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一人のライト氏が間違え、二人のライト氏が正しかった時

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Nov 2, 2019
  • 5 min read

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19世紀の後半、メソジスト教会の教団の会合において、一人のリーダーが立ち上がり教会と社会についての大きなビジョンを長々と語りました。彼は宣教師や聖職者たちが、馬の背中に乗って旅をする時代は終わりをつげ、町から町へと空を飛んで移動する日が来ると信じていると語りました。しかし、そのコンセプトは当時の多くのメンバーたちにはあまりに奇想天外で受け入れられませんでした。

 ライト司教という聖職者が立ち上がり、怒りを込めて反論しました。「異端だ!」彼は叫びました。「空を飛ぶことは天使の占有事項である」彼はもし神が人が空を飛ぶようにしていたなら、我々人類に羽を与えていたはずであると主張を力説しつづました。明らかに、その司教は先ほどの話し手が予測していたことを、受け入れてビジョンとすることはできなかったのです。ライト司教が自身の信仰について語り終えたとき、彼は二階席にいた二人の息子、オービルとウィルバーを見上げ、会堂を後にしました。そうです。彼の二人の息子とは、オービル・ライトとウィルバー・ライトでした。その何年か後の1903年12月17日、この二人の息子は、その父が不可能であると主張したことを達成しました。彼らはその日に四度、空を飛んだのです。最初の飛行は12秒でしたが、四度目の飛行は59秒であり、853フィート、即ち250mほども飛んだのです。二人の兄弟は共に協力し、不可能を可能にし、そのプロセスにおいて、彼らは世界を変えたのです。彼らはパートナーシップの力を見出したのです。

オービルとウィルバー・ライトについてのもう一つの逸話をお話させてください。コラムニストのHarvey Mackeyが彼の書く新聞のコラムで述べていたものです。

飛行技術について開発を始めていた当初、ライト兄弟(オービルとウィルバー)はアメリカの家を長い間、不在にしていました。彼らは海外に行き、彼らが成し遂げたことに対して認めてもらう必要がありました。フランス政府は、ライト兄弟たちに彼らの達成したことを披露する機会を与えました。しかし、フランス人たちは二人の物静かで大人しいアメリカ人に対して明らかに嫉妬していました。

ライト兄弟たちを讃えるパリでの夕食会において、主催者は如何にフランスが飛行技術の開発において世界をリードし、未来もそうするであろうということを熱心に語りました。彼は、二人のアメリカ人の来客に対する称賛をほんの少ししかしなかったのです。

ウィルバー・ライトが壇上に呼ばれた時、彼は言いました。「私は人々の前で話す力量はありません。ですから、この場でほんの少しだけ自分について述べさせてください。私がここに座り、私の前にお話をしていた方の言葉では、ワシとツバメ、鷹を空を支配するためのスピードと技術を持つ典型的なものとして述べていたと受け止めました。しかしどうしたわけか、私は鳥類で最も飛ぶのが下手でありながら、話すことだけに長けているオウムについて考えることを禁じえませんでした。」これ以上、コメントは必要ないでしょう。

この二つの逸話の中に二つのタイプの語り手がいることに気づきます。両者ともに思い上がりに満ちています。両者ともに見下す態度をしています。両者ともに勝手な思い込みに基づく偏った立場で話しました。一人はプライドが高く、近視眼的でした。もう一人は、その頭を雲の中に置き、その目の前に座っていた真の立役者を見ていませんでした。この二人の語り手について悪く思わないようにしてください。私たちはだれしも、時にはこれらの人物のようであったりするのです。教訓;私たちの乗る高い馬から降りるのは難しいのですが、もし自分がそうしないのなら、もっと困難なのです。

彼らが、自分の語る講堂にワックスをかけて雄弁さを磨いている時、オービルとウィルバーは飛行機を作るというビジネスを進めました。彼らは情熱は、汗をかくことに変わらなければならないと理解していました。古き良き辛抱強さ、未熟なエンジニアリング技術、謙虚さ、少ない資産を元に、彼らは古い自転車と信頼性の低いエンジンを世界を突然変えてしまうような成果物に変えてしまったのです。彼らはゲームの場を変えたのです。彼らは「tell-a-vison」を「do-a-vision」にしたのです。それは「一人の人物にとっては小さな一歩でしたが、人類にとっては大きな収穫であった」瞬間であったのであり、自身の母国で人々に理解されなかったとしてもそうなのです。

ライト兄弟とその仲間たちは歴史を通じてパレードのように並び、聴衆たちをワシであり、ツバメであり、鷹であると言い含めるのに忙しい「オウム」たちに足を引っ張られてあきらめることはありませんでした。むしろ、彼らは正しいことをひたすら行い続け、任務を完遂し、人々全てに益となる永続的で、目に見え、真実である偉大なことを達成したのです。

栄誉を求めるのではないのです。人々の必要を見出し、それを満たしただけなのです。私は研究者、看護婦、医師、牧師、IT関係者、薬剤師、第一応答者、小学校の先生、日曜学校の先生、そして工場で働く労働者の方々、ボランティア、ビジネスオーナー、その従業員、軍関係者、鉄鋼作業者、機械技師、印刷屋、製本屋、清掃や管理をする方々等々、何かを達成するために忙しくしており、空気中の何か静電気のようなものに引き寄せらされて共にそろって働いている方々に感謝します。

明らかに、私は社会の立役者の一部しか触れることができませんし、もし私が皆さんについて述べていなかったら、それは故意ではないのです。皆さんは自分が何者であるかを知っています。皆さんは国が成り立つために働いている人なのです。私は、私たちの地域社会の多くの人と共に、皆さんに言います。良くやりました。誰も栄光を受け取ることがない時、私たちが何かを達成することは素晴らしいことです。

これにより私はイエスと、彼が成し遂げたことを思います。栄光を求めませんでした。私たちが彼に対して述べる丁寧な言葉もありません。イエスは青いジーンズをはいていました。謙虚で、仔馬の上に乗り、名もなく、顔も知られていない、何かを求めている人々とつながり、全ての人々を生きるために備えさせ、その世界の必要とする塩と光を与え、それを受け止める人々に恵みを与えました。私たちが見習うべきモデルです。

お分かりでしょうか? 一人のライト(Wright)氏が間違え(Wrong)ました。二人のライト氏が正しいこと(right)をしました。そしてオウムが未だにそれを語り続けているのです。

エド・デルフ/Ed Delph November 4, 2019 CCC

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