パートナーシップのパワー・・・より小さな自分、より大きな私たち
- Ed Delph

- Sep 13, 2019
- 6 min read

先週、有意義で成功するためのパートナーリングについて少しばかりの知恵と解き明かしによる希望を込めて、二部続きのお話を始めさせていただきました。今週は三つの声と一つの心というタイトルでパートナーシップの例についてお話させてください。
ここ数年、オペラ界のスーパースター、Jose Carreras、Placido Domingo、そして Luciano Pavarottiは一緒に歌うことを楽しんでいます。彼らは何度もこの公演を行いましたが、この第一回の公演以前は、このワールドクラスの3人は一度も一緒にステージに立つことはなかったのです。
Atlantic Monthly 誌の1994年11月号は、彼らのロスアンゼルス公演の前に、あるジャーナリストがこの3人の間のライバル関係について報じました。しかし、それをすぐに打ち消してこう言いました。「皆が音楽に心を全て開き、集中する必要があるのです。」Domingo氏は言いました。「一緒に音楽を奏でている時、誰しもライバルには成り得ないのです。」
お分りでしょうか? 彼らは同じ業界の競争相手でありながら、オペラにおいて違うスタイルで表現するもの同士でありながら、一人では全員集まったこと以上にはなり得ないのです。マザーテレサはこう述べています。「あなたは私ができないことができる。私はあなたができないことができる。一緒になれば、素晴らしいことができる。」多くの場合、一緒に働く一人の人を得ることは、自分の下で働く三人の人を持つよりも良いのです。
皆さんが思うことは推測できます。おそらくはこんな感じではないでしょうか?「多分、今日の世界において違う視点を持った多くの様々な人々の間では無理ではないのか?折り合いをつけることはなく、協力し合うことはなく、競争と疎外だけがある。」
そうです、私たちは今や崩壊し二極化した国と世の中に住んでいるのです。大きなメガホンを持った個人や何かの主義主張で集まっている集団は、彼らの描く統計的な分布曲線の中に入ることを選ぶように迫っているのです。彼らは彼らのことを考えているのであり、それが全てなのです。しかし、「一つの場合」が「その場合」になる時、少なくとも長い時間の中では私たちは何も手に入れることはないのです。良いことでも、行き過ぎれば、悪いことになるのです。
神は私たちを統計的な分布曲線の中に住むように創りませんでした。信じようが、信じまいが、この事もまた真実として通るのです。それは腎結石のように通り抜けるのですが、確かに真実として通るのです。なぜでしょうか?「欺きのはかりは主に忌みきらわれる。」(箴言11:1)とあるからです。
その指をはかりの片側に置き力を入れ、そのはかりを自分の視点に会うように調整し、他人の視点を考えることない人は、神と他人を嫌うのです。全ての力の作用には必ずそれと等しく反対向きの反作用がいずれは生じるのです。自己中心のリーダーや何かの関心事や主張で集まっている集団がそのはかりに指を載せるなら、神の指はその反対側に置かれ、バランスを取り戻そうとするのです。神は人々と国々をバランスと調和の中で生きるようにお創りになられたのであり、統計曲線の分布の中に入るように創ったのではないのです。
これは国を治める場合には真実です。国というものは、人々の集まりや州などが共通の目的のために集まったものです。アメリカ合衆国の場合、五十の集団からなるのであり、
それぞれ固有のそれぞれ固有の特色と必要とするものを持っているのです。一つや二つの州、あるいは五つの州であっても国として成り立たないのです。五十の全ての州の必要としていることを考えなければならないのです。小さな絵とは、決して大きな絵として描かれていないのです。
国を一つに維持するものは憲法です。憲法は国の価値観を定義するのです。それはその地の法なのです。憲法の規定外の問題は全て構成する人々の集団や州の問題なのです。一つの人々の集まり、州、何かの団体は決して国を治めるようにはなっていないのです。それらは視野が狭すぎ、部分的すぎであり、目的が限定されすぎているのです。
国というのは、一つのグループあるいは個人が、その欲しいもの全てを手にするのではなく、その欲しいものの一部を手にするようになっているのです。それは相手を認め、折り合いをつけ、成熟し、へりくだることを必要とするのです。それは違いを大切のすることなのです。反対のものに目を留め、違いについて折り合いをつけるのです。それはパートナーシップを必要とするのです。私たちはこの点は同意できないということに同意し、しかしそれでも国、組織、教会など色々な形で一緒に居続けるのです。時として、他人の粗く尖った部分は私たちを研ぎ澄ます道具になるのです。一人でいるよりも、前向きなパートナーシップにより私たちは成長するものなのです。
パートナーシップとはなんでしょうか?パートナーシップとは共通のビジョンに向かって一緒に働く能力です。整理された共通の目的に向かって個人の達成をまとめる能力なのです。それは普通の人々が尋常ではない結果を生み出す燃料になるのです。ただ単に、それは小さな「私」と大きな「私たち」なのです。(作者不明) パートナーシップはギブアンドテイクを必要とするのであり、なぜならパートナーシップは全員の向上のためにウインウインを撒く求めるものだからです。
A.W. Tozerはこう言っています。「神は不可能を可能にできるものでありながら、人を求める。私たちが自分たちでしかできないことだけを計画するとはなんと愚かなことか。」
この言葉を考えてみましょう。「一人で鉛筆を作れる人は世の中に誰もいない。」ニューズウィーク誌のコラムニストのMilton Freeman氏がFree to Chooseと言う新テレビシリーズの開始に当たって述べた言葉です。「木は恐らくはワシントン州の森から運ばれてくるだろうし、黒鉛は南アメリカの鉱山から運ばれてくるだろう。消しゴムはマレーシアのゴム農園からくる。一本の鉛筆を作るのに何千人もの人々が協力している。」
次の思いで締めくくりましょう。パートナーシップはjawbone(顎の骨)、wishbone (叉
骨)、funny bone(肘骨)だけでは成り立たないのです。パートナーシップはBackbones(背骨)によって成り立つのです。John Maxwell氏はこう言っています。「jawbone(顎の骨)とはそれを成し遂げることをただ単に口にしている人のことだ。wishbone (叉骨)とは、誰かがそれを成し遂げて欲しいとただ単に思っている人のことだ。funny bone(肘骨)とはそれを真面目にやろうとは思わない人のことだ。バックボーンとは、そのことを成し遂げようとして一緒に働く人のことだ。」
ここに学ぶべき事があります。もし柵の上に亀を見つけたら、その亀は間違いなくそこに彼を乗せてくれたパートナーがいるのです。
エド・デルフ/Ed Delph September 16, 2019. CCC
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