あなたのパラシュートを詰めてくれたのは誰でしょうか? - 絶望と困難を乗り超えたとき気づくもの
- yoichi
- May 11, 2019
- 3 min read
Updated: May 18, 2019
私達が絶望と困難を乗り越えるとき、じつはその背後に思いがけない、大切なことがあったのを見逃してしまう時があります。でも、見逃したままではなく、時が来て気づき、そして感謝できたら、それは素晴らしいことでは無いでしょうか? 次のお話はアメリカの信仰の友人からもらった、誰が書いたか分らない(つまりここに載せても著作権は大丈夫らしい。。。)お話です。
米国海軍士官学校卒業生であるチャールズ・プラム氏はベトナム戦争中に海軍の戦闘機のパイロットでした。75回目の作戦参加の最中に彼の乗った戦闘機は敵の撃った地対空ミサイルに撃墜されてしまいました。プラム氏は戦闘機から脱出し、パラシュートで敵の真ん中に着地しました。彼は捕らえられ、それから6年間ベトナムの収容所で過ごしました。彼はその困難を生き延び、今はその当時の教訓を教えています。ある日、プラム氏と奥さんがあるレストランに座っていると、他のテーブルに座っていた男性が近づいてきてこう言いました。「あなたはプラムさんですね。空母キティ・ホークから戦闘機に乗りベトナムに向かって出撃しましたよね。そして撃墜されましたよね! 」「どうして知ってるんですか?」プラム氏は聞き返しました。「あの日、私があなたのパラシュートを整備して詰めたんです。」その男性は答えました。プラム氏は驚きと感謝の念で心が一杯になった。その男は手をぽんとたたいてこう言いました。「ということは、パラシュートがちゃんと開いたんですね。」プラム氏は彼に念を押すように言いました。「もちろん確かに開きました。もし、あなたのパラシュートが開かなかったら、私は今日、ここに居ませんでした。」
プラム氏はその夜、その男性の事を考え眠れませんでした。プラム氏はこうつぶやきました。「彼は、当時どんな軍服を着て、どんな姿だったのだろうか? 白い帽子、背中のあて布、末広がりのズボン。つまり、その男は最も低い身分であり、一方プラム氏はパイロットでありトップガンの映画のようなエリート中のエリート。。。一体、自分は彼を何度、”おはよう”、”こんにちは”、或いは何かの一言を全く言わずに、ただ横を通り過ぎただろうか。そうなのだ、私は戦闘機のパイロットで、彼は単なる水兵。」プラム氏はそれからしばらくの間、水兵たちが過ごす長い木のテーブルのある船底の部屋と、そこで丁寧に一つ一つのパラシュートに布を縫い付けてたたんでいく姿と、その一つ一つの折り目に誰か見知らぬ男が運命を預けなければならなくなる事に思いをめぐらした。今、彼は教訓を人々に語るときにこう問いかけます。「誰があなたのパラシュートをたたんで詰めてくれているのでしょうか?」誰にでも、実はその毎日の日一日を生き延びるのに必要なものを与えてくれている誰かがいるのです。彼のこの経験談は私たち全てに、例え嵐であろうが私たちの人生の先に待ち受ける困難にどう備えるのかを語っています。私たちが、この週、この月、この年を乗り越えるのに、じつはその背後でパラシュートを詰めてくれている人がいることを。どんな困難な状況の中にも、実は良く探すと感謝すべき事が埋れているのです。それは神様からの恵みであり贈り物だったりするのです。聖書にはこう書いています。
テサロニケI 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

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