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スイッチを入れる光を見つめる最善の方法

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Feb 23, 2020
  • 6 min read

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先週、私たちは二週続きの認識の原理というお話を始めました。今回はその第二部です。

認識の原理は次のように表現されます。自分が認識しないなら、それを感謝しない。自分が感謝しないものは、喜んで受け入れない。喜んで受け入れないものは、ついには自分の人生から離れていく。言い換えるなら、私たちの多くはそれが消えてなくなるまで、それがチャンスだったと見出すことがないということなのです。何故でしょうか? 目には見えていましたが、見えていなかったのです。視界には入っていたのですが、視野に入っていなかったのです。

「P.O.O.R」の一つの定義をご存知ですか? Passing Over Opportunities Repeatedlyです。言い換えるなら、チャンスが自分と踊りたいと思っている時、自分はダンスフロアに立っているべきなのです。これを読んでいる読者のある方は、今、解き明かしの光をもってこの認識の原理を読んでいる事でしょう。もしかしたらある方は、真夜中に明けた冷蔵庫の扉の光のように単に見ているだけかもしれません。(私は両方のことを時としてします!)

以下にある大きな会社、何かの機会を認識したいと常に願っていた会社と、ある提案を持ってきた男の話があります。

1982年の大ヒット映画の一つE.T.の劇場上映において、ある会社は自社製品を使用させないと決断をした後、どれだけ「自社で作ったチョコレートをのどに詰まらせて窒息した」ような感じに襲われたでしょうか? もしM&Mだ! と答えた方は正解です。何故、それが起きたのでしょうか?

映画の中でE.T.が何かお菓子を食べるシーンを流そうという話つにいてM&M社が説明を受けた後、Marsチョコレートバー社の役員は、M&Mのブランドのチョコレートをその馬鹿げた映画の中で使用されても会社は何も得るものはないと決断しました。その結果、小さな男の子エリオットは、かわいらしいE.T.をハーシー社のReese’s Piecesでおびき寄せるシーンとなったのです。その映画のワンシーンの故に、何万人もの客が世界中のお菓子屋さんでReese’s Piecesというチョコレートを探し求めることになったのです。そのメガヒット映画のおかげでハーシー社の売り上げは65%も上がったのです。

M&Mの使用についてNoと言ったマーズ社の役員たちは恐らくは大きな家に住み、大きな車に乗り、高額な給料を手にしていたと思われます。何故でしょうか? 彼らはチャンスを認識できなかったのです。彼らは認知はしていましたが、理解認識はしていなかったのです。彼らはチャンスを目で見つめましたが、見えていなかったのです。マーズ社はチャンスを目にしただけでしたが、ハーシー社はチャンスだと認識したのです。先週申しあげたとおり、私たちは自分が探し求めていないものは、ほとんど目に入らないのです。この理解認識の原理原則は貧しい人と金持ちの両方に起こることなのです。会社の中を見回すと、上から下に至るまで、理屈をつけてくる反対論者はあちこちにいるものなのです。

同じことがフォード自動車に起こりました。一人のエンジニアがミニバンを作りました。彼はフォードの役員たちにミニバンのコンセプトを説明して理解してもらおうとしました。役員たちの反応は、マーケットリサーチの結果には、ミニバンに対する需要は示されていないというものでした。それは理論的でした。それは非常に知的に洗練されたものでした。しかしそれは完全に間違いでした。後に何百万人もの世の女性たちが、そのスタディ結果は間違いであると証明したのです。

そのエンジニアはどうしたのでしょうか? 彼はクライスラー自動車へ行き、そのミニバンのコンセプトについて話しました。当時のクライスラー社の社長のリー・アイアコッカ氏とその役員たちは、そのチャンスを認識し、そのチャンスをありがたく受け入れ、そのチャンスを祝し、そのチャンスは彼らのものとなったのです。そのミニバンはクライスラーを経営破綻の危機から救ったのです。フォードから出て行ったチャンスはクライスラーのチャンスになったのです。

ある人は、世の中の全ての人々の頭の中から数百億円単位のアイディアが毎日出ていると述べています。私はこの中にひとかけらの真実があると思います。そのアイディアの中のいくつかをもし逃してしまったことが有るなら、悪く思わないでください。それは誰にでも起きるのです。それは私たちの多くが理解認識の持つ力を気づいていないからだと思うのです。もし数百億円のアイディアが人々の頭の中から今日も出てきているのだとすると、明日も必ずそうなのです。

認識の原理原則はビジネスやお金だけの話ではありません。それは全てに対してそうなのです。以下に、理解認識に対するより広い視野があります。

#1 聖書に出てくるパリサイ人のような宗教指導者はイエスの神聖性を理解しませんでした。認識の欠如の代償として、彼らは永遠の命、奇跡、神の臨在の喜びというものを失ったのです。イエスはそれに対して嘆き悲しみました。「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(ルカ9:41-44)

これき少し怖いですよね。教育を受け、知識もあった人々さえもが神が彼らに気づいてほしいと思ったことを見逃してしまったのです。「目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。」(マルコ8:18)

#2. 理解認識の原則は人生が崩壊する時を成功の時へと変えるのです。一つの素晴らしい見本は十字架上の処刑の時にイエスの横に張り付けられていた盗人の一人です。一人の盗人はイエスを永遠から追放されて呪われた神の子として認識しました。しかし、もう一人の盗人はイエスをキリストだと認識し、赦しを乞い、それを受け取りました。(ルカの福音書23:42,43)

お分かりでしょうか? 二人の人、同じ文化、同じような人生の背景、同じ状況でありながら何かや誰かを見つめながらも、全く違った洞察と結果を生み出すのです。先に述べたとおり、自分の目にはまだ見えていない何かや誰かがいるかもしれないのであり、それは最初の盗人と同じように高い代償となって自分に返ってくる可能性もあるのです。

人生の原理原則を見逃さないでください。一人目の盗人のようならないでください。ペテロのようになりましょう。ペテロは船から降りて、恐怖で満たされながらも、可能性の大海原へと足を踏み出したのです。何故でしょうか? 彼はイエスを認めたからなのです。皆さんもそれができると思います。

エド・デルフ/Ed Delph February 24, 2020 CCC Part 2 of 2

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