほどです。
シュレックは国のマスコットになりました。彼は2004年5月に10歳の誕生日を祝うために国会に連れて行かれ、当時のニュージーランドの首相であったヘレン・クラーク首相に面会しました。2006年11月、つまり彼が最初に毛を刈ってから30か月後には、シュレックはニュージーランドのダブリンの海岸に浮かぶ流氷の上で、再び毛を刈られました。
お気づきになりましたか? シュレックは彼は普通の羊の6倍の重さの毛を身に着けていたのです。単に彼が、その羊飼いから離れていただけの理由でそうなったのです。それは身に着けて歩き回るには重すぎるものであり、特に見つからないように山に登ったり洞窟に隠れようとするときには邪魔なのです。その間、ほとんど交わりさえもありませんでした。おそらくは他の羊たちが彼を見かけたときは、何かミュータント羊かゾンビ羊のように見えたことでしょう。他の羊の目には、その羊毛について良い意味での注目を集めることもなかったと思います。私が言いたいことがお判りでしょうか?
シュレックの下降していくスパイラルと、再び栄光の階段を昇ることに目を留めてください。第一に、シュレックは自分で一人迷い出ました。そして彼は洞窟、人目につかない場所、そして岩の裂け目に身を隠し羊飼いから逃れました。続いて、シュレックは自分の行いの故に、余計な重荷を身に着けて蓄えることになりました。それは彼が背負って歩く必要のないものでしたが、彼はミーティングに着けて歩き回ったのです。私は、その余計な重さで彼は這いつくばって歩いていたのではないかと思うほどです。それは、ごつごつした岩場や崖の上でバランスをとるのは大変だったと想像します。
これは私たちに人間のようなタイプの羊だと思わせるものがあります。私たちはシュレックがしている事と同じことをするものです。私たちは迷い出、隠れ、汚れ、壊れた人間関係や間違えた選択で余計な重荷を背負って歩くのです。私たちは孤独になります。必要に迫られます。そして私たちは自分の撒いた種の結末を刈り取り、ビートルズの歌にあるように「Boy, we gotta’ carry that weight, a long time.」と歌うのです。
著名な南アフリカのメッセンジャーであるGreta Wiidはこう言っています。「これは私にヨハネの福音書10章を思い出させます。イエスは自分を羊飼いになぞらえ、その従う者たちは羊になぞらえました。これは極端かもしれません。しかし、私にはシュレックはイエスを知りながら(イエスについて知りながら)、迷い出た人のようです。もし私たちがキリストによる私たちの品格に対する継続的な手入れを避けるなら、私たちはこの世に必要以上の重荷を増やしながら、抱えて背負うことになり、それは重荷として私達が背負う必要のないものなのです。
もし皆さんが今日、とても大きな重荷を背負っているなら次のお話を考えてみましょう。ある日、生物学者が、運ぶには大きすぎると思われる藁のひとかけらを運んでいた一匹のアリを観察していました。そのアリが、渡って越えるには大きすぎる地面の割れ目に差し掛かりました。そのアリはそこで立ち止まり、何かを考えているようにみえました。そしてそのアリは、藁を割れ目を跨いで懸けてその上を歩いて渡りました。「何という教訓か!」その生物学者は驚いて言った。「重荷が、前に進む橋へと変わったのだ」
その通りです私たちの失敗と不幸な出来事は、私たちが羊飼いの元へと戻るなら前に進む為の橋になり得るのです。
いずれにせよ、この間に羊飼いたちはシュレックを見つけたか、シュレックが羊飼いたちを見つけたのです。シュレックが見つけられた時、一人のプロの羊の毛刈師がシュレックの羊毛を28分で刈り手入れしました。シュレックの30kgの羊毛はついに取り去られたのです。それに必要であったのは、ただ羊飼いのところに戻ることだけだったのです。
シュレックのように、放蕩羊がしたように、ただ戻るのです。神は私たち皆、そこにいるシュレックたちに向けて一つのメッセージを語っているのです。「ただ家に帰っておいで」どれだけ長いこと放蕩していようが、イエスは私たちを迎え入れるために走りよってくるのです。神は私たちから決して離れることはなく、ただ私たちが家に帰る時に何か困難があるように見えるだけなのです。
以下に今日の私たちに対する聖句があります。これはイエスの言葉です。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイの福音書11:28-30)
そして、他のシュレックの実際の人生のストーリーがあるのです。今、皆さんは彼の話を知りました。どうして彼から学ばない理由などがあるのでしょうか?
Ed Delph February 3, 2020. CCC
Ed Delph/NATIONStrategy
7145 W. Mariposa Grande Ln.
Peoria, AZ 85383 USA
623-363-9961 * Fax 623-537-1446
www.NATIONStrategy.com
"People Who Empower People To Transform Communities'


Comments