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あなたの確信の大きさを解き放つ

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Jan 15, 2022
  • 6 min read

作家のJohn Maxwellがリトルリーグの野球を見て立ち止まった男の話を書いています。彼は子供の一人に得点差を聞きました。「18:0で負けてるよ」が答えでした。


「いいかい」その男は言った。「でも全然落ち込んでいるようには見えないけど。」「落ち込む?」男の子は言った。「なんで落ち込むの? まだ打順が回ってきていないよ。」


乗り越える人とは、その男の子のように確信を心に持っています。物事は常に幸せに終わるとは限らないのですが、しかし乗り越えていく人とは、何か良いことがそこに再び起こるまで、そこにとどまる能力と確信を心に持っているのです。そのような人たちは物事を違った目で見つめ、違った角度で考え、違った行動をしていくのです。彼らは影響力があるのです。私たちはそのような人たちの周りにいたいものです。


今日は、私たちが人生を生きる三つの選択肢について考えてみたいと思います。最初の選択肢は小心です。小心とは勇気を欠落している、あるいは自分に対する自信が欠けていることです。それは恐れも意味します。第二の選択肢は確信です。確信は大胆さ、信頼、何かや誰かに対して頼りにすること、信頼している状態または親密であることを意味します。第三の選択肢は、傲慢です。傲慢さとは、心を閉ざしてその人の重要性を強調することです。「傲慢さとは自分のことを考えすぎるのではなく、他人のことをあまりにほとんど考えないこと」なのです。傲慢さとは他人を引き裂き引きずりおろし見下して自分を建て上げることです。


今日、世界中を席巻している確信の危機があります。しかし、神は私たちを確信の中で生きるように創られたのです。実際、神は私たち全員に確信を心の中に与えたのであり、小心や傲慢さを与えたのではないのです。どうやったら分かるのでしょうか?聖書はこう語りかけています。「私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。」しかし、確信を持つことと確信を用いることとは全く別のことなのです。


確信について探ってみましょう。確信の中に確信を持たないようにしてください。確信はある方向を意味するのであり、しかしそこで終わりではないのです。私たちの信頼、確信あるいは大胆さは最上位にあるのです。確信とは皆さんのエンジンを回し、高速道路に向けて進めるようにするものです。確信は、祈りの中の恐れに対するものなのです。確信は何かを始めていくのであり、能力は何かを完遂させるのです。確信は第一に私たちの心の中にある性格要素のなかでも一番上なのです。確信なくしては、他の性格要素は表面に出てこないのです。


私たちはへりくだることと、確信を持つことを同時にできるのです。真の確信は常にそうなのです。一般に確信と傲慢さを混同している人は、小心の視点から生きているのです。そして、一般に、確信と小心を混同して生きている人は、傲慢さの視点から人生を生きているのです。傲慢さとは、アクセルを緩めるべき時にそうしないことなのです。小心は、アクセルを踏むべきときにそうしないことなのです。確信とは、自分が立ちどまるべき時、進むべき時を確かに見分けるものなのです。


確信の中に生きる、特に神の確信の中に生きることにより、生れ出てくる5つの上向きなものについてみてみましょう。第一に

確信は「魂の酸素」です。確信は、私たちが今置かれている状況から浮上できる位置へと自分を調整するものです。立ち止まり自分の顔に恐れを見せるようなすべての経験から、強さ、勇気、確信を得ていくのです。自分でこう言い聞かせるのです。私はこの恐怖の中でも生き抜く。やがて来る次のことを必ず手に入れる。自分ができないと思うことを行うのです。


第二に、確信は私たちに大きな絵姿を見せることを助けるのですローマ帝国の皇帝で、クレージー中のクレージーであるネロによって策された試練の中で。使徒パウロはこの現実を知りました。パウロは、もしネロが自分を殺したらピリピの教会に何が起こるかを懸念したのでした。パウロの確信はスイッチが入りました。この言葉をその教会に送ったのです。「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」それは神における確信により始められ絵描かれた大きな絵の思考でした。


第三に、確信とは行動したり行動しなかったりする自然な枠組みを超えて、超自然的な能動的な枠組みへと移動させるのです。Samuel Johnsonはこう言っています。「自分について確信することは、深いどん底から這い出るための最初の条件だ。」ダニエルがライオンのいる洞穴に入れられたときでも、ヨセフが穴に落とされたときでも、混乱の中でネヘミヤが街を再興したときでも、アブラハムが自分がどこに行くのか知らない時でも、エリヤが怒り狂ったイゼベルに追いかけられている時でも、アビガエルが悲惨な結婚の中にいるときでも、ヨハネが孤島にいた時も、パウロとシラスが牢獄にいた時も、弟子たちが嵐で揺れた小舟に乗っていた時も、イエスが十字架の上にいた時も、その心の中の確信が神が与えた能力を解き放ち、不可能なことを成し遂げたのです。


第四に、確信は私たちをより幸せで、より充足した人生に導くのです。アルバート・アインシュタインからのヒント;「ネガティブな人々から距離を置け。彼らは解決しようとすること自体に問題を抱えている。」専門家の分析によれば、成功を心の中で期待してる人は、そうでない人たちに比較して37%も保険を多く売り上げるそうです。もし皆さんが傲慢さや小心の葛藤を抱えているなら、確信している人たちよりも非効率的で成果も少なくなるのです。


第五に、確信は周囲の人をより幸せで、より充足した人生へと励ましていくのです。確信は周囲へと広がるのです。ビリー・グラハムはこう言っています。「勇敢な人が立ち上がる時、周囲の人々のふらつきは、安定する。」皆さんが人生を確信の道に入り歩むとき、皆さんは他人に確信をうつすウィルスのようになるのです。


どうやって自身の確信の器の大きさを解き放ちますか? このことを理解してください。Sheldon Koppはこう言っています。「すべての大切な戦いは、自分の中にある。」John Newmanはこう言っています。「自分の人生がいつか終わることを恐れるな。そうではなく、永遠に何も始まらないことを恐れるな。」多くの人々にとって、自分の足を引っ張るものが問題ではなく、自分がその人ではないと思っていることが問題なのです。


皆さんは、自分を小心や傲慢さの中に閉じ込めたことはありませんか? Molly Ivinsは私たちを啓発しています。「穴に落ちた時の第一のルール。そこに陥ったら、掘るのをやめろ。」


ここに持ち帰るべきことがあります。神が信じるに足ると確信していますか? 自分の人生のすべての領域において、自分の代わりに何かをしてくれているはずだと神を信じることができますか? 真実は私たちが何かや誰かを信じないといけないということです。神を信じることは確信から始まるのであり、小心や傲慢からではありません。


確信を理解しましたか? 道はあなたのものです。手にしましょう。


エド・デルフ/Ed Delph January 17, 2022, CCC

Ed Delph/NATIONStrategy

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