この感謝祭、そしてこのクリスマス
- Ed Delph

- Nov 13, 2021
- 5 min read
Updated: Mar 29, 2022
みなさんはThis Christmasという歌を聞いたことがありますか? はい、今年はこの上のタイトルのように言葉を付け加えました。私にとってはこの二つの休日は一緒につながっているのです。感謝祭はクリスマスの前触れです。最初に感謝し、そして与えるのです。
感謝祭は最も大切なもの、神、友人、家族、を再認識させる瞬間です。それは祈り、賛美し、神と人々を祝う時なのです。このことを考えてみましょう。小川から水を飲むなら、その源泉を考えるのです。感謝際は山盛りの皿の料理にかぶりつく以上の日であり、新しいことが始まる時なのです。
Robert Lintnerのこの言葉を考えましょう。「感謝祭は決して一日で終わってしまうようにはなっていない。」Lintner氏はここに素晴らしいことを指摘しています。神と人々に感謝することは年に一度以上なのです。次のお話で感謝祭について描かせてください。
一人の年老いた男がアイルランドに暮らしていた。彼はジャガイモ畑に鍬を入れたが、背中を痛めてしまった。それ以上に、彼の唯一の息子であり彼が耕すのを手伝うべき男は、Long Kesh刑務所に入っていた。そこでその老人は息子に自身の窮状について書いた手紙を送った。
すぐにその父親はその息子から返事をもらった。「天の求めにより、お父さん、その庭を掘ってはいけない。そこには私が銃を埋めたからだ!」翌朝4時、多くのイギリス兵がやってきて庭を全て掘り返したが銃はひとつも見つからなかった。困惑し、その老人は何が起きて、次にどうすべきかを尋ねる手紙を息子に送った。
息子は返事をよこした。「さあ、ジャガイモを植えなさい。お父さん。これが私がここからできる最善のことです。」もし私がこのお話の老人だったらどうしていたでしょうか? 神と息子に感謝なのです。
この感謝祭の週末に、私は皆さんに提案があります。自分の家族、同僚、友人、配偶者、従業員、あるいは雇用主に感謝してはいかがでしょうか? John F. Kennedyは私たちは立ち止まる時間を見つけ、私たちの人生に影響を与えた人々に感謝すべきだと言いました。私はその通りと思います。
有名な短距離走者のUsain Boltは自分を疑う人々に感謝する方法を見つけました。彼はこう書いたのです。「私はそこにいる私のすべてのファンたちに、応援ありがとうと言いたいと思います。そして私を疑う人々の皆さんには、私の背中を後ろから押してくれたことに感謝しています。」悪くはないのです! Dub Nanceは私たち皆が感謝で満ちる何かを示しました。「私たちが感謝に満ちることのできるひとつのことがある。自分と神だけが自分の真実のすべてを知っていることだ。」
Richard Douglasは以下の感謝祭についての考えを記しています。「現代のアメリカ人たちは、人生に対するシンプルな祝福にほとんど感謝をしない。一つの理由は私たちの大半が人生で良いものを数多く持っている子だ。もう一つの理由は、感謝に満ことは私たちのプライドを傷つけるからだ。私たちは神が私たちのすべての良きことを与える方であることを認めたくないのだ。私たちは管理人であり、オーナーではないのだ。感謝に満ちることは、神に対するへりくだりと信仰が必要なのだ。私たちがこれらを手にしたとき、私たちは感謝に満ちる。」
人生に感謝を持たないことは、恥ずべき結果をもたらすのです。私たちが高みに達した時、私たちの態度に影響するのです。ついには人を裁きたがるようになるのです。自分勝手になり、独りよがりになるのです。目標には到達できず、感謝のない一人の世界に孤独でいるのです。」Brene BrownはこのDouglas氏のコンセプトにコメントしています。「賞をもらうことの特権から引き離すのは、その態度だ。」
Craig Lounsbroughは私たちに感謝祭について明確に語っています。「率直に話そう。私たちが直面している世界に対して、感謝で満ちたところで何も変わらない。それはシンプルに私たちが持っていないものよりも、持っているものを強調するだけである。それは私たちの可能性に焦点を当てるのであり、負債に焦点を当てるのではない。それは何か影響を与えることではない。それはものごとを違った視点でも見ることだ。私たちがものごとを違った視点で見る時、私たちはものごとに違った形でかかわっていくのだ。
感謝で満ちることは、何かの賞を手にすることと全く反対のことだ。この二つは共に存在はできない。何かの形で、私たちは人生が私たちを支配していると信じるように成長し花開く。もし私が何かの賞を手にしたら、感謝する必要はないだろう。もし私たちが何かを手にしたら、それは自分の所属であり、なぜそれに感謝するのか? そしてそれが自分の一番大切なところにある自分のものなら、どうして感謝の思いが、私の脳裏によぎるのか?」
このことを考えましょう。感謝に満ちることに道を閉ざした人生を、態度は辛くしていくのです。もし誰かが自分の持つものに感謝しないなら、自分がこれから手にするものにも感謝で満ちることはないでしょう。やがて詩文中心な態度が支配的になり、人生の中のより良いものへの道を閉ざしてしまうのです。
もし皆さんが感謝の無い世界にいるなら、立ち止まり試してみましょう。時間を取り、神と他人に感謝するのです。それが感謝祭のすべてなのです。それは感謝を与えることであり、感謝を拾い集めることではないのです。神と人々に感謝することは、神と人々を祝福することなのです。感謝に満ちることは人生で違う視点を与えるものであり、それは上に向けて建て上げ、引き裂いて破壊するものではありません。一つの幸せな感謝祭は、健康的な感謝祭であり、健康的な感謝祭はより多くの与えることに至るのであり、クリスマスを手にすることではないのです。
さあ、皆さんはなぜ神がこう言ったのかお判りでしょう。「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Iテサロニケ 5:18)
エド・デルフ/Ed Delph November 22, 2021, CCC
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