より良い明日の為に解決的な会話をする
- Ed Delph

- Jun 29, 2019
- 5 min read
結婚しているカップルが就寝しているところに、侵入者がその家に入ってきた。侵入者は女性の首にナイフを突きつけてこう言った。「オレは人を殺す前に、そいつの名前を知らない時が済まねえんだ。名前を教えてくれ。」「私の名前はエリザベスです。」女性は答えた。
侵入者はこう言った。「オレの母親はエリザベスっていう名前だったのを思い出しちまった。殺せねえ。」侵入者は夫の方に行き、こう尋ねた。「お前の名前は?」「私の名前はフィリップです。でも友達は私の事をエリザベスって呼びます。」私もそのように機転を利かしたいものです。
フィリップが如何にこの会話のやり取りを上手に繋げたか考えてみましょう。物事が怒りと恐れで満ちている時、会話を改善して繋げていける人にどうしたらなれるか、神は私たちに知恵を与えているのです。「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。」(箴言12:18) 「人はその口の実によって良いものを食べ、裏切り者は暴虐を食べる。自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。」(箴言13:2-3)これは、今日の世の中を生き抜き、より良い明日の世界を解き放つ賢いアドバスなのです。
私たちの今日の文化の中で双方向コミュニケーションがどれだけ悪くなっているかお気付きですか?殆どの人は、人と人の間で話していないのです。人々に対して話し、人々の向こうに呼びかけるのです。問題を解決するように汗を流すのではなく、むしろディベートに負けた時などに憤慨してしまうのです。憤慨するということは、概して言えばこう言っているようなものです。「私の感情はあなたの感情よりもずっと大切です。私の思考はあなたの思考よりもより、物事を見極めているのです。私の理由はあなたの理由よりもより価値があるのです。私は正しく、あなたは間違い。以上。」「あなたは分からず屋!」「俺はできるけど、あんたはそこそこ。」
このようなタイプの会話が意味のある解決を高めるのか、意味のある再解決を消滅させていくのか、どちらでしょうか? いえ、これは二極化と相手側の悪魔化に至るのです。私たちは自分たちを分類し、比較し、賞賛し、自分達がどのような人々で、彼らがどのような人々かを決定づけているのです。そして物事は個人的になり、交渉ごとを演出し、解決は不可能となるのです。自分自身の主張を強化し、敵対心をも作り出すのです。このような行いは将来再び自分のところに会いに戻って来るのであり、他人の未来にも影響する場合が多いのです。
この問題に対する作家のLaurie Beth Jonesの言葉を引用させてください。「会話とは、向上させるか落胆させるか、結びつけるか異質なものとするか、閉じ込めてしまうか自由にするかのいずれかだ。」感情、意見を持ったり、何かに強く思い入れを持つことは何も問題ではないのです。ただし、昨今見かけるような一方通行であったり、見下したり、侮辱的であったり、意地悪であったり、排他的な上から目線の態度でない限りです。それらはいじめなのです。それは結びつける者と言うよりは、人の粗探しをすることなのです。その思いはディベートに勝つことになるのであり、真の解決を探すことにはならないのです。
より良い道があります。初代教会にて生じたことについて使徒パウロが行ったことを私は深く尊敬しています。彼はこれを書簡と呼ばれる手紙を通して行いました。合意できないことが持ち上がった時、会話を増やす方向へと促しました。彼は「解決的」な会話をする人であり、「汚染的」な会話をしなかったのです。彼は常に問題を指摘する教会について賞賛することから始めました。そして問題について触れるのです。彼のメッセージは決して高圧的であったり、非難したり、自己弁護したりはしませんでした。問題について指摘した後、常に前向きな言葉で手紙を締めくくりました。この手法によってパウロは敵よりも友人を多く作ったのです。
使徒ヤコブはこう言っています。「 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。
3:6 舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。」(ヤコブ3:5-9)
自分のいるところどこにおいても、何故、会話を増やさないのでしょうか? 会話を「解決的」にするのです。次の問いについて考えてみましょう。自分のグループ、家族、あるいは仕事場においてどのような形式の会話をしているでしょうか?

礼儀正しいでしょうか、それとも高圧的でしょうか? 命令的でしょうか、それとも思慮深いでしょうか?罪を指摘しているのでしょうか、それとも防御的でしょうか? 会話を良くするのに自分は何ができるのでしょうか? その実は何でしょうか?
Paul Bryant氏の導く結論が、双方向の効果的な会話による解決を目指した橋を築き、それを渡る事を示唆してくれると思います。以下が彼の試合を制する簡単な解決的なアプローチです。「もし全てが悪い方向に進んでいるなら、自分がそれをしているのだ。もし何かが半分だけ良いなら、皆でしているのだ。もし何かが本当に、本当に、上手く行っているなら、それは相手がしたことだ。それこそが、フットボールの試合の勝利を自身に与える為に皆がしていることだ。」それがwin-winなのです。
この事を考えてみましょう。特に舌が緩くなるような問題を抱えた時、人間関係を作った一人の方(one)に、人間関係を維持するような明晰さを与えて頂くべきではないでしょうか? 「解決的」になる最善のビタミンはB1(be one)です。
エド・デルフ/ Ed Delph July 8, 2018 CCC
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