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ホウキとバケツの教訓

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • May 28, 2022
  • 5 min read

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私は1950年代にアリゾナ州フェニックスで育ちました。私と同様、皆さんのような多くのベビーブーマーたちは1940年台につくられたディズニーのファンタジー映画を覚えているでしょう。私はその半分くらいまで見てつまらなかったこと以外は何も覚えていません。それは動物たちがビラビラの服をきて踊り始めた時です


しかしながら、私はフィルの映像と共に8つのうちの2つのお話を鮮明に覚えています。私は怖い話を覚えているのです。それははげ山の一夜であり、今日の話題、魔法使いの外見のシーンでもあるものです。魔法使いの外見はドイツの詩人Johann Wolfgang (von) Goetheにより1797年に書かれたものに基づいています。そののち、フランスの作曲家Paul Dukasがゲーテの詩に併せて楽曲を作ったのが1897年です。


Wikipediaによれば、その詩は年老いた魔法使いがその集まりに出かけるとき、雑用を弟子に言いつけていくところから始まります。バケツに水をくむのに疲れ、その弟子はホウキに魔法をかけて仕事をするようにします。まだ完全には訓練されていない魔法を使うのです。不幸なことに、床はやがて水でべとべとになり、弟子は止める魔法をまだ習っていなかったので、そのホウキを止めることはできなかったのです。


その弟子はホウキの枝を2つに折り、暴走するホウキを止めようとします。すると折れて2つになったホウキが、完全な新しいホウキのようになってしまうのです。バケツを取り、水をまき続けるのです。速度は倍です。ホウキは自身で分裂を始め、混乱が始まります。すべてがめちゃくちゃになったとき、年老いた魔法使いが戻ってきて、かけた魔法を解くのです。その詩は、師匠だけが力ある霊を呼び出すことができるという言葉で終わるのです。


「The Sorcerer's Apprentice」というタイトルのディズニーの作品では、ミッキーマウスが魔法使いの弟子の役を演じ、ほぼゲーテの詩の通りにストーリーが展開します。唯一違うのは、魔法使い(Yen Sidという名前で、Disneyのつづりを反対にしたもの)が、弟子を助けた後に怒ることです。ゲーテのお話を有名にした戯曲は、世界中の観客へと知られていったのです。そのお話はFantasia 2000の中にも元の形で収録されており、いまだに人気であることが証明されています。


それはミッキーにとっては厳しい教訓でした。おそらくは、現代の我々人間にとっても厳しい教訓でしょう。まだしつけも訓練も十分にされていない権力や権威が、自分が解決できる能力を超えて、いくつもの決して終わらない、永遠に増大し続ける問題を産み出しているのです。ミッキーはその危険にさらされるような知識をしっかりと学びました。しかし残念なことに、偉大な力をコントロールする方法を知らなかったのです。


何が問題を引き起こしたのでしょうか? ミッキーは自分ではない他人、魔法使いYen Sidになりたかったのです。彼は同じようなことの繰り返しをするだけのことに飽き飽きしたのです。何が欲しいかを理解せず、単に自分とは違うものを求めたのです。進歩の最大の敵は、停滞ではなく、間違えた方向の進歩なのです。教訓;輝く目は好奇心を現す。目の下のクマは度が過ぎたことを示す! 一つの生産的で制御可能なバケツとホウキは1000個に増え、制御不可能なカオスへと変わるのです。ミッキーが解き放った力は彼を圧倒する結果となりました。人が何をすべきか知り知恵を持ち、魔法で1日が楽にならないと知っていたら、制御不能なホウキとバケツが世の中を圧倒するようなことにはならないのです。ですから魔法使いの最後の言葉は「師匠のみが力ある霊を呼び出すことができる」なのです。私に言わせれば、悪いアドバイスではありません。


今日の世界と我が国について起きていることを眺めてみましょう。私は不安になります。より多くの人間の論理、言い訳、人による定義が、私たちの文化、教育、政治、国の中の神の知恵の端を食い荒らしていることに気づいているでしょうか? みなさんは、ミッキーのようなリーダーたちによって造られた、このような制御不能なホウキとバケツが、弾丸よりも早く増殖していることに気づいていますか?


それはネガティブにとらえているのではありません。現実です。たくさんの善意から言い出しているミッキーたちが、師匠だけがしてよいことをしようとしているのです。知ってから知らずか、彼らは神をたたえるどころか、神をつまみ出そうとしているのです。それはE.G.Oと呼ばれるものです。エゴに支配された行動は、ブレーキを踏むべき時にもアクセルを踏み続けるのです。助言はほとんどの場合、歓迎されません。そしてそれが最も必要な人は、それを最も疎んじるのです。良い意志で始めたとしても、堕落した人間の性質は、人が生み出すすべての問題を決して止めることはできないのです。


ずいぶん昔、聖書の詩編二章の作者はこの無限ループの時代を予見して預言的に述べています。

「なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。『さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。』」(詩編2:1) おっと、このレトリックと生き方は多くの問題を産み出すのです。ミッキーに聞いてみましょう。


詩編の作者は言っています。「それゆえ、今、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め。恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。」(詩編2:10)このアドバイスは非難しているのではありません。創造主により愛を持って私たち人間に伝えているのです。私たちの多くにとっての問題は、非難に耳を貸して救われるよりも、称賛されてダメになることが多いということなのです。

今日の問題についてのもう一つのよく似たケースはHumpty Dumptyです。壁から落ちて粉々になるのです。みなさんは、王のすべての馬と人間がなぜHumpty Dumpty卿をもとに戻すことができなかったのか考えたことがありますか? おそらくは王にお願いしなかったからなのです。

エド・デルフ/Ed Delph/May 29. 2022/CCC



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