これが全てを変えうる
- Ed Delph

- Aug 13, 2022
- 6 min read

この親切についての定義を考えてみましょう。親切とは他人を高めるものすべてです。
ある賢い人はこのように言っています。大切な人であることはナイスだが、ナイスな人であることはもっと大切だ。ですからナイスであることと自分の周囲の人の言葉に耳を傾けることは、恥をかくことを回避しさらには少しばかりの収入につながる。
例えば、Tommy Boltがゴルフツアーに出ている時、彼はその気性について非常に良い評判を手にしました。あるトーナメントにおいて、彼は話好きで有名なキャディに当たりました。そこでTommyは彼に静かにしているように伝えて、会話はすべて「Yes, Mr. Bolt」と「No, Mr. Bolt」に限定しました。
偶然にも、Boltの打ったショットでボールが木の近くで止まりました。彼は小枝の下でボールを打ち、且つ池を超えてグリーンにアプローチしなければなりませんでした。彼は状況を丁寧に分析し、決断を下しました。しかし、時としてあるように、キャディーに話している半分くらいのところ、そしてつまり彼が自分に言い聞かせている半分くらいのところで、彼はこう尋ねました。「5番アイアンで打つべきか?」強く警告されていたのでキャディーはこう答えました。「No, Mr. Bolt」Boltの気性とプライドがこう言わせました。「どういう意味だ。5番アイアンではないというのか? このショットを黙ってみていろ!」キャディーは彼の言いつけをそれでも守り、こう言いました。「No, Mr. Bolt」
しかしボルトは耳を貸しませんでした。彼は静かに狙いをまっすぐに定めて、ショットを見事にグリーンに向けて撃ちました。ボールはホールの数十センチ先に止まりました。自己満足した様子を見せながら、Boltはキャディーにその5番アイアンを渡してコメントしました。「これをどう思うかね。今は話してもOKだよ。」「Mr.Bolt、そのはーボールはあなたのではあません。」キャディーは答えました。
他人のボールを打ってしまったことで、Tommy Boltはペナルティとしての2ショットと多額の罰金という代償を払うことになりました。教訓は人々、特に自分に仕えている人にはナイスであるべきということです。そして彼らが言うことに耳を傾けるべきなのです。このお話はZig Ziglarの本、Something to Smile Aboutからのものです。
以下にDanusha Lamérisの著書Small Kindnessesに書かれている小さな親切の価値についての詩があります。
私は私たちが満席の通路を歩くとき、人々が足を引っ込めて通してあげることを考えていた。あるいは見知らぬ人が誰かがくしゃみをした時、「Bless You」といまだに言う、これは未だにペストの名残であるが、のかと考えていた。「死ぬなよ」と言っているのである。
そして時々、買い物袋からレモンを落としてしまった時、誰かがそれを拾うのを手伝ってくれる。しかも、大抵は私たちは互いに傷つけあったりはしない。私たちは暖かいコーヒーが欲しく、それを手渡してくれた人にはありがとうという。彼らに微笑み、彼らも微笑み返す。クラムチャウダーのボールをハニーと言いながらテーブルに持ってくるウェイターに、あるいは私たちを先に行かせてくれる赤いピックアップトラックに乗った運転手に対して。
私たちは互いに今や小さくなっている。私たちは皆で集まって火を囲むことはもはなしなくなっている。このような時だけが、互いに挨拶をかわすのだ。もし彼らが真に清く生きており、互いに集まり創る神殿において「ここにどうぞ座ってください」「お先にどうぞ」「あなたの帽子いいですね」と言ったらどうなるのだろう。
以下に親切についての言葉があります。「自分が平等にしようとする人とは唯一、自分を助けてくれた人だけである。」ベンジャミン・フランクリンは言いました。「あなたが他人に良くしている時、あなたは自分に対して最高なのだ。」「一億円稼ぐまでは人々に親切にするんだ。その後は、黙っていても人々はあなたに親切にする」「親切は返すものではない。親切は他人へと渡していくものだ。」これはナイスでいることについての子どもの祈りです。「親愛なる神様、すべての悪い人を好い人にして、すべての良い人を親切な人にしてください。」
聖書は終末の日には人々の愛は冷たくなると書いています。しかし聖書はそれと同時に愛は忍耐強く、親切であると書いています。ですから愛が冷たくなった時、必然的に意味するのは親切も冷たくなっていくのです。では私たちはこの傾向をどう乗り越えるべきでしょうか? 豊かな親切の山で共感の欠如を乗り越えるのです。みなさんはどうすべきかおわかりでしょう。キャディのような性質を持って
自分の中のTommy Boltのような性質と戦うのです。忘れないでください。暗い方へと行かないでください。光に向かい、物事の正しい方へと向かうのです。嫌われることは単なる出来事です。他人を嫌うことは自分の選択でしかないのです。違いを学ぶのです。
C. Neil Straitはこう言いました。「親切は事実以上だ。それは内在する態度であり、表現であり、見た目であり、心に触れるものだ。それは他人を高める何かなのだ。」しかし、たわしたちは親切をすぐに実行できません。なぜなら私たちはそれがどれだけ早く機を逸して手遅れになるかわからないからです。
詩編を歌った人は神のこの点についてこういっています。「あなたの恵み(親切)は、いのちにもまさる」(詩編63:3) 神は単に私たちに親切(恵み)を与えているのではありません。神は私たちに愛ある親切と思いやり深さを示しているのです。みなさんは愛ある親切をどう表現しますか? 以下にある小さな男の子がそれを書き記したものがあります。
先生が子どもたちに愛ある親切の意味について尋ねました。ある子どもはジャンプして立って言いました。「はい、僕がおなかがすいていて、誰かがパンをくれたら、それは親切です。しかしもしその人がジャムを少しその上にのせてくれたら、それが愛ある親切です。」
親切に対する鎮撫さ、あるいは良く似たものとする感覚を新鮮な感じにするものではないでしょうか? 私たちの渇いた文化は親切に飢えています。Bob Costasはこう言っています。「チャンピオンは競技場ではチャンピオンにならない。彼らはそこではほとんど認識されないのだ。」
もし全ての親切なチャンピオンの世代が親切に対する考え方を自分自身の外側から内側へと変えたら、それは素晴らしいものではないでしょうか? そしてこれらの親切を運ぶ人たちと書き記した文章が教育の文化、教会の文化、政府の文化、メディアの文化を変革させたとき、おそらくはそれが世界を高め変化させるのではないでしょうか?
純粋な親切は病んでいる社会、街、あるいは国に対する素晴らしい特効薬になるのです。私のアドバイスは、親切を用いて、さらに親切を豊かに用いることです。
エド・デルフ/Ed Delph/August 22, 2022/CCC
Ed Delph/NATIONStrategy
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