クリスマス;神が近くに来るとき
- Ed Delph

- Dec 18, 2021
- 6 min read
Updated: Mar 30, 2022
私の友人、Ted Baehr 博士を紹介させてください。彼はMovieguideの編集長であり、発行者で、尊敬を集めている映画評論家です。Ted Baehr 博士はハリウッドの家庭の生まれです。彼の父と祖父は共に、テレビや有名な映画に出演したことのあるスターでした。
この前の11月、Ted Baehr博士が偉大な映画や本に必要な構成要素について語るのを聞きました。以下に私が聴衆の皆さんと共に聞いた話の概要を記します。
第一に、プレミス(基礎となるテーマ)が必要です。プレミス(基礎となるテーマ)は映画や本の背景にある考え方です。プレミス(基礎となるテーマ)とは「あなたがどこに行き、なぜそこに向かうのか? 基礎テーマを与え、そしてそれを成就させていくこと」なのです。そしてプロットが必要です。プロットとは「どうやってそこに行くのか?」です。プロットとは考えやプレミス(基礎となるテーマ)を運ぶ車のようなものです。そしてプレミス(基礎となるテーマ)にたどり着くプロセスは、苦痛に満ちた者、或いはチャレンジに満ちたものであるべきなのです。
プロットとは、映画や本のキャラクター、会話、テーマ、設定や背景のことです。キャラクターは「そこに行く人たちであり、彼らが合う人たち」です。テーマは彼らが物語の進行と共に遭遇するキャラクターたちの間でのやり取りです。設定はプロットが起きる場所であり、映画や光景を含めたものです。そして、良い映画、ストーリー、本というのは、常にスタートポイントとエンディングポイントを持っているのです。
物書きとして、私はTed Baehr博士のスピーチについて考えました。このお話を皆さんが読んでいるころには、クリスマスイブになっていると思います。ですから、この要素を最初のクリスマスに当てはめ、皆さんのクリスマスイブの楽しみに加えていただければと思います。
筋書について語りましょう。最初のクリスマスは多くの可能性を長編ドラマの中に詰め込んだものでした。最初のクリスマスは、映画監督たちやプロデューサーたちが水平線を見渡すようなものでした。この時だけ、数多くの情景をのぞき何もファンタジーはない状態です。それは現実であり、全ての時代の全ての人々に対するものでした。この時、作家、ディレクター、プロデューサーは神です。偉大な「私はある」であり、全ての被造物の主でした。
設定と背景を考えましょう。時代は困難でした。暗い夜と混乱で苦しむ姿がドラマに加わります。威圧的なローマ政府が税金を課するためにイスラエルのすべての民を、自身の生まれた町へと戻るように宣告しました。そのため、道という道はあちこちへと自信が生まれた町へ向かう人々で行き交い混雑していました。ベツレヘムは混乱していました。そして、数多くの宿屋がありましたが、部屋はもう空いていませんでした。
キャラクターは、天からの天使たちであり、夜にある丘の斜面にいた羊飼いたちに新しいヒットソングを紹介しました。それは印象深いものでした。そしてそれは心にますます響きました。一人の妊娠した10代の女性と、まだ関係を持ったことのない婚約者がベツレヘムと言われる生まれ故郷へと向かっていました。もし行かなければローマ兵から厳しい罰を下されるのです。全てのことを脇に置き、彼女は産気づきました。彼女が乗っていたロバには鞍もありませんでした。彼らがようやく着いた時には、これから母親になる女性は出産をはじめており、彼らがベツレヘムで見つけた唯一の居場所は馬小屋でした。
そてステージは設定されました。スタートポイントは確立され、天使の景気は空にあり、数的には小さいものの音楽のコンサートは天のものでした。このドラマの真ん中でイエスが生まれました。そしてすべてが静まりかえり、全てが光り輝きました。そこには私たち皆が息を飲む瞬間がありました。しかし、想像を超える出来事と人物たちはこの先にも並んでいたのです。
良い人々(当方からの博士たち)が登場し、悪役ヘロデも登場します。お話はご存知でしょう。当方の博士たちは、見逃すはずもないほどの明るい星に導かれてエルサレムにやってきたのです。彼らは聞きました。「私たちが礼拝すべき、ユダヤの王はどこでしょうか? 」ヘロデ王とエルサレム中がパニックになりました。これは何を意味するのでしょうか?
そしてヘロデの要求により、ユダヤの祭司長は聖書を読み、そのキリストの生まれる場所はベツレヘムであると突き止めました。ヘロデは博士たちをベツレヘムに行かせ、彼らがイエスを見つけたら、礼拝したいので知らせるように依頼しました。もちろん、星は再び現れ、彼らをキリストの子へと導きました。彼らはその王の為に贈り物を捧げました。その後、博士たちはヘロデ王のところに戻って報告してはならないと夢の中で伝えられたのです。
そして神の天使がヨセフのところに現れてこう言ったのです。「起き上がりなさい。そのこと母親を連れてエジプトに逃げなさい。命じるまでそこにいなさい。ヘロデがこの子を探し出し、殺そうとしています。」そしてヨセフは言われたとおりにしたのです。
ヘロデが博士たちが戻ってこないと知った時、彼は怒り狂いました。ヘロデはベツレヘム地区にいた全ての二歳以下の幼子を殺しました。最初のクリスマスのエンディングポイントは、天使が再びヨセフの前に現れて、ヘロデが死んだので再びイスラエルに戻るように伝えたときです。
最初のクリスマスは、私たちがスターウォーズ、タイタニック或いはアバターを見た時よりも良いものでした。最初のクリスマスはBaer博士が述べた全ての要素を備えていました。しかし、最初のクリスマスのプレミスは何だったのでしょうか? なぜ神が、このスペクタクル中のスペクタクルである物語を創造し、書き、演出し、プロデュースしたのでしょうか?私は三つの重要なプレミス、或いは啓示が最初のクリスマスにあったと思います。
第一に、神は私たちに、罪が神と私たちの間を引き裂いたのだと解き明かしたのです。罪は、私たちの中にある神の最も良きものを失うことです。私たちの欲望が私たちを導くとき、私たちは何もものごとを良くすることはなく、全てを悪くするのです。私たちは「罪と過ちを繰り返し」の中に囚われているのです。神は私たちに、互いに離反し、神とも離反することは望んでいないのです。
第二に神は私たちにこう解き明かしたのです。「ここにあなたがどう見えてていて、どうしているかの見本がある。あなたはヘロデのタイプになっている。」ヘロデのタイプはマイルドなものからワイルドなものまであります。ワイルドタイプのヘロデは、全てのことを自分の支配下に置きたいと願うのであり、神とかかわりのある幼子を殺すことまでしてしまうのです。傲慢に駆られたヘロデのタイプは全てのことを今、欲しいと願うのです。自分は誰にも頼らずに全てができると考えるマイルドヘロデタイプは、神に単にNoというだけのものです。
最後に最も大切なこと。神はこう言っています。「私たちは離れているべきではない。私は幼子として地に降りてきて、自身を解き明かし、あなた方が私がどのようなものであるかを知るようにした。キリストの子はあなた方が私に再び戻る道なのだ。」ここに神の背景があり、それは神ご自身を通してのものだったのです。私たちは恐れおののいているヘロデのようである必要はないのです。私たちは当方の三人の博士たちのように、共に神と交わることが出来るのです。
さあ、以下がでしょうか> このクリスマスに、キリストを心に受け入れることで最初のクリスマスを手にしませんか? 神はすぐそばに来ています。
エド・デルフ/Ed Delph, December 20, 2021
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