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ハルの二重丸の的を消す

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Jan 9, 2021
  • 5 min read

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漫画家のGary Larsenはある漫画で素晴らしいものを描いています。それは大きな雄シカがその腹に的の絵を描いているものです。もう一頭の鹿が的を見つめてこう言っているのです。「」ハル、残念な母斑だね。」




私たちは時としてハルのような感覚を覚えながら、教会でフルタイムで聖職についている人々の事を思うのです。教会の内外で牧師たちがすべての人に狙われているように見えるのです。主要メディアは聖職者たちのモラルの堕落をセンセーショナルに報じ、テレビに出演している伝道師たちはマシンガンよりも早くお金を浪費しているのです。


多くの人々と団体が牧師たちが今日の世の中に沿っていないと非難しています。これらの非難は一部では的を得ています。しかし、その中には、私たちが名前を耳にしたこともないような例外的な牧師を例にした、何ともおかしな一部のケースの例を私たちの多くは耳にするのです。真実は(私の推定ですが)97%以上の牧師たちは、世の中をより良くするために、丁寧に仕事をしているのです。彼らは完璧でしょうか? 彼らはいつも間違いのない判断をしているのでしょうか? 彼らは水の上を歩くのでしょうか? ほとんど無理です。


牧会は素晴らしい召しですが、時として悲惨なキャリアになるのです。私は牧師であるのが好きですし、なぜならそれが私の召しだからです。しかし、キャリアの部分はよりチャレンジングなのです。何年か前、私と妻のベッキーはハワイのマウイ島でタイムシェアでプレゼンテーションの場にいました。そのセールスマンは私に何をして生計を立てているか問いました。私は牧師だと答えました。すると彼は失望した様子でこう言いました。「ああ、ということはあなたはストレスがほとんどない仕事をしているのですね。」その時のベッキーを皆さん、見ておくべきだったでしょう。彼女は笑ってこう言いました。「あなたは教会に行っていないのですよね?」彼女は、この件を昨日のことのように覚えています。


英国人のPhil Hinesは、イエスがある日、道を歩いていると泣いている男を見かけた話を語っています。何が起きたのかと尋ねると、その男は答えました。「私は目が見えないのです。」そこでイエスは彼を癒しました。さらに歩いていくと、彼は別の涙に暮れている男を見つけ、同じ質問をしました。彼は答えました。「私は足がなえているのです。」そこでイエスは彼を癒してあげました。すると今度はイエスは三人目の泣いている男に出会いました。イエスの問いかけに彼はこう答えました。「私は牧師なのです。」するとイエスは、そこに座ると、彼と共に泣きました。


牧会は教会の中でも感謝されない仕事になりえるのです。牧会がターゲットにされた件を話しましょう。もし彼が長く話しすぎると、「彼は私たちを眠らせる。」もし彼が短く語ると、「彼は準備していなかった。」もし彼が声を大きくして語ると、「彼は叫んでいる。」もし彼が普通の声で語ると「彼の声は聞こえない。」もし彼が不在だと、「彼はいつも出かけてばかり。」もし彼が家をあけていると、「彼はいつも家にいない。」もし彼が家にいると「彼は誰の家も訪問しない。」


もし彼がお金の話をすると「彼は金集めに必死だ。」もし彼がお金の話をしないと「誰も彼かどうやって生計を立てているか知らない。」もし彼が若すぎると「彼は経験がない。」もし彼が老齢だと「彼は引退すべきだ。」そしてもし彼が必死ですべての期待に応えようとすると「誰も彼の立場にはなりえない。」さあ、これでは私はどうして良いかわからないのです。そこにいて、それをして、Tシャツを手にするだけなのです。


牧師たちは会うと教会のことの話をするとお思いでしょう。いいえ、彼らは皆さんと同じ人間なのです。牧師のグループが集まると、彼らは牧会のことについて、面白いジョークをよく話すのです。皆さんを「我々」のユーモアへ招待させてください。


ある来賓牧師は非常に話が長い男でした。悪いことに、その講話の中で良い点をついて話をし、会衆の中の誰かが「アーメン」、「そうです! 先生!」とも言おうものなら、彼は更にまくし立てて、もっと長く話をしました。ついに、ホスト側の牧師が彼の一言ごとに「アーメン! ファラオ!」と言い出しました。ゲストの来賓牧師は、それが何を意味するか分からなかったのですが、何とかの「アーメン! パロ!」の後に、ついに彼は講話を締めくくりました。


礼拝が終わり、人々が帰った後、来賓牧師はホストの牧師の方を振り向き、こういいました。「『アーメン!、ファラオ!』とは、一体何を意味していたのかい?」ホストの牧師は答えました。「私は、私の民を行かせよ!」


もう一つお話があります。ある田舎に住んでいる牧師が、その妻が買った新しいドレスの225ドルのレシートについて、顔を青くして責め立てました。「どうしてこんなことをしたんだ!」彼は大声で言いました。「しらないわ」彼女は言いました。「私はお店で立っていて、ドレスを見ていたの。すると気づくと試着していたの。それはまるで悪魔が私にこうささやいているみたいだったわ。『おお! 君はこのドレスを着ると素晴らしく美しく見えるよ。買うべきだね。』」


「いいだろう」牧師は答えました。「君は悪魔をどう扱うか知っているはずだ! こういえばいいだけだったじゃないか。『下がれサタン!』」「ええ、そうしたわ。」妻は答えた。「でも彼はこう言ったの。『そのドレスは、後ろに下がって見ても素晴らしいよ。』」どうしたら良いのでしょう?


そうです。良く言われるとおり、牧師が退職してからの福利厚生ではこの世では生きていけるものではないのです。しかし、天国の向こう側のこの世界で、皆さんは地域の牧師を支えるために何ができるでしょうか?聖書はこう書いています。「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」(へブル13:7) 「兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。」(Iテサロニケ5:12-13)


もし皆さんが聖書の言葉を実行するなら、ハルである牧師のおなかの的を消すことができるのです。忘れないでください。神は、皆さんを助け、皆さんを助けてであり力を与える神に向かわせるために、ある人々を牧師として召したのです。言葉を変えるなら、皆さんがここにいるから、牧師がいるのです。

エド・デルフ/Ed Delph January 11, 2021, CCC




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